クルーズ船の入港ほか(1)
どちらのクルーズ船も朝の入港でその日の夕方には出港する予定になっているようだ。横浜港といえども、クルーズ船の入出港は毎日あるわけではない。見逃さないように行ってみることにした。
お目当てのクルーズ船
セレブリティ・ミレニアム
文字通り東方に着桟。白鵬のようなものだなあ。

大さん橋からはみ出しそうに見えなくもない巨大クルーズ船だ。うーーん、でかい。

飛鳥Ⅱ
文字通り、西方に追いやられてしまった。仕方がないなあ。

レストラン・クルーズ船の後方に停泊している。日本のクルーズ船では最大とは言うものの稀勢の里クラスかなあ。もちろん、サービス内容で勝負なのだろうが。

大さん橋に向かう途中の様子
横浜市発展記念館・横浜ユーラシア文化館
みなとみらい線日本大通り駅3番出口にある。
横浜都市発展記念館と同居する形の建物は、元来、横浜市外電話局として利用されていた。旧横浜市外電話局は1929年(昭和4年)、横浜中央電話局として建築された。設計を行ったのは、建築家として戦前・戦後の長期にわたって逓信省・郵政省の営繕組織を率いた横浜出身の逓信省技師である中山広吉によるものである。建物の外壁に濃茶色のタイルを全面に貼り、装飾を控えた堅実なデザインでありながら、2階から4階をまとめる柱型や壁の頂部の石のコーニス(水平の出っ張り)などに古典主義様式の構成を残すなど、昭和戦前期の逓信省特有の意匠が見られる。4階建ての建物は電話局としての機能から、各階の高さが異なっており、1階と3階は高くそれぞれ営業室、交換室として使われていた。また、2階には局長室、技術館室などの業務スペースが、5階には交換手のための休憩室や食堂、宿直室が設けられていた。


大さん橋に向かう

日本キリスト教会横浜海岸教会

横浜開港資料館

横浜貿易会館


昔はこんなだったようだ

螺旋杭
びっくりするほど長い杭だ。調べてみたら、輸入した鋳鉄管を4本繋いで16-20mにしたようだ。よくこんなもので101年も旧大さん橋を支え続けたものだ。


この鋳鉄製螺旋杭(スクリューパイル)はイギリス・グラゴーのバロー・フィールド鉄工所製。鉄杭のスクリューは、支持力を高めるために取りつけられたものです。スクリューの直径は約150cm。杭の直径は約30cm。4本の杭をつないで約16~20mにして使用しました。
鉄杭は高価でしたが、当時ヨーロッパでは実績があり施工上信頼性のある工法でした。パーマーは信頼できる母国の技術を横浜港に導入したのです。日本では、1870(明治3)年の大阪の高麗橋をはじめ、武庫川鉄橋、羽根田燈台、港では1876(明治9)年の神戸鉄道桟橋が最初でした。横浜港の後も大阪港大桟橋、名古屋港桟橋も鉄螺旋杭(スクリューパイル)で建設されました。
横浜港では、第2期築港工事(1899~1917年)の大さん橋拡張工事で新しい杭が増設され、また関東大震災の復旧工事では大きな被害を受け新替されました。その後は大さん橋再整備工事にともない1994(平成6)年にすべて引き抜かれるまで、ずっと大さん橋を支えてきました。
象の鼻近辺


先ほどセレブリティ・ミレニアムの入港を指揮していたパイロット船だ。御役目ご苦労様。
