皇居東御苑(5) - 皇居東御苑_2012_August
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皇居東御苑(5)

二の丸を後にし、いよいよ一段高いところにある本丸跡に向かう。

白鳥濠と汐見坂
本丸と二の丸をつなぐ坂道。結構な急坂。昔は、今の新橋から皇居前広場近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海が見えた。それが名称の由来だそうだ。太田道灌の時代はこの門が大手門だったとのこと。
汐見坂_1
汐見坂_2
汐見坂_3
汐見坂_4
白鳥濠

桃華楽堂など
このエリアは通常は一般の人の立ち入りはできない。そのため、一部の写真は皇居参観ガイドの写真を使用させていただいた。説明も引用のみ。m(_ _)m
桃華楽堂
桃華楽堂は、昭和41年2月に完成し収容人員は200名の音楽堂で、音楽好きの香淳皇后さまの還暦記念として建設されました。
鉄仙の花弁を形どった屋根と八面体の珍らしい建物で、ホール外壁のモザイク・タイルの図柄は、各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅と八面の正面から左へ順に陶片であしらっています。

桃華楽堂
宮内庁書陵部庁舎
40万点に及ぶ皇室の古文書と全国に存在する陵墓の管理を行っている。
皇居参観ガイドの写真を使用
宮内庁書陵部庁舎

楽部庁舎
宮内庁式部職の楽部では,雅楽の保存,演奏,演舞,宮殿で演奏される洋楽を担当しています。毎年秋には,楽部による雅楽の一般公開が行われています。通常は一般の人は入れません。
皇居参観ガイドの写真を使用
楽部庁舎

天守台
本丸の北端に位置している。最初の天守は1607年に完成し、このときの天守台は少し南にあった。3代将軍家光が大改修を行い、最終的な完成をみたのは1638年。このとき、現在の天守台ができた。天守は、外観5層、内部6階建てで、天守台を含めた高さが58mであり、天気が良ければ房総半島からでも見ることができたという。しかし、明暦の大火で焼失してしまい、再建策もあったが、家光の弟である保科正之(会津松平家藩主)の反対により再建は延期され、それ以後天守は建設されなかった。
天守台_1
天守台_2
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2012年09月06日
最終更新 -0001年11月30日

4 Comments

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ブーくん  

東京に長く住んでいるときはあたりまえのように近くに合った物に興味を持たなかったと、改めて気が付きます。
考えてみれば皇居の中には入った事もありません。
記事を拝見して行ってみたくなりました!

ゴンズイ、私も初めて聞きました!
お魚の名前かと思いました(笑)

2012/09/06 (Thu) 12:40

AzTak  

Re: タイトルなし

> 東京に長く住んでいるときはあたりまえのように近くに合った物に興味を持たなかったと、改めて気が付きます。
> 考えてみれば皇居の中には入った事もありません。
> 記事を拝見して行ってみたくなりました!

私も今回はじめてでした。汐見坂の坂を登ったあたりから足腰が疲れてきて、暑くて往生しました。次回記事でとりあげる石室ではヤモリの出現に驚き、富士見多聞では先客のカップルが立ち去るまで待っていたら、強力な藪蚊に何箇所も刺されました。富士見櫓は門が邪魔をして近くからでは写真がよく撮れません。何せ、レンズの向ける先には高貴なお方が住まわれているので。

天守台の方からだと、大奥、中奥、表ということになるんですね。ものすごく、建物が立て込んでいた感じなんでしょうね。松の廊下跡には本当に松がありました(笑
松の廊下は松の絵が描かれていたのでそう呼ぶようになったようです。

この本丸御殿ですが、文久の焼失以降は再建されずに、機能を西ノ丸御殿に移しているそうです。まずは早い時期に天守閣がなくなり、幕末には本丸御殿もなくなった。江戸時代から既に現在に近い形になっていたんですね。。

> ゴンズイ、私も初めて聞きました!
> お魚の名前かと思いました(笑)

どうも役立たずということで、ネーミングの際に連想されたようです。酷い命名法だ(笑

2012/09/06 (Thu) 14:07

りら  

AzTakさん

桃華楽堂のご説明で創立の意味等 色々なことが理解に及びました
いつもながら 丁寧に調べらていられるので感嘆しています
勉強させて頂いています 有難うご座います

2012/09/06 (Thu) 18:31

AzTak  

Re: AzTakさん

> 桃華楽堂のご説明で創立の意味等 色々なことが理解に及びました
> いつもながら 丁寧に調べらていられるので感嘆しています
> 勉強させて頂いています 有難うご座います

桃華楽堂は、昭和41年(1966年)竣工。設計は今井兼次+宮内庁管理部。今井兼次は、ガウディ論で有名な建築家。この建物は、寡作な今井の総決算・代表作として有名なんだそうです。

お叱りを受けるかもしれないので、敢えてコメントしませんでしたが、何と言うか非常に風変わりな建物です。洋風でも華風でもなく、平安時代あたりの最新デザインは斯くありなんという感じじゃないかと思ったのです。個人的には好みではありません。
あの一角のみ、本丸では宮内庁の専有部分です。木々で目隠ししていますが、それでも東御苑を訪れた人の注意を引く一角であることは否めません。

2012/09/06 (Thu) 19:17

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