横浜の山手町を歩く(10) 2016.0928 14:40追記
いつも同じような写真ばかり撮っている。自分でも呆れてしまう。今回は天気が良くなく、少し拗ねたような感じがした。それはそれで良いのだが、はっきりしない写真ばかりだ。









大佛次郎記念館
この位置に大佛次郎記念館があり、少し奥まった位置に神奈川近代文学館がある。文学愛好家だったならば、是非行ってみたい場所なのだと思う。私には、…。

港の見える丘公園の展望台の南側に広がる沈床花壇の奥にアーチ型の屋根と赤レンガ色の外観が一際目立つ館。横浜ゆかりの作家「大佛次郎」の業績と生涯を様々な資料で紹介しています。大佛次郎は横浜で生まれ、そして横浜を最も多く描いた作家と言われています。中でも「霧笛」「幻燈」は開化期の横浜を愛惜をこめて描いた名作として今も多くの人々を魅了し続けています。代表作には「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」「帰郷」「赤穂浪士」などがあり、「鞍馬天狗」の作者としても親しまれています。また館内には、愛猫家であった大佛次郎が所蔵していた猫の置物も、多数展示されています。
山手111番館
第2水曜日で休館だった。外観はごく普通の洋館のようにしか見えないが、実は内部が凄く素晴らしい。あまり気づかないかもしれないが、床に実にお金を掛けてある。この辺は、欧米人の建てた家という感じがする。
前回の訪問時撮影分からダイジェストで紹介したい。2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチからなるそうだ。う~~ん、スリーピングポーチまであったのか。通常の見学では階段を上がることが出来ない。公開する日に行くしか無い。











山手111番館は、横浜市イギリス館の南側にあるスパニッシュスタイルの洋館です。ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、港の見える丘公園のローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設されました。設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガンです。玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが、山手111番館は天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与えます。大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つと言えます。赤い瓦屋根に白壁の建物は、地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造りです。創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していました。
横浜市は、平成8(1996)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開しています。館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配置し、設計者モーガンに関する展示等も行っています。現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶室として利用されています。
山手111番館紹介記事(横浜の名建築第2回)へjump
山手111番館紹介記事(ラフィンさんが住んだ山手111番館)へjump
以上で『横浜の山手町を歩く』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。