清澄庭園・深川江戸資料館など(8)
船宿ほか
堀割と猪牙船
猪牙舟が浮かんでいる。如何にも船宿の前という設定になっているなあ。猪牙舟は如何にも猪牙という感じだ。
深川は小名木川をはじめ縦横に掘割がはりめぐらされる町でした。展示室の掘割は、木場と隅田川をつないでいた油堀。
猪牙船は、数人乗りで船頭は一人が通常。「江戸の足」として利用されました。


船宿
あれまあ、船宿ってそういうところだったのかなあ。もうちょっと男の楽しみの場だったようなイメージが私の中にはあったが、…。下衆の勘繰りだったかなあ。
船宿とは、もともとは船で遊びに行く客を送り迎えするところでした。展示室では、堅実な「升田屋」と派手な「相模屋」という設定です。
派手な船宿「相模屋」
派手なのかなあ。朴念仁の私にはよくわからない。



舟が到着するまでの間にちょっと一杯やるようなふうになっていたのだろう。肴も少しは用意出来たのかな?

竈が土を捏ねた安物ではなく、銅の板で出来ていた高級品なんだ。中に水を入れて、薬缶のように使っていたのかなあ。きれいなものだなあ。これは江戸時代のシステムキッチンといったところだろうか。





唯一派手かなと思わせるのは、三味線を弾く用意がされていることくらいだろうか。


堅実な船宿「升田屋」
若干おとなしめに見えなくもないが、そうなのかなあ。




こちらも竈には銅の板が使われているぞ。並んで建っていれば、そんなにグレードを落とせないというところかな。







佐賀町のコミュニティスペース
火の見櫓
これは現存していたら人気を呼ぶだろうなあ。昔のものは、情緒があるなあ。川越の『時の鐘』を思い出してしまった。鉄製の火の見櫓の数倍いい感じだ。

水茶屋
よしず張りの「水茶屋」は今の喫茶店に相当するものだそうだ。

床店
寿司や天ぷらは、その当時のファーストフードだったのかな。当時は何を揚げて提供していたのだろう。ハゼの天ぷらなどだろうか。
