初冬の鎌倉(2)
山門の手前
手水
これは水道の水ではなく湧き出している水だろう。境内は山の中腹にあり、頂上はまだまだ上だから。

石碑『松蔭吉田先生留跡碑』
吉田松陰は1854年(安政元年)、下田で密航を企てる直前に、母方の伯父が住職を務めていたこの寺院に来たようだ。用件は当然お金の無心だったと考えるのは下衆の勘繰りだろうか。徳富蘇峰の筆によるものだそうだ。徳富蘇峰は何故姓より先に名前を記したのだろうか?いつも不思議に思う。

歌碑『手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る』
山崎方代の短歌。方代は放浪の歌人だったそうだ。味のある書体だなあ。


歌碑『死をいとひ生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ』
吉野秀雄の短歌。私には読みにくい癖のある書体だ。重い内容のものだなあ。


青面金剛像
こんな山の上までは廃仏毀釈の嵐が及ばなかったのだろうか。あるいは、鎌倉という土地柄が石像の破壊を阻止したのだろうか。

山門
今回の句は、下記のものだった。柿秋って誰なのか???
「はりついて青き草ある冬田かな」 柿秋



振り返って女坂をみた様子
黄葉と竹の青さとが目立つ。こちらの坂も決して楽ではなさそうだ。
