伊豆への一泊の旅(3)
今年の紅葉は、日本全国冴えないものであることは承知の上。どうなるかわからない頃に一泊旅行を計画したもので、この部分は初日の天気同様に大外れだったかもしれない。
入り口近辺
風が吹くと少し妙なる音が発せられるのだろうか?それとも暗くなると光が漏れてくるのかな?




途中の様子
熱海梅園には、人工の滝とせせらぎが作られている。そのせせらぎ周辺には多少紅葉があった。色合いはこんなものだった。



石乗りもみじ
一種の大きな盆栽かな?これが紅葉していれば、それだけで満足したのかもしれないが。

梅見の滝
人工の滝だが、よくつくったものだ。本物の粋な滝に見える。


梅見の滝近辺の紅葉









裏見の滝
本来は滝の向こうに梅の花を愛でるものなのだろう。今の季節はモミジで代用する仕掛けだ。


来宮神社
伊東の宿にチェックインするまで多少時間があったので、旅の安全等を祈願すべく立ち寄った。強力なパワースポットとして有内な神社だとか。一度行ってみたい神社だったので、私には好都合だった。
こんな温泉井戸が
熱海だからいたるところにある。蒸気の勢いからすれば、湯量はたっぷりあるのかな?

社殿
旧社格は村社で、戦後、神社本庁の別表神社に加えられた神社。破格の大出世ぶりだ。それだけの勢いがある様子がうかがえる。





阿豆佐和気神社の大楠
以下の2点はPDFを借用
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来宮弁財天
大久保将監なる武士が出世を遂げたというのがそもそもか。熱心に祈っている女性の後姿を見ていたら、何かがあるのかなあと思った次第。
そのこととは別に、手前の大石には蛇がとぐろを巻いている。おお怖いっ。



来宮神社には弁財天もあります。この弁財天は秩父神社にあったものを熱海の来宮神社に移動されたものです。大久保将監という徳川家武臣がこの弁財天を好んで、遠方にも関わらず、参拝をしました。そして願いが叶えられ、彼は大出世をしました。今では、彼にあやかろうと、出世を願って来宮神社弁財天を参拝する人たちがいます。
そしてこの来宮神社に祀られている弁財天の像は、高村光雲という方が作ったと言われています。この高村光雲とは、江戸に生まれ、文久3年から昭和時代まで木彫りを行い、その技術を後世に伝えた重要な人物だと言われています。
御鳳輦
旧社格は村社で、戦後、神社本庁の別表神社に加えられた神社だ。このクラスの神社に御鳳輦が存在するとは。正直なところ吃驚仰天だ。


神幸祭(じんこうさい) 七月十六日執行
来宮の神々を御鳳輦(ごほうれん)に乗せ、町に降ります。町の繁栄を祈る神事です。神々に供奉する宮司・神官をはじめ、総代・神役など御神幸行列は総勢五〇〇名を超え、壮大な時代絵巻の再現となります。行列の中の猿田彦は天尊降臨の際案内した神様で、御鳳輦に鎮座する来宮大神の案内をする役割です。御祭神と御縁の深い『むぎこがし』を道に撒き道中を御案内し、また人々は其のこがしに触れると無病息災・身体健康になると伝えられています。
神輿

境内のシャレ心



創建時期は定かではないが、社伝によると和銅3年(710年)、熱海湾で網に木の根が掛かる事が3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像のようであったので、近くの松の下に祀って、持っていた麦こがしを供えたところ、その夜の夢に五十猛命が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があり、現在地に遷祀したといい、木の根を神体としたところから「木の宮」と称えたという。漂着物を祀ったのに始まり、祭神を木の神五十猛命とするなど、キノミヤ信仰が顕著に認められる神社である。なお、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、当社の分霊を東北地方を始め各地に鎮座させたという伝承もある。
旧社格は村社であったが、戦後その歴史や活動状況に鑑み、神社本庁の別表神社に加えられた。