初冬の鎌倉(9) 2016.12.12 18:42一部修正
滅亡した鎌倉幕府の北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した事になっている。しかし、実際の造営は、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、同天皇が没した後に足利尊氏らによって行なわれたと推定されているそうだ。いずれにしても、北条高時の慰霊のために作られた寺院であることは間違いがない。
鎌倉幕府が滅亡した5月22日に、北条高時の慰霊のために徳崇大権現会(とくそうだいごんげんえ)・大般若経転読会(だいはんにゃてんどくえ)が行われる。徳崇大権現として祀られている北条高時の御神像を権現堂から本堂に移して、大般若経を転読し、歌舞音曲を奉納する。その時だけは、確かに慰霊のため建立された寺院であると感じられよう。
その他の時は、何のための寺院なのかよくわからない感じがしてならない。
入口付近の様子
進入路
石畳がきれいにデザインされていた

石碑
『北条九代屋敷 頼経公○後代将軍家鋪』と書かれてあるように読める。代々の執権が暮らしていた北条得宗家邸跡のはずだが、…。藤原頼経公は鎌倉幕府の第4代征夷大将軍だった。北条得宗家の前に住んでいたということなのだろうか?

お決まりの鎌倉青年会石碑
大正7年建立か。当時の青年たちは、全員鬼籍入りだろうな。

山門

更に進入路が続く

大きな石に粋な飾りが施されている

本堂とその付近
本堂外観




本堂内部の様子
本堂内撮影禁止なので、以下2点はPDF画像を借用
画像名にAltar(祭壇)とあったが、

本堂内陣

本堂前
境内には春先には福寿草が咲いているが、この元気そうな青い葉は明日葉だろうか?
