善福寺から清正公まで(1) - 善福寺から清正公まで_2015_Mar
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善福寺から清正公まで(1)

啓蟄はとっくに過ぎた3月17日。久しぶりの好天気に、ひきこもり気味の私も、どこか歩いてみようと思い立った。どこへ行こうか当日になって考えたので、時間的に遠出は無理。近場で行ったことのないところということで、まずは善福寺を目指した。
東京都杉並区の地名の方ではなく、港区元麻布一丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院である麻布山善福寺の方。都内では、浅草寺に次ぐ古刹の一つで、境内には著名人の墓も多い。


赤い靴の女の子のモデルのきみちゃん
子供の頃、異人さんに連れられて彼の国に渡ったと思っていたのに、実際には悲しい運命が待ち受けていた。この麻布十番の地で結核のために亡くなっていた。作詞した野口雨情もきみちゃんは異人さんに連れられて彼の国に渡ったと思っていたようだ。
きみちゃんの像
きみちゃんの像
きみちゃんが息を引き取った「永坂孤女院」があった場所に存在する十番稲荷神社
やけに陽気な場所に変身したものだ
「永坂孤女院」があった場所に存在する十番稲荷神社_1
「永坂孤女院」があった場所に存在する十番稲荷神社_2

是非とも読んでいただきたい。悲しい運命に翻弄された人が居たものだ。
きみちゃんの特集記事が載っているページヘjump

きみちゃんの像に行く手前に有名なお店があった
浪花屋総本店
往年の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」のモデルとなったお店。明治42年創業、日本で初めて「たい焼き」を考案したのだそうだ。この日は定休日だったようで、たい焼きを買うことができなくて、残念。もっと残念そうな顔のご婦人が2人、諦めきれなさそうな表情で立っていたのが印象に残った。
浪花屋総本店
豆源本店
地方上京組の私には何故有名なのかよくわからないが、とにかく有名。調べてみたら、慶応元年(1865年)の創業以来、豆の持ち味と風味を守る製法で豆菓子の味覚を追求してきた店とのこと。豆菓子一筋に150年もの歴史があるお店のようだ。
少し奥には永坂更科もある。こちらも超有名店だ。

豆源本店_1
豆源本店_2

きみちゃんの像を過ぎてそのまま直進すると数分程度で、善福寺に到着する。今回はかなり遠回りをし、像の前で右折した。元麻布から仙台坂を経由して、ぶらぶら歩きを楽しみながら行くことにした。

ブラ歩きの途中は超高級住宅地
私の住んでいる街とは段違いだ。この一画はむちゃくちゃお寺さんが多い寺町だ。
ブラ歩きの途中は超高級住宅地_1
ブラ歩きの途中は超高級住宅地_2
ブラ歩きの途中は超高級住宅地_3
ブラ歩きの途中は超高級住宅地_4
ブラ歩きの途中は超高級住宅地_5
ブラ歩きの途中は超高級住宅地_6

こちらはかの有名な六本木ヒルズ
恥ずかしながら一度も中にはいったことがない。大きな理由の一つに高いところが苦手という理由があるかもしれない。
六本木ヒルズ
こちらは元麻布ヒルズ
森ビルが開発した高級レジデンス群。写真はその内のフォレストタワー。善福寺正面から山門を見上げると巨大な和蝋燭状のシルエットが借景としての趣を醸し出せるように意匠されているそうだ。それは着いてからのお楽しみだが。
こちらは元麻布ヒルズ
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2015年04月02日
最終更新 2015年04月02日

17 Comments

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cobo-fe  

「赤い靴」の詩のモデルがあったんですね~
初めて知りました。
豆菓子一筋150年もすごいですね。消費者の支持が会ってのことですね。
この辺りにも探せばいろいろありますね。

2015/04/02 (Thu) 07:31

Wansuk  

リンク先も拝読しました。
改めてAzTakさんの画像を拝見すると、きみちゃんの表情がいかにも哀れに感じられます。

2015/04/02 (Thu) 08:37

-  

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2015/04/02 (Thu) 08:47

Meguru  

こんにちは

赤い靴の女の子は「横浜の波止場から・・・」ってうたわれていますけど、
実際は孤児院で母親に会うこともできず9歳で亡くなったということらしていですから悲しいですね。
結核とかの、細菌・ウイルスによる感染症はいまも恐怖ですわ。

2015/04/02 (Thu) 12:00

のんびり熊  

AzTakさん

こんにちは
「赤い靴」のきみちゃんは知りませんでした。
単なる童謡だとばっかり思っていました。
タイ焼きの本家本元はここでしたか。
そういえば人形町に美味いたい焼きが有りましたよ。
今はどうなっているのか。

2015/04/02 (Thu) 12:58

S-masa  

こんにちは。

「赤い靴」の童謡は多くの人が知っていると思いますが、実際の悲話を知っている方は少ないのでしょうね。
元々悲しい歌詞ですが、実在の子は更に悲しい運命を辿ったのですね。
色々参考になりました。

2015/04/02 (Thu) 13:35

きらり  

ものすごく近くにいらしたのですね
コリンが元気だったらお散歩してたから写真を撮っている姿を見かけて「あら?どこかで見た顔」ってなったかも(笑
麻布十番商店街は火曜がお休みです。

2015/04/02 (Thu) 14:50

SONOMI  

この歌はそういう意味だったのですね
もっと悲しく聞こえてきますね・・・
たくさんの写真いつもありがとうございます
お散歩させていただいた気持ちになり楽しいです♪

2015/04/02 (Thu) 18:12

AzTak  

Re: タイトルなし

cobo-feさん、こんばんは。

> 「赤い靴」の詩のモデルがあったんですね~
> 初めて知りました。

モデルに成った少女は居たとは思っていましたが、異国に渡ることができずに孤児院で短い生涯を閉じたとは、想像もできないことでした。
それにしても、東洋英和の学生さんたちは良いことをしたものですね。有志が頑張って孤女院を開設したことで、きみちゃんも何とか安らかに死の床につくことができたようで、不幸中の幸いだったかもしれません。村岡花子女史もここの卒業生でした。

> 豆菓子一筋150年もすごいですね。消費者の支持があってのことですね。
> この辺りにも探せばいろいろありますね。

あるのかもしれませんが、私には些か敷居が高い都内の超一等地です。

2015/04/02 (Thu) 21:58

AzTak  

Re: タイトルなし

Wansukさん、こんばんは。

> リンク先も拝読しました。
> 改めてAzTakさんの画像を拝見すると、きみちゃんの表情がいかにも哀れに感じられます。

肉眼で見た時は可愛らしい幼女に見えたんです。光線の当たり方が良くなかったのか、ちょっと悲しげな表情に見えてしまいますね。
元気に健気に生き抜いた少女だったと思っておいてください。心のうちは、近く天に召されるかもしれない予感があったでしょうから、寂しくて、怖くて仕方がなかったのかもしれませんが。

2015/04/02 (Thu) 22:03

AzTak  

Re: こんにちは

Meguruさん、こんばんは。

> 赤い靴の女の子は「横浜の波止場から・・・」ってうたわれていますけど、
> 実際は孤児院で母親に会うこともできず9歳で亡くなったということらしていですから悲しいですね。
> 結核とかの、細菌・ウイルスによる感染症はいまも恐怖ですわ。

今年90歳になる私の母も、かなり思い結核を患っていました。子供心に母はもうじき死んでしまうと思うほどでした。それが未だに生きています。
キモちゃんも、15年くらい後の発病だと、あるいは助かっていたかもしれませんが、厳しい運命に苛まれたんですね。

2015/04/02 (Thu) 22:09

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 「赤い靴」のきみちゃんは知りませんでした。
> 単なる童謡だとばっかり思っていました。

実在のモデルが居るとは思っていました。実は私でしたと、米国から名乗りでてこないのはなぜかと思っていたんです。名乗りたくても名乗ることができなかったんですね。

> タイ焼きの本家本元はここでしたか。
> そういえば人形町に美味いたい焼きが有りましたよ。
> 今はどうなっているのか。

なんでもはじめに考えだした人がいるものなんですねえ。私も甘いもの大好きで、どこでも入って行きたい方なんですが、さすがに一人だと、女性客にジロッと睨まれるような気がして、…。

2015/04/02 (Thu) 22:15

AzTak  

Re: こんにちは。

S-masaさん、こんばんは。

> 「赤い靴」の童謡は多くの人が知っていると思いますが、実際の悲話を知っている方は少ないのでしょうね。
> 元々悲しい歌詞ですが、実在の子は更に悲しい運命を辿ったのですね。
> 色々参考になりました。

農村の口減らしで米国に渡ったとしても、もしかしたら、幸せな人生を歩んでいたかもしれないと考えていたのですが、甘い考えでした。結核は当時は業病だったのでしょう。
漸く治療法が見つかり、死の病ではなくなりましたが、その当時は奈落の底に突き落とされるようなものだったのですね。年端もいかない子供なのに、かわいそうな人生を歩んだものです。

2015/04/02 (Thu) 22:24

AzTak  

Re: タイトルなし

きらりさん、こんばんは。

> ものすごく近くにいらしたのですね
> コリンが元気だったらお散歩してたから写真を撮っている姿を見かけて「あら?どこかで見た顔」ってなったかも(笑

福沢先生のお墓を見ておきたくて、ブラ歩きをしてしまいました。
そういえば、お近くなんですよね。でも今は、散歩どころではありませんよね。絶対にきらりさんに深い感謝の気持で病魔や老いと戦っていることと思います。

> 麻布十番商店街は火曜がお休みです。

そうなんですか。私もちょっと残念でしたが、ご婦人の残念そうな表情が印象的でした。

2015/04/02 (Thu) 22:32

AzTak  

Re: タイトルなし

SONOMIさん、こんばんは。

> この歌はそういう意味だったのですね
> もっと悲しく聞こえてきますね・・・

作詞の野口雨情は、もらわれて異国の地に行ったと思い込んでいたようです。行った先で、幸せに暮らしているだろうことを念じて、作詞したんだと思います。そうでなければ、あんな歌詞は思いつかなかったことでしょう。
現実が厳しかっただけです。厳しすぎて、言葉もありませんが、東洋英和のお嬢さんたちが奔走した孤女院で安らかに死の床につけたことだけは、不幸中の幸いだったかもしれません。

> たくさんの写真いつもありがとうございます
> お散歩させていただいた気持ちになり楽しいです♪

何より私自身のボケ防止でやっています。くどい展開に引きずりこんでしまい、却って申し訳ありません。

2015/04/02 (Thu) 22:40

HARU  

こんばんは。

赤い靴・・・きみちゃんの話。そうですか、北海道開拓での知られざる悲話は星のごとくあるのでしょうね。親と子が離れ離れにならざるを得ない非情な現実。幼子の話はとくに身につまされます。あらためて今を普通に生きていることの幸せを思います。

2015/04/02 (Thu) 22:43

AzTak  

Re: こんばんは。

HARUさん、こんばんは。

> 赤い靴・・・きみちゃんの話。そうですか、北海道開拓での知られざる悲話は星のごとくあるのでしょうね。親と子が離れ離れにならざるを得ない非情な現実。幼子の話はとくに身につまされます。あらためて今を普通に生きていることの幸せを思います。

本当にそうですね。先の時代に生きた人たちの苦労の上に、今日の我々の生活が成り立っているのでしょう。感謝しないといけませんね。
不幸な話は限りなくあるだろうとは思いますが、それでも身につまされますね。こんな朴念仁でも、最近は涙腺が緩くなってきました。

2015/04/02 (Thu) 22:49

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