皇居東御苑(6) - 皇居東御苑_2012_August
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皇居東御苑(6)

本丸
中雀門を抜けると、現在は広々とした広場となっているが、かつてはここに広大な本丸御殿が広がっていた。現在、二本のケヤキが門柱のように聳えている部分が、ほぼ御殿の正面玄関にあたるそうだ。文久3年(1863年)の火災以降は再建されなかった。その機能は西の丸御殿が果たした。ということで、江戸城の天守閣が早々に姿を消し、幕末には本丸御殿をも失った。薩長の藩主には徳川幕府の弱体化が手に取るようにわかったことだろう。

二本のケヤキ(本丸御殿の正面玄関にあたる位置)

イメージしづらいと思うので、下記URLの江戸城本丸図を参照していただきたい。

江戸城本丸図

本丸地区は、江戸城の中心をなし、周囲に石垣と濠をめぐらした高台で、約13万平方メートル(約4万坪)と最も広い場所です。
江戸城は、天正18年(1590年)の徳川家康入城以来、秀忠、家光の三代にわたって完成されたのですが、その当時の本丸の建物は表・中奥・大奥からなる壮大豪華な殿舎(面積約一万一千坪)が所せましとたちならんでいました。天守閣のほか、櫓が十棟、多聞十五棟、諸門二十数棟がありました。
現在は、本丸跡地として、大きな芝生の広場になっています。芝生のず~っと向こうに見える石垣が天守閣跡になります。
その後、江戸城本丸内では五回の罹災にあい、そのつど復旧されましたが、文久3年(1863年)の火災以降は再建されませんでした。現存するものは、富士見櫓と富士見多聞のみです。


石室
時代小説などを読むと、こういったものがよく登場する。本当のところ、使用目的は何だったのか想像をたくましくしてしまう。
石室_1
石室_2
石室_3

抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際の、大奥用の調度などを納めたところと考えられます。内部の広さは、20平方メートルあります。
伊豆石(伊豆半島産の安山岩)で作られており、天井には長い石の板が使われています。


富士見多聞
数少ない江戸から残る建物だと聞いていたので、写真を撮ろうと思ったが、かなり魚眼に近いレンズじゃない限り駄目な感じ。うろちょろしている間にやぶ蚊にだいぶ刺された。
富士見多聞_1
富士見多聞_2

「多聞」とは、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれていました。
鉄砲や弓矢が納められ、戦時のときには格子窓を開けて狙い撃つことが出来ました。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万が一に備えられていました。


富士見櫓
天守閣の方はわずか50年の命で終わり、突如としてその代役を担わされた。その頃は安定期に入っていただろうから、大げさな天守閣は必要がなかったのだろう。
富士見櫓_2
富士見櫓_1
皇居参観ガイドの写真を使用
富士見櫓_3

現在のものは明暦の大火の後(1659年)に再建されたもの。江戸城の天守は、明暦の大火で焼失した後に再建されることがなかったので、それ以後、江戸城のほぼ中央に位置していたこの富士見櫓を天守の代わりにした。

松の廊下跡
勿論建物内部の大きな廊下だったようだ。本丸御殿はかなり敷地いっぱいに建てられていたことになる。
松の廊下跡_1
松の廊下跡_2

忠臣蔵でおなじみの元禄14年(1701年)3月14日赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が殿中で吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなか)への刃傷事件(にんじょうじけん)を起こした場所です。
廊下に沿った襖戸(ふすまど)に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。江戸城で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。


中雀門跡
本丸御殿の正面玄関前だった。それだけに、万が一の狼藉者の侵入をも防ぐべく、厳重な警戒態勢がとられていたのだろう。確かに人に対しては強かったかもしれないが、火に対してはからっきし弱く、すぐ下の写真でも分かる通り、巨石の表面がボロボロになっている。当然、本丸御殿への延焼を食い止めることはできなかった。
中雀門跡_1
中雀門跡_2

中之門を入り大番所前を左に進むと、正面に大形の石材で積まれた石垣を見ながら登る坂道があります。この坂は、もともと江戸城東側に広がる低地と本丸の位置する台地との境にあたり、これを登りきると、本丸正門の中雀門があります。この門は、文久3年(1863)の火災で本丸御殿が焼けた時に類焼し、石垣の表面は、熱によりボロボロになっています。中雀門を抜けると、現在は広々とした広場となっていますが、かつてはここに広大な本丸御殿が広がっていました。現在、二本のケヤキが門柱のようにそびえている部分が、ほぼ御殿の正面玄関にあたります。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2012年09月07日
最終更新 -0001年11月30日

6 Comments

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makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
まるで一緒に歩いているかのような錯覚に襲われます♪笑)
石室はず~と疑問に思っていましたが「抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際の、大奥用の調度などを納めたところと考えられます」との説明で納得がいきました!
また、「廊下に沿った襖戸(ふすまど)に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。」の説明で納得です。
よくお調べになったと関心いたしました!
知っているようで知らないことが沢山有るのですね!
また1つ、賢くさせていただきました。
ありがとうございます。

2012/09/07 (Fri) 05:05

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!
> まるで一緒に歩いているかのような錯覚に襲われます♪笑)
> 石室はず~と疑問に思っていましたが「抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際の、大奥用の調度などを納めたところと考えられます」との説明で納得がいきました!
> また、「廊下に沿った襖戸(ふすまど)に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。」の説明で納得です。
> よくお調べになったと関心いたしました!
> 知っているようで知らないことが沢山有るのですね!
> また1つ、賢くさせていただきました。
> ありがとうございます。

makiraさん、おはようございます。

私が行って驚いたのは、松の廊下がかなり敷地の端っこにあることでした。今でこそ、通路が整備されていますが、昔は敷地いっぱいに御殿が建っていたんだろうことを実感させました。
帰って来て調べてわかったのは、、本丸御殿は既に江戸時代の末には焼失して再建されないままに放置されていたことでした。唯一残った旧江戸城西の丸御殿が皇居となりましたが、1873年(明治6年)には失火により焼失。ということで、官軍にやられなくとも、なんだかんだで江戸城は殆ど姿を消してしまったんですね。

花菖蒲の時期に行ってみたいと思います。ただし、新宿御苑より菖蒲田に関しては小さいので、混み合うんでしょうね。

2012/09/07 (Fri) 06:16

ijin  

はじめまして

再々ご訪問頂いていたのは存じていましたが、今は、体力と一緒に、解読能力も落ちて、
ブログの中までは入って行けませんでした。

ブログ復帰の記事にコメントを頂いて有難うございます。
それが機縁で勇気を出して、お伺いして居ります。

高校までは日本史が好きで、得意科目でした。

記事中の松の廊下の浅野家播州赤穂は県境、私は隣り合わせの備前が故郷。
ブログももう少し時間の余裕が欲しいもの。

私は写真を載せていますから、ご訪問客が多く、応答に時間がかかります。

全体に力不足ですが、今後も宜しくお願い致します。

2012/09/07 (Fri) 11:24

AzTak  

Re: はじめまして

> 再々ご訪問頂いていたのは存じていましたが、今は、体力と一緒に、解読能力も落ちて、
> ブログの中までは入って行けませんでした。
>
> ブログ復帰の記事にコメントを頂いて有難うございます。
> それが機縁で勇気を出して、お伺いして居ります。
>
> 高校までは日本史が好きで、得意科目でした。

私は徹底した勉強嫌いで、大学入試がない高校に何とかかんとか潜り込みました。得意じゃない科目ばかりです。(笑)

> 記事中の松の廊下の浅野家播州赤穂は県境、私は隣り合わせの備前が故郷。

松の廊下の辺りは江戸城表と呼ばれる一角で、本物の松が植えられていたわけではなかったんですね。今で言うと、建坪率違反になるくらいの凄くごちゃごちゃした御殿だったようです。
その松の廊下で、吉良と浅野とが悶着を起こした。家来の立場になれば、カッとし易い主君だと大変だったでしょうね。藩内であれば諫める家来もいたことでしょうが、江戸城本丸御殿では主君の器量でやってもらわなくてはいけない。悲劇はそんなところから起きたんでしょうか。

> ブログももう少し時間の余裕が欲しいもの。
>
> 私は写真を載せていますから、ご訪問客が多く、応答に時間がかかります。
>
> 全体に力不足ですが、今後も宜しくお願い致します。

コメントを寄せたからといって、返信をどうしようと気遣っていただかなくて結構です。リタイア組の先輩が頑張っているなとは前々から思っていて、何かあればコメントを出してみたいとは思っていたのですが、なかなか入っていく勇気が出せませんでした。これからもマイペースで更新を続けていただければと思います。

写真を趣味にすれば、少なからず歩きまわるようになるだろうし、必然的にPCなどを扱うようになり、いろいろな意味で引きこもり状態に陥らずに済むかもしれません。自分に言い聞かせているようですが、私はPCだけはかなり以前から取り組んでいて、これだけでは老化防止にはなりません。(笑)

これからも宜しくお願いいたします。

2012/09/07 (Fri) 12:05

りら  

AzTakさん

松の廊下跡のお写真から忠臣蔵のお話興味深く拝聴しました
私が6年間通学した学校は 泉岳寺から徒歩20分程です
一期一会を感じました 

2012/09/07 (Fri) 18:45

AzTak  

Re: AzTakさん

> 松の廊下跡のお写真から忠臣蔵のお話興味深く拝聴しました
> 私が6年間通学した学校は 泉岳寺から徒歩20分程です
> 一期一会を感じました

皆さん、何かの縁があるものですね。

斯く言う私は本当に悲しいことに何の縁もないのです。些細な事でも構わないから何か縁がないものかと探し回りましたが、『無』はどこまで行っても『無』ということがわかったくらいでした。残念でした。

2012/09/07 (Fri) 19:37

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