試し撮りで近くを回る(5)
清水窪湧水を遡る
とりあえず、地上に出ている部分をたどる







この辺にはアメンボがいっぱい



この先は大岡山駅方面へ上り坂になる。流れは暗渠になっているようだ。ということで、この部分は省略。
清水窪跨線橋
ここをどういうふうに水を通しているのだろうか。空中を水の管が渡してある感じは無い。

考えていたら電車がやってきた。目黒線経由の三田線の電車だった。


清水窪湧水
少し道を間違えたが、何とか断念せずに到着。細い階段を下る。

赤い手すりの奥に湧水が流れている。『東京の名湧水57選』の表示があった。百選を数えるほどには存在しないということなのだろうか。

チョロチョロしか流れていないようにみえるかもしれない。そうだとすると私の腕が未熟だからだ。結構な湧出量で、音もそれなりに派手だった。少なくとも、等々力の滝とは比べ物にならないくらいのように見えた。ここが国分寺崖線の最も端になるのだろうか。






この湧水が下流の洗足池に流れ込んでいる。昔は、湧水はいくらでもあったようだが、今は唯一生きている湧水のようだ。池の水の色を見ると、鉄分を含有しているような色合いだ。


帰り道
大岡山駅前
東工大


東急病院


駅前の花壇


鉄飛坂帝釈堂
『てっぴざかたいしゃくどう』と読ませる。



洗足池でも思ったことだが、『ほりの内』って、どこのことだろう?杉並区にある『堀之内妙法寺』のことかなあ。だとすると、早足の人でもゆうに3時間はかかるぞ。かつての碑衾村は日蓮宗の勢力範囲だったようだ。





坂上左手の平町二丁目18-13にある。
境内には計6基の庚申塔が存在するが、この内堂内に安置されている4基は昭和57年2月4日に鉄飛坂庚申塔群として区の有形文化財に指定されている。3基は板碑型で、延宝8年(1680年)、貞享2年(1685年)、天保13年(1837年)のものがある。1基は柱型で、明治14年(1881年)に造られ、題目と帝釈天が彫られている。
堂外の2基は入って左手に縦に置かれている。前の1基は青面金剛が彫られており、後ろの1基は文化7年(1810年)2月建立で、「左ハ池上 右ハほりの内」と書かれており、道標の役目も果たしていた。
試し撮りに関しては、被写体が比較的近い範囲にあるときには、結構使い勝手が良さそうに思えたというのが今回の感想。もう少し使い込んでみたいが機会があるだろうか。
以上で、『試し撮りで近くを回る』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂きありがとうございました。