弘前~田舎館~黒石~弘前一人旅(9)
公園の地図
弘前公園の記事が続く間は、位置関係がわからなくならないよう、冒頭にこの地図を掲げる

現在の天守外観
いまは、仮位置において公開中。下に石垣がないため、威圧感が全くない。そのことは間違いがないが、工事終了後には美しい姿を取り戻すことだろう。その時を楽しみに今は我慢の時期かもしれない。



曳屋
前回記したとおり、弘前城本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」がみられ、天守真下から石垣の一部を修理することになった。工事は、内濠を埋立てたり、弘前城の曳屋が行われたりした。そして、大工事の真っ最中だ。
曳屋は東京でも行われた。赤プリ旧館をまるごと動かしたのが記憶に新しい。東京の方は、44mを移動させて終わりだったが、弘前の方は、70m移動させ、仮置きし、石垣工事終了の約5年後、再び旧位置に戻す長期の工事なのだ。
◆工事スケジュール
平成28年10月~・・・石垣への番号付け
平成29年春(さくらまつり終了後)~平成30年・・・石垣解体
平成31年~・・・石垣積み直し
平成33年・・・天守曳戻し
『城が70メートル移動する“曳屋”って何? 動く弘前城を目撃してきた』へjump
『じわりと毎秒1ミリ、赤プリ旧館をまるごと動かす』へjump
天守の内部
貴重な現存する天守であることは間違いがないが、当初幕府に気遣って櫓として届け出たとか。そのような言いつくろいが通るほどかなり小型の天守閣だ。
1階
かなりのスペースを割いて、曳屋を説明している。外国人には理解できる話なのかなあ。






2階
2階には展示物は少ししかなかった。まずは、2階に至る階段を覗く。

3階に至る階段を見上げる。


階下(1階)を見下ろす

杏葉牡丹紋の駕籠。藩主家の駕籠ということになるのだろう。

杏葉牡丹紋の家紋を染め抜いた旗と陣羽織

3階
3階に至る階段は、どこでも例外なく急こう配だ。へっぴり腰で上る。

鉄骨で、かなり強固に支えている感じだった。西の方角に岩木山が見えるはずだが、急ににわか雨が降りだしてきて、それどころではなかった。

狭間とそこから見た様子


本丸にて
天守閣の外から岩木山が見えないか目を凝らしたが、あいにく見えなかった

天守閣の基礎部分。直前に天守の内部を見て回ったので、狭さは既に実感していたが、改めてその狭小さに驚いた。

桜祭りのポスター





