梅の季節の三渓園(1)
園内案内図

大池から奥を見た様子
誰をも魅了するだろう圧倒的な景観。これが個人の資産だったとは。
この景観がこの園の売り
正門をくぐるとこの景観がドーンと目に入ってくる。最高の景観。何度見ても飽きることがない。



大池にいた野鳥
特に変わった野鳥さんが居るわけではない。そうは言うものの、やっぱりいてくれたかと思わずほこっとしてくるから不思議だ。












鶴翔閣(旧原家住宅) 横浜市指定有形文化財 <貸出施設>
すごく立派な建物。比較的新しいので、まだ、国指定の重要文化財などにはなっていないが、さすが原三溪が建てた豪壮な邸宅であることがわかる。内部をじっくり見てみたいものだ。



1902年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりになりました。広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成されています。上空から見た形があたかも鶴が飛翔している姿を思わせることから、“鶴翔閣”と名づけられました。震災、戦災などをへて多くの改変がなされましたが、1998年(平成10年)から2000年(平成12年)にかけて修復工事を行い、建築当初の姿に復元されました。鶴翔閣には日本を代表する政治家や文学者が集い、横山大観、下村観山といった日本美術院の画家が創作活動のために滞在しました。こうした由緒ある歴史を背景に、現在、“利用できる横浜市有形文化財”として活用されています。大規模な日本間や広大な前庭を有し、茶会、句会などの日本的文化活動の場はもとより、国内外の賓客接遇、結婚披露宴、演奏会や展示会など、幅広い用途にご利用いただけます。
鶴翔閣平面図

鶴翔閣の近くから見た三重塔

三溪園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、和歌山3棟、神奈川2棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。三溪園の土地は、原富三郎三渓の養祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入したものである。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築であり、移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている。