兵庫県内を見て回る(2)
写真展を見させてもらった後、その日いっぱい、ブログ仲間のkazさんに付き合ってもらった。我々が向かったのは、兵庫県豊岡市。出石で名物の皿そばを食べ、城下町を少し見て回り、そのあと、運が良ければコウノトリをみる。そんな大まかなスケジュールでいざ出発。
三の丸跡で開催された新蕎麦まつり
宿に戻ってNHKニュースを見ていたら、取り上げられていた。まさか、己の不格好な姿をTVに映されてはいなかったと思うが、注意しなくちゃ。そういえば、蕎麦玉ってのがあるそうだ。日本酒の場合の杉玉と同じで、『新蕎麦ができたよ』というしるしにするらしい。蕎麦玉を見たわけではないが、タイミング的には、そのタイミングだったようだ。





辰鼓楼
明治4年に建てられたが、当初は太鼓で時を知らせていた。そして、明治14年に地元の名医の池口忠恕が寄贈した大時計が設置されたとか。この時から時計塔となったのだが、札幌の時計台も同年に設置された。辰鼓楼は、日本最古の時計塔だと言われているが、どちらが先だったのだろうか。



蕎麦を食す
名物の出石そばを食べた。名物とされる皿そばを1人前と鴨汁蕎麦1人前とを注文した。非常においしかった。私が勘定を支払うつもりでいたのだが、申し訳ないことに奢っていただいた。そんな展開になるなら1人前にしておくのだった。
皿そば
お手塩皿5枚に盛ってある。ちゃんこ蕎麦と同じくらいのボリュームだ。独特のコシがあって、大満足。福島の大内宿といい、こちらの出石といい、信州からの蕎麦食文化が伝わったんだ。

ごちそうになった上にワサビまですりおろしてもらった。何から何まで、やっていただいて恐縮至極。

鴨汁蕎麦

店内の様子
さざれ石。岐阜県のものだが、どうしたわけか、兵庫県内で2度も見かけた。こちらの方はお好きなのだろうか。



これは何だろう。オニユズかなあ。


江戸時代中期の宝永3年(1706年)信濃国上田藩より但馬国出石藩に国替えとなった仙石政明が、蕎麦(信州そば)職人を連れてきたことに始まるとされる。現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で供される際に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まるとされる。昭和30年代(1955年~1964年)に「出石皿そば」として現在見られるスタイルが確立された。