等々力渓谷を歩く(4)
神変窟
手前の様子
まるで、この地で修行していたかのように見える。前述のとおり、私はそのようなことはなかったと考えている。しかし、ここに神変窟を用意した関係者はそうは考えなかったのかもしれない。
岩場の斜面に祀られた小さなお堂。両手で抱えられるほどの大きさだが祀られているのはガマカエルだとか。木標の文字は消えそうだった。写真でも見えているように、『役行者神変…』と、かすかに一部が読める程度。

神変窟とされるところ
役行者の修行を否定する根拠があるわけではないが、役行者が籠もったという証拠も何もなさそうだ。而、真相はどうなのだろうか。



満願寺別院等々力不動尊
恥ずかしながら、場所が少し離れている満願寺の方には行ったことがなく、いつも別院の等々力不動尊に参拝するだけで済ませている。
渓谷から役行者の神変窟を経由して、等々力不動尊に上っていく。

不動明王の倶利伽羅剣
さらに階段を登ると不動明王の倶利伽羅剣があった。右へ下れば弁天堂桜と梅林の明王台、左へ上れば本堂へと向かう。



舞台
季節には桜や紅葉の名所となるのだろう。また、豆まきもここから行うとか。多目的施設のようだ。



手水舎
この辺りからの景観は最高


境内に足を踏み入れる
かなりきれいな境内だ。折から『茅輪念珠潜り』の準備中だったようで、茅の輪が用意されていた。













弁天堂と弁天池



地蔵堂


滝轟山明王院
本尊は不動明王で真言宗智山派に属し満願寺の別院で、寺伝によれば、1300年前推古帝の頃、役の行者(役の小角〉が霊夢を見、不動尊を彫られた。
800年前、和歌山の根来寺の興教大師がある夜夢を見られ「武蔵野国調布の丘」に不動尊を祀るよう告げられた。大師は不動尊を背負って、「調布の丘を経巡り、此地に来たり、澤泉を山頭より噴出するを見、併も山頭の辺り瑞雲霊愛雲建す。大師はその霊地なるを悟り、一宇を建立す。」「玉川栞」と、開基が物語られている。
本堂は、江戸末期の建造である。拝殿は昭和27年、山門は、昭和43年8月、満願寺改築の折移築したものである。
以上で『等々力渓谷を歩く』シリーズはお終いです。最後までご覧いただき有り難うございました。