妙見堂




元は日蓮宗の坊様の学校『南谷檀林』の鎮守として創立された堂宇で、妙見大菩薩を奉安する。
慶応2年(1866)の再建で、明治初年に南谷檀林は廃檀となったが、その後にも増築工事が行われたようだ。
江戸末期の社寺装飾彫刻が残されている。これがなんともいえず素晴らしい。出先だったので、偶々持ち合わせたコンデジで撮影した。細部がきちんとわからないのが残念だ。
奈良時代の頃から江戸末期まで神仏は融合し習合されていた。明治の御世の神仏分離によって、現在は妙見様は神社に属するものが多いが、妙見堂のようにお寺さんの中に残っていてもおかしくはないのだろう。
それにしても何故、妙見信仰が商売繁盛に繋がるのだろう。うーーん、よくわからない。ともあれ、冬至星祭りが賑わいのピークだそうだ。




宝永7年(1710)の大火で妙見堂が消失したことから、全面的に管理が照栄院に移管された。檀林の中にあり修行僧の信仰を受けていた妙見尊像が、どうして壇信徒の信仰を受けるようになったのか、そこには、妙見尊像の修復の際に広く浄財を求めたことに起因するという。特に「講中」の役割が大きかった、のちに「妙見講」として商売繁盛の神として多くの参詣者を集めるようになった。