諏訪大社御柱祭の上社山出しと山梨県の桜(3)
難所とされる穴山の大曲
第一の難所、穴山の大曲。道が狭い上に屈折しており、巨大な御柱をうまく操ってスムーズに通過させるのは至難の業とされるそうだ。案内してくれたブログの友人が、どうやって写真を撮るかさんざん頭を悩ませていた。私は何も考えずに、適当にポジションをとっただけ。その差は大きかったかな?



木遣りの声を合図に、男綱・女綱と呼ばれる曳き綱を引き、梃子棒をかませ、御柱はゆっくりとこの難所を通過していきます。
下社の春宮
神楽殿
どういうわけか秋宮一之御柱の男元綱が鎮座していた。





社殿
秋宮の社殿とそっくりだなあと思ったら、下記のような事情があったようだ。なるほど。





春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に同じ絵図面が与えられたと見え、大きさこそ違いますがその構造は全く同じで、春秋両社の建築は彫刻に於て技が競われております。
下社春宮一之御柱

下社春宮二之御柱

下社春宮三之御柱

下社春宮四之御柱

下馬橋
天正六年(1578年)の造営帳にも記録があるのか。天正遣欧少年使節が出発したのが天正十年(1582年)だ。その頃にはとっくにできていたことになる。う~~ん。




社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。
里曳きの際に使われる春社木落しの坂
名物の木落しは、本日8日(金)から明後日の10日(日)までの3日間に亘って行われるので、誤解しないでいただきたい。

万治の石仏
血が流れだした伝説があるのか。恐れおののいて、鑿を入れるのを中止した気持ちはわからないでもない。そのユーモラスな風貌に癒される気がした。岡本太郎のお気に入りの石仏だそうだ。


