何度目かの川崎市立日本民家園(12)
ここは、この日本民家園の敷地の一番高いところにあり、すぐ下の展示家屋のところから、長い階段道をえっちらおっちら上らなくてはならない。疲れた脚には意外に堪える。でも、頑張って行くだけの価値はあると思う。
外観

建物正面舞台の様子
回り舞台になっているのがわかる。夜の公演は強力な照明がなかった時には難しかったのかなあ。
それにしてもこんな大掛かりな仕掛けを作るとは、昔の農村や漁村は力があったのだろうか






建物地下の奈落
腰を屈めて、頭をごツンとぶつけないように注意が必要






この坂を上っていくのだ
この先が急勾配で、闇休み上り降りする人が目立つ。ムリしないほうが良いのにと思いながらも軽く会釈してすれ違う。

重要有形民俗文化財
旧所在地:三重県志摩市大王町船越
建物区分:歌舞伎舞台
構造形式:正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、一部二階、桁行9.1m,梁行10.8m/側面出語付、桟瓦葺/背面庇付、桟瓦葺、桁行10.8m、梁行2.7m/側面楽屋付、切妻造、桟瓦葺、桁行5.3m、梁行7.3m
建築年代:安政四年(1857)、墨書
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回り舞台を備えた漁村の歌舞伎舞台
この舞台は、もと志摩半島の漁村の神社境内にありました。建てられたのは江戸時代末期の安政四年(1857年)です。
屋根は正面が入母屋造、大棟(おおむね)には凝った鬼瓦を配しています。これに対し背面は切妻造で、鬼瓦も小さく単純です。こうした外観は、正面性を重視する舞台建築の性格をよくあらわしています。なお、鬼瓦や軒先瓦につく「若」の字は、舞台建築に若者組という伝統的青年組織が関わったことを記念するものです。
舞台両側の張出し部は出語りといい、上手(正面に向かって右側)は芝居の語り手の席、下手は寄付金を扱う会計係の席です。
舞台装置としては、直径三間(5.4m)の回り舞台、スッポン(せり上がり)のある花道、高所作業用の簀子(すのこ)等、歌舞伎芝居のために必要なものはほとんど備えています。
見どころポイント!
瓦の「若」の文字は、舞台の建築に若者組が関わったことを示しています。
建物地下の奈落は、回り舞台を回すための空間です。