掛川に行ってみた(3)
逆川にて
大手門を出たすぐのところの逆川が流れている。そこから天守閣が良く見える。
逆川の橋の欄干から
再建された天守閣がきれいに見えてきた。期待していた以上にきれいだ。思わず、急ぎ足になる。

逆川の鳥さんほか
居ないよりはマシだが、普通に見ることができる鳥さんばかりだなあ。まあ、撮影の練習になるかなあ。この時に、アオサギやイトトンボの映り具合を見れば、SSが遅すぎるということに気づくべきだった。後に禍根を残す凡失だった。

SSの設定が低すぎることに気づくべきだった





掛川城公園に到着した。これから掛川城のあった一帯を見て歩く。遠目から美しい天守閣が見えた。近くではどんな感じだろうか?その先、二の丸御殿なども楽しみだ。
掛川城の天守
山内一豊の建造した天守閣が、掛川城の初代の天守閣だ。この天守閣は、1604年(慶長9年)の大地震で倒壊してしまった。少しだけ間を置いて、1621年(元和7年)に松平定綱によって再建された。が、この天守閣も幕末の1854年(安政元年)旧暦11月4日の嘉永東海地震により再び倒壊。その後、天守は再建されず、天守台などの遺構が残るのみだった。
1994年(平成6年)になり、市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守再建を果たし、掛川のシンボルとなっているそうだ。何よりも木造で復元した日本で初めての天守なのだ。
天守閣の再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城を参考に、残された図面に基づき、樹齢300年を越える厳選された青森ヒバを用いて、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元したそうだ。松平定綱が再建した天守閣ではなく、山内一豊の建造した天守閣を再建したわけだ。
四足門
当然だが、この門も復元した門。復元する前の調査では、門の跡は見つからなかったそうだ。そのため、正保城絵図(しょうほしろえず)を元に復元されたとのこと。門の内側には、入城者を調べる番所があり、本丸に通じる重要な門だったことがわかる。


この先が本丸
初期のころは、ここにも本丸御殿があったようだ。おそらく、狭くて使い勝手が良くなかったことが、本丸御殿を廃止し、二の丸御殿に集約した最大の理由だろうと思う。

本丸広場から見た天守閣

高く見えているのが時の櫓

階段を上って天守閣に向かう

その中腹にある二の丸御殿への分岐

先へ進む


二の丸御殿が少し見える

漸く着いた
この階段をちょっと上るだけで息切れしてしまう。昔の武士の体力はかなりあったようだ。
