スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(6)
塩屋埼灯台
被災地跡
被災地跡の薄磯地区には、自然公園を作るのだそうだ。かつては多くの人が暮らしていたのだろうに、見る影もない。こんなに高くかさ上げするんだ。



帰りにも同じ道を通った


漸く灯台下に到着



『喜びも悲しみも幾年月』の記念碑
『喜びも悲しみも幾年月』という映画作品があることを知っている人は少なくなってきたかもしれない。映画の原作となった主婦の手記は、この塩屋埼灯台の灯台長夫人のものだった。

灯台への道の中腹から見た景観(灯台の北側)
薄磯海水浴場があった辺りなのだが、見る影もない。突き出した山の裏側が先ほどの整地を行っていた場所。

もう少しで灯台が立つ場所

こんなものがあった

灯台が立つ場所



豊間海水浴場側(灯台の南側)
右上に見えるのは豊間海水浴場の辺り。白砂青松かつ鳴き砂の海岸だったのだが。今にして思えば、津波の被害をまともに受けてしまう地形だったのかもしれない。
豊間と薄磯とで実に100人以上の方が亡くなられた。

真下から見た灯台
ここまででも十分怖いのに、さらに上まで上がる勇気はわいてこなかった

薄磯海水浴場の方向(灯台の北側)
かつては美しい海水浴場だったことがお分かりいただけるだろうか




灯台の近くには、美空ひばりの歌碑がある
聞こえてくる美空ひばりの『みだれ髪』。大変な名曲をまさに絶唱している。素晴らしい。

美空ひばりの歌碑
美空ひばりさんは、時々疲れると極秘で常磐湯本温泉のとある旅館の女将のところに、のんびりしに来ていたそうだ。女将ととめどない話をし、湯に入って気力を充実させて、東京に戻っていったそうだ。
そんな縁があり、再起第一作の作品は、この塩屋崎を歌いこんでくれたようだ。



