またも出かけた日本民家園(10)
日本民家園の移築前に既に国からの重要文化財の指定を受けていた貴重な家屋。それが何ということか、園外からのロケット花火が茅葺き屋根に落下し、炎上した。一旦は鎮火したように見え、部分焼損で済んだかのように思われた。しかし、その夜に再度出火し、主屋を焼損した。通常の概念からすれば、全焼というべき状態だ。我々が見たものは、復旧修理工事が施された後のものだ。
外観
分棟型家屋といってもあとで継ぎ足した方が面積的に小さいと思うだろうが、こちらはむしろ大きい。広角レンズでデフォルメされているせいもあるが、明らかに大きい。間取り図でも確認したが、間違いがないようだ。


屋内
間取り

分棟型である分、土間が異様に広い。何もないと殺風景なのか、社会教育用の教材が置かれていた。一軒の家屋にこういうものが網羅されているなどということはないはずだが、校外学習中の子供たち用なのだろう。
解体時の発掘調査によれば、当初の土間は桁行2.5間程度の小さなものだったようだ。普通はそれが標準的なものだっただろうと思う。


撮っている辺りがもともとの土間だったようだ。それが理由があって、思い切り広げたようだ。

ここで刈り入れてきた雑穀などの保存のための処理が行われていたようだ。今のイメージで言えば、大規模農業法人のミニ工場といったところだろうか。


こちらも雨樋が

大して隙間がないと思っていたのだが、案外大きな隙間だった。これは、雨樋を設置しなければ、境目辺りがびしょびしょになってしまうわけだ。

主屋棟の焼損
平成2年7月29日、生田緑地内で打ち上げられた花火が屋根に落下し、主屋のヘヤを中心に焼損したが、復旧修理工事が行われ、平成4年10月31日に竣工した。
その様子を記録したYou Tubeにjump
国指定重要文化財
旧所在地:茨城県笠間市片庭
建物区分:農家(名主の家)、分棟型
構造形式:主屋=寄棟造、茅葺、桁行9.6m、梁行8.3m/土間=寄棟造、妻入、茅葺、桁行10.0m、梁行8.3m
建築年代:主屋=17世紀後期/土間=18世紀後期
家の中に雨どいのある二つ屋根の家