大内宿~鶴ケ城~相馬野馬追(1)
以下はその時の記録。初日は大内宿から観光が始まった。
大内宿(1)
見晴台から見た様子
前方に見えるのは、モーガンクラシックカークラブのクラシックカーのようだ。邪魔だと文句を垂れる人もいたが、福島復興の賑やかしとして来てくれているのだろう。それはそれで感謝しなくてはいけない。見晴台から見た様子は、後の回でもう何ショットか取り上げる。

南仙院分家長沼さんの新装なった茅葺屋根
部分的な修理の差し茅は日本民家園で見ているが、なかなか全面葺き替えの屋根はお目にかかることが出来ない。もう既に終了したが、まだ新しい屋根があった。きれいなものだった。ここ大内宿では『大内宿結いの会』が結成され、萱葺きを行うような話を聞いている。そうでなければ、高くなってしまった茅葺きの葺き替え作業はできかねるのだろう。
調べてみたら、それまでトタン屋根だったところを茅葺屋根に戻したようだ。そういう意味では、全面的に新しく葺くのはあたりまえだ。


南仙院分家長沼さんの屋根葺き作業の様子を記したHP1へjump
南仙院分家長沼さんの屋根葺き作業の様子を記したHP2へjump
宿場の様子(1)
一本の長ネギで食べるおそばが有名なお店だとか。この宿で出される蕎麦は、高遠そばというようだ。ここは奥州、信州ではないのにどうしてなのと思った。保科正之が高遠から移ってきたことと関連があるようだ。そうなのか。



こちらは差し茅の作業中かな

道端には桔梗が花盛り

段々それらしくなってきた



工事中の家屋も

お客さんが結構来ているようで何よりだ


目立つところなのに、残念だなあ

時間があれば、ゆっくり見て回りたいところだが、何しろ時間が限られている。面白そうなのに、とても残念。観光バスツアーの宿命かなあ。




高倉神社の第一鳥居。行ってみたかったが、かなり遠そう。行ったら完全アウトになると断念。高倉神社と並んで古峯神社とも書かれている。どういうことなのかなあ。
この神社は第77代後白河天皇の第2皇子似仁王が治承4年(1180)5月平家追討に失敗して信濃から上野、そして桧枝岐を越えてこの地に草鞋を脱いだと言われており、この高倉宮似仁王をお祀りした神社と言われています。大内の地名も高倉宮似仁王より賜ったそうです。



