穴守稲荷神社 - 未分類
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穴守稲荷神社

後見人教育の実習前に空き時間に、往訪先に近い穴守稲荷神社を訪ねてみた。名前だけは知っていたが、行ったことはなかった。行ってみると、大変面白い神社のようだ。

本殿・拝殿
神使の狐_1
神使の狐_2
社務所
神楽殿
神輿庫

もともとは、現在の羽田空港の敷地内にあった。文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)を開墾したが、激しい波により、沿岸の堤防は度々被害を受けたようだ。そして、あるとき、堤防の腹部に大穴があいてしまい、ここから海水侵入が入ってくる危険が生じた。
そこで昔のこと、神に頼んだわけだ。堤防の上に一祠を勧請し、稲荷大神を祀った。これが穴守稲荷神社の始まりで、その時以来、神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく、五穀豊穣が続いたという。
『穴守』というのは、「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」ということだそうだ。

ということだったのだが、そこは料亭があり、釣堀があり、海水浴場があり遊園地があり競馬場があり、の一大行楽地であったのだそうだ。ところが敗戦により状況が一変する。米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)から48時間以内の強制退去を命ぜられた。同年9月、地元崇敬者有志の奉仕により境内地700坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田5丁目2番)に遷座した。
その後、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等を復興し、漸次昔日の面影を取り戻しつつあるとのことだ。そうは言うものの、昔日のちょっと逸れた意味での隆盛ぶりはなくなった。本来の神社のあり方からすれば、まっとうな形に帰ったということだろう。
しかし、こんな無茶な指示をするとは、米軍もあきれ果てたものだ。米軍関係者に祟りはなかったのだろうか?

ところで、この神社には、下記のような逸話が残っていて、今でもその砂を持ち帰る人は少なくないようだ。日本人はご利益があるとされるものには非常に弱いのが普通なようだ。それにしても、稲荷神社に伝わる狐の言い伝えとは、かなり都合の良すぎる話のように思えなくもないが。
伏見稲荷大社程ではないが、鳥居がずらっと並んで建てられているさまは、ちょっぴり壮観な佇まいである。
鳥居_1
鳥居_2
鳥居_3
奥の宮
様々な働きのお稲荷さま_1
様々な働きのお稲荷さま_2
様々な働きのお稲荷さま_3
様々な働きのお稲荷さま_4

奥之宮と神砂(あなもりの砂)
今は昔、羽田浦は要島に一翁あり。要島は干拓く島なれば堤にて固め成されり。然ど津波に襲し堤破るる事屡なれば、堤の上に祠を構へ稲荷大神を勧請するに、風浪の害止み之を以て穴守稲荷と称す。
或刻、翁漁より帰りて魚篭を覗くに釣せし筈魚は無く只湿砂のみ在り。翌も翌々も大漁なれど同く魚は無く湿砂のみ在るを訝しく思ひし翁、村衆に此を談る。衆人此を狐の仕業とし穴守稲荷の社を囲みて狐捕へけれど、翁此を赦し放てり。
此より後、翁漁に出ずる度大漁なり。魚篭には許多の魚と僅なる湿砂あり。嫗此の砂庭に撒くに忽ち千客萬来す。斯くて翁冨を得る
故、翁に肖り御砂以て招福の徳を得むと、穴守の砂求むる者四方八方より訪れり。
尚、今日に至る。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2012年08月22日
最終更新 -0001年11月30日

4 Comments

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りら  

AzTakさん

鳥居のお写真
とても斬新且つ個性的に撮影されています
カッコ良いと思いました

2012/08/22 (Wed) 07:01

AzTak  

Re: AzTakさん

> 鳥居のお写真
> とても斬新且つ個性的に撮影されています
> カッコ良いと思いました

ちょっと伏見稲荷の鳥居みたいですよね。太皷谷稲成神社にもあったような記憶が。
ここは砂をいただくもののようです。小さく短いものでしたが、却って身の丈に合っているような感じでした。

2012/08/22 (Wed) 07:16

aaconee  

おはようございます~~
御狐様の顔が怖いですね~
気が引き締まると言うか・・・・
このお話し興味深い。
鳥居迫力です!!!

2012/08/22 (Wed) 09:54

AzTak  

Re: タイトルなし

> おはようございます~~
> 御狐様の顔が怖いですね~
> 気が引き締まると言うか・・・・
> このお話し興味深い。
> 鳥居迫力です!!!

今まで寝ていたわけではないんですが、ともかく、こんにちは。実は、makiraさんのブログ記事を拝見して、急遽、九品仏浄真寺まで鷺草を見に行って来ました。

穴守稲荷の御狐様の顔は怖いですか?もう少しほこっとするような感じの方が良いとは思いますが、戦後のどさくさで大変なめにあって、デザインを考える余裕などなかったのでしょう。

江戸の人たちは逞しく生きたんですね。穴守稲荷は、大変な賑わいだったようです。料亭があり、釣堀があり、海水浴場があり遊園地があり競馬場があり、の一大行楽地だったとのこと。宣伝がうまくいきすぎて、…。
それが終戦で、神国日本の象徴である神社は厳しく当たられたんですね。法律もクソもあったもんじゃない。付近の住民ごと、48時間以内の退去なんてひどすぎる。
まあ、それで本来の神社らしくなったんだから、それでよしとしなければいけないんでしょうね。

こういうところもある程度で如何でしょうか。

2012/08/22 (Wed) 13:21

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