横浜山手界隈を歩く(5)
隣接するベーリック・ホールと並んで、私の好きな西洋館だ。この日は飾り立てはほとんどなく、素のままの状態だった。それでも、素晴らしいたたずまい。アントニン・レーモンドの設計の素晴らしいさのなせる業なのだろう。
外観
こちらに面している側が元に建っていた位置でも南側だったのではなかろうか。陽光が燦々と降り注いだことなのだろう。

庭のオブジェが放置されているごみのように映ってしまった。下手な私の所為だ。m(__)m


室内


『違いが判る男の…』というCMがあった。こんなシチュエーションでコーヒーを飲む感じなどは如何だろうか。


何度も来ているのに、ここに楽譜入れが置かれていたのに、気づかないでいた。何を見ていたんだろう。往時は、相当にハイソサエティな暮らしぶりだったのだろう。




左側の面からの眺望が直下の通りだ。今は元町公園越しにマリンタワーが見える。この階下にある喫茶コーナーからも同様の眺望が楽しめる。元の建築位置での眺望はどんなだったのだろうか?





オブジェは『円結び』という作品だ。本来は赤い布切れを結び付けてオブジェを完成させていくのだが、先を急いでいたので、協力を惜しんでしまった。

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。
昭和57(1982)年マンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとしてご利用いただけます。
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