弘前~田舎館~黒石~弘前一人旅(5)
長勝寺(2)
津軽家霊屋…国指定重要文化財
5棟全てを撮ったのだが、メモを取らなかったので、どれがどれだが自信が持てない。こういうものだとだけ見ていただきたい。そのとき思ったのだが、霊屋に祀られている人物がとびとびになっているのはなぜなのだろうか?二代藩主信枚の正室満天姫(徳川家康養女)の霊屋である明鏡臺だけは、どうしても造らざるを得なかったのだろう。高台院養女、実は石田三成の娘で三代藩主信義の生母である辰姫は、家康に気遣った夫の判断で、正室から側室に降格になったが、墓などは残っているのだろうか?










津輕家霊屋は初代弘前藩主為信室、二代藩主信牧、信牧室、三代藩主信義、六代藩主信著を祀った五棟の霊屋からなる。各霊屋は方二間、入毋屋造、こけら葺で、内部に石造無縫塔を安置する。いずれも江戸時代前期から中期に属するもので、本格的造りになる霊屋が建ち並ぶ景観は優れている。年代の明らかな江戸時代の霊屋群として重要である。
環月臺かんげつだい(初代藩主為信室霊屋) 寛文12年(1672年)造
碧巌臺へきがんだい(二代藩主信枚霊屋) 寛永8八年(1631年)頃造
明鏡臺めいきょうだい(二代藩主信枚室霊屋)寛永15年(1638年)頃造
白雲臺はくうんだい(三代藩主信義霊屋) 明暦 2年(1656年)造
凌雲臺りょううんだい(六代藩主信著霊屋) 宝暦 3年(1753年)造
霊屋が作られなかった藩主たちの墓
幕府からの締め付けが厳しくなり、霊屋は造ることができなくなったのだろうか。墓だけ見れば、磐城平藩主だった内藤家の墓の方が数段上かもしれない。


禅林街をあとにする
禅林街の近所で見かけた建物
入口近くにあった小さな家

醸造店かな
吉野桜という酒を造っているようだった。ちなみにその隣も造り酒屋だった。いったいいくつあるのだろうか?
