掛川に行ってみた(2)
新横浜にて
行き先が掛川なので、こだまの到着を待つ。のぞみに乗車することはできない。先頭車両はまだしも速度が出だした最後尾車両を撮るのは結構難しい。


こだまが来た

こだまの車窓から
小田原辺りまで
富士山が見えるものの、はっきりしない天気だった。天気予報は掛川市は1日中晴れということだったが、ちょっと心配になる。

途中からはスッキリ
富士山はきれいに見えたが、肝心の白いものが無し。禿げ頭のような富士山だった。

三島駅のちょいと手前かな

三島駅
上りのこだまと愛鷹山とに視界を遮られるものの、かろうじて富士山が見える

愛鷹山が邪魔


ここまでくれば、かなり視界が開ける

掛川駅到着
こだまが停車するだけかもしれないが、やや寂しい感じ

余分な荷物をホテルに預け、身軽になって掛川城観光に出発
掛川城観光(1)
大手門
復元された大手門。堂々とした楼門造りの櫓門。確認できていないが、幕末の「安政の大地震」で倒壊した後、再建されることがなく推移した。1995年(平成7年)になり、天守閣とともに復元されたものと思う。




大手門は天守閣に続いて平成7年(1995年)に復元されたもので、大きさは間口7間(約12.7メートル)、奥行3間(約5.4メートル)の二階建です。
掛川城の表玄関にふさわしい楼門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくりになっています。白壁で板ひさしが配され、棟の上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。
実際は現在地より50メートルほど南にありました。
大手門番所
大手門番所が現存するのは稀有の例だそうだ。珍しいものを目撃したことになるんだ。「嘉永七年甲寅」の地震、その年に改元されたので、後世の呼び名は「安政の大地震」ということになったが、その地震で倒壊後に再建された番所のようだ。前述のごとく、大手門は再建されずに、はなはだ頼りない話であるが、この番所のみが再建されたのだろう。



江戸時代末期に建てられたこの番所は、城内に出入りする者を監視する役人の詰め所でした。
この番所は、掛川宿と掛川城とを連絡する唯一の番所で、城内に出入りする者は全てここで調べられました。現在残されている建物は、嘉永7年(1854年)の大地震で倒壊後、安政6年(1859年)に再現されたものです。番所が現存するのは全国的にも珍しく、市の文化財に指定されています。