横浜の山手町を歩く(7)
山手公園
以前は、山手公園の敷地には、この公園と横浜インターナショナル・テニス・コミュニティーしかなかったように記憶している。そこに、テニス発祥記念館が建てられ、山手68番館も移築された。随分と様変わりしたものだ。








1870年に、横浜居留外国人の手によってつくられた、国内初の洋式公園です。
日本で初めてテニスがプレーされたテニス発祥の地であり、園内の「テニス発祥記念館」では、テニスの歴史を知ることができます。
また、ヒマラヤスギが日本で初めて植えられ、ここから全国に広まりました。
2004年3月に、国の名勝に指定、2009年2月には、近代化産業遺産に認定されました。
花見の名所で、桜の大木が広がり、春には桜色のトンネルを楽しむことができます。
テニス発祥記念館
平成10年に建てられた建物か。いつの間にか忽然と建てられていたんだ。
何にでも初めてというのがあるのは当然だ。しかしながら、1874年に初めてイギリスでテニスが行われた年からたった2年しか経たない時期のはるか遠隔の極東の地での導入だ。凄い話で、当時の外国人たちがいかに本国の流行に敏感だったかがわかるというものだ。











その流れをくむのが、「横浜インターナショナル・テニス・コミュニティー(YITC)」だ。


1876年(明治9)、ここ山手公園でわが国最初のローンテニスが行われ、1878年にわが国最初のテニスクラブが誕生しました。日本初の洋式公園である山手公園と、わが国でのテニス発祥120周年を記念してこの記念館を設立しました。
山手68番館
いまは、テニスコートのクラブハウス・管理事務所になっている。以前の様子はどうだったのだろうか?山手68番地は用事のある方でなければ行かない場所のようで、当然私も行ったことがない。昭和61年(1986年)に現在地へ移築されるまでは、目立たない感じで存在していたのだろう。



当初は山手68番の奧まった位置にあり、震災後に建てられた外国人向け賃貸住宅のひとつであった。平屋建で下見板張りと開放ベランダを持つバンガロースタイルの源流をとどめる。現在は山手公園内のテニスコートのクラブハウス・管理事務所として再生・利用されている。