秩父祭笠鉾特別曳行ほか(6)
夜の曳行に入る前に、秩父神社の素晴らしい彫刻の数々をご覧頂きたい。
左甚五郎作の「子宝 子育ての虎」
『子宝 子育ての虎』は、本殿正面左右に2面ずつ計4面あり、左甚五郎の作と言われている。以下は神社の掲示板による。
秩父神社の再興を命じた徳川家康は、寅の年、寅の日、寅の刻生まれとされ、それに因んで拝殿の正面には4面の虎の彫刻が施されている。左から2つ目の子虎と戯れる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康の威厳と祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられている。当時の狩野派の絵画では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的とのこと。
左甚五郎作の「つなぎの龍」
左甚五郎が彫刻したのは『龍』のみ。ところがこれが秩父に飾られるようになってから、秩父の街に異変が起こる。
秩父神社近くの沼で、夜な夜な龍神が暴れ回り、沼の付近では畑や家畜に大きな被害が出ていた。そして龍神が暴れた翌朝、神社の掃除をしていると、不思議な事に、必ず例の龍の彫刻の下に大きな水溜りが出来ていたという。
これはおかしいということになり、宮司が鉄の鎖で龍をでつなぎ止めたところ、騒ぎが収まったという。
あまりに精巧に彫られていたために霊が宿ったのかもしれない。凄いものだ。鎖は案外細い。目を凝らしていただければわかると思うが。
北辰の梟
目を凝らしてみて、漸くどこに梟がいるのか(木札の真上)わかった程度。どんなふうな格好をしているかなど、視力が4くらいないとわからないと思う。
なお、梟の上部には、願えば叶うと書かれ、「うずの泉」の彫刻がある。
ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵の「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。
当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも、ご祭神を特に縁りの深い瑞鳥であると言えるでしょう。
洋の東西を問わず、梟は智恵のシンボルと考えられており、当社のご祭神 八意思兼命 が智恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。
お元気三猿
クローズアップし忘れた。これではよくわからないので、クローズアップは秩父神社のHPから借用した。
『よく話そう』の猿はいたずらしているだけのようにしか私には見えない。
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘わらず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。
日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し。当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に”お元気三猿”として皆様に親しまれています。
当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。
幣殿西側の『瓢箪から駒』
『瓢箪から駒』が上記4作品についで有名なものだと知らなくて、アップのものを撮らなかった。
馬に関する諺の一つに「瓢箪から駒」がある。意外なところから意外な発見や出会いがあることを表す諺であるが、その意味するところは開運招福である。そのため、社殿西側にはこの諺に因んだ彫刻が施されている。なお、秩父の夜祭では、祭神は御輿だけでなく神馬に乗って御旅所に渡るため、12月3日には本物の馬が2頭奉納されて神幸の供をする。