兵庫県内を見て回る(32)
最後の最後に見て回ったのは生田神社。なかなかの風格がある神社だった。
楼門


拝殿





本殿
撮り漏らしてしまったので、FREE画像を借用

史蹟生田の森
源平合戦の古戦場だったんだなあ。


境内末社の内の蛭子神社
境内には14の末社があるそうだ。そのうちの蛭子神社を撮ってみた。あの『えべっさん』さんなんだ。
生田神社社殿より西の参道正面
商売繁盛の神
御祭神:蛭子命(ひるこのみこと)


史跡の一つ、梶原の井(かじわらのい)
井戸そのものを撮り漏らしてしまった。あの文字が読めなかったのがショックだったのかなあ。井戸には覆いがしてあるそうだ。
一名「かがみの井」とも云われ、壽永の昔(800年前)源平生田の森の合戦の折、梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる。別説では景季がこの井の水を掬った時、咲き盛った箙のうめの花影が映ったとの伝もある。
けふもまた生田の神の恵かや
ふたたび匂ふ森の梅か香
景季


そのほか、さざれ石もあった。この後方が梶原の井ではないかと思う。

生田神社(いくたじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。同じ兵庫県内の廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。
かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となる。地元では「生田さん」として親しまれており、初詣時期にはもちろん、それ以外の時期にも参拝客が絶えない。
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201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。
以上で、長々と続けてきた『兵庫県内を見て回る』シリーズは終了です。最後までご覧いただき、大変ありがとうございました。