清澄庭園・深川江戸資料館など(9)
長屋の住民たち
【木場の木挽職人】
昔は、製材するって言っても、便利な製材用の機械など無く、鋸で切り出すしかなかったんだろう。そういう職人は少なからずいた事なんだろう。無茶苦茶ガテン系の仕事だったのだろう。佐賀と木場とはそれほどの距離ではなかったから、木場の木挽職人がこの町にも居たのだろう。
衝立が部屋の隅においてある。あとに登場する三味線師匠や船頭、舂米屋の職人のところにもある。着替えが必要な職業のエチケットだったのだろうか。
畳は江戸間で4畳か。かなり狭いなあ。何だかんだで6畳程度か。でも、他では余り見られない畳敷きだぞ。狭いけれどもちょっぴり贅沢だったんだ。う~~ん。
木場で働く職人らしく、大鋸や鳶口、大工道具が置かれています。箱膳は夫婦二人分、女房の化粧道具もあります。

確かに箱膳は夫婦二人分、夫婦暮らしだったんだ。女性も多少はお化粧をしたのかな。


【読み書き、手習い、裁縫、三味線師匠】
於し津さんか。小股の切れ上がった良い女を連想してしまうが、そんな人物だったのだろうか。障子に書いてあるデザインは何を意味したのだろうか。
読み書き、手習いなども教えていたのか。どうせ簡単なものだろうと言うなかれ。くずし字など今の人には殆ど読めないはずだから。
読み書き、手習い、裁縫、三味線を教える師匠の長屋。室内はもとお店のおかみさんだった人らしいたたずまいです。






【船頭】
お客を送迎するだけでなく、機会があれば投網などもしていたのか。其れくらい出来ないと船頭とは呼べなかったのかなあ。
それにしても、投網は乾いたものを網繕いのために持ち込んでいるのだろうか。濡れたままでは畳が腐ってしまう。
船宿升田屋の船頭の住む長屋。室内には投網や手甲脚絆などが置いてあります。



【舂米屋の職人】
舂米屋の職人って、必要だったのだろうか。米俵を蔵に収納したり、店に出したりする、運搬作業が中心かな。最下級の職人だったのかもしれない。
舂米屋上総屋の通い職人とその女房、2歳の子供が住む。小さな子供の家らしく、入り口には風邪除けのお札や疱瘡除けの俵の蓋、裏の物干し竿にはおしめが干してあります。




【棒手振】
剥き身の政助さんか。剥いた貝は、深川丼用のあさりが中心かな。商売柄、板の間暮らしか。他の畳暮らしの住人たちが羨ましかったのではないだろうか。
そういえば、この辺で深川丼をいただくんだった。
アサリやシジミを天秤棒で担いで売り歩く棒手振の住む長屋。畳も敷かず質素な生活振りがうかがわれます。



【長屋の井戸ほか】
井戸と便所とは至近距離にあって、お世辞にも清潔とは言いがたいが、昔はみんなこんなものだったのだろう。それで死んでしまうような人は、生命力のない人物として淘汰されたのだろう。
井戸と共同便所、ゴミ溜め、お稲荷さんがある長屋住民の共有スペースです。


以上で『清澄庭園・深川江戸資料館など』シリーズは終了です。最後までご覧頂き有難うございました。