諏訪大社御柱祭の上社山出しと山梨県の桜(7)
この寺に大変な歴史あり。かつては諏訪大社上社の別当寺『神宮寺』の中心だった大坊付属の宮寺だった。だが、それだけではなかったのだ。
『我々の頑張りで、…』『何オマエが頑張ったというのか』…というようなやり取りがあり、明智光秀が仲間の面前で信長に打ち据えられたという逸話が残っているとか。本能寺の変の伏線となったのだろうか?
いくら武田勢が信心していた神社だからといって、上社本宮をことごとく焼きつくすとは。戦国時代の常識は現代の非常識なのだろうか。これで武田方は消滅。
その際、信長は焼け残った法華寺に本陣を張り、織田方の論功行賞を行ったそうだ。家康は三河国一国を与えられ、明智光秀は過ぎたことを口にしたため、仲間の門前で信長に打擲された。此処から日本の歴史が大きく動いた。歴史の転換点だったことは間違いがない。
上社神宮寺跡
元別当寺。社伝では空海の創建といわれ、本宮の周りに大坊・上ノ坊・下ノ坊・法華寺の上社4寺ほか多くの坊があった。普賢堂・五重塔・二王門といった伽藍があったことが絵図からわかっている。なお、絵図に描かれる法花寺は法燈を現在に伝えている(現 法華寺)。

現在の法華禅寺
多くの貴重な文化財があったが、平成11年に放火により焼失してしまった。現在は新しい本堂が建てられている。



吉良義周の墓
高島藩にお預けの身となった義周。3年後に病死したが、家系が断絶してしまった吉良家からは、遺体を引き取るものがいなかったとか。悲しい運命があったものだ。




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