葉山と浦賀(2)
新逗子駅から葉山を目指し、歩き始める。この日は快晴なのだが、富士山は全く見えず。無風なのが災いしたようだ。富士山が見えないことは行く前から覚悟してはいたが、それでも悔しい。
田越川
きれいな川で、私の大好きな川だ


六代御前の墓
六代御前は鎌倉ではなく逗子で処刑されたのか。この辺りは、血なまぐさい話とは無縁の高級住宅地なのだが、当時は、名越切通しの外側の郊外だったのだろう。清盛の曾孫まで処刑しなくても良かったのではないかと思うのだが、頼朝は弟も追い出したような人物だったから、…。六代の死により、清盛の嫡流は完全に断絶したことになったようだ。平氏は平正盛から数え始めるのか、知らなかった。(^_^;)








六代御前[平六代(高清)]は、平維盛の子で平清盛の曾孫にあたる。
六代は、壇ノ浦の合戦後、源頼朝に命じられて平氏残党の探索をしていた北条時政によって捕らえられるが、文覚の助命嘆願によって助けられた。その後、出家して「妙覚」と名乗っていたという。
しかし、頼朝が亡くなり、文覚が「三左衛門事件」で流罪となると、六代も捕らえられ、1199年(正治元年)、田越川で処刑されたという。
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六代という名は平正盛から数えて六代目に由来するという。
正盛→忠盛→清盛→重盛→維盛→六代御前
さらに、葉山に向けて歩き続ける。すると途中にこんなものがあった。
六十六部供養塔
神武寺の境内にも六十六部供養塔があった。ここにも残っているようだ。至近距離とはいえ、あちらは山の中。残っていてもおかしくはないが、こちらは住宅地。よくぞ残っていたものだと思う。

富士見橋と渚マリーナ
名前の通りこの橋から富士山がくっきりはっきり見えるのだろう。見えたらよかったのだが。
そして、こんな海からは少し引っ込んだところにマリーナがあるんだ。どうやって水に浮かべるのかと思ったが、田越川から出すようだ。なるほどねえ。利用料金をチェックしてみたが、予想通り相当な額なんだ。



此処で、クレーンを使用して吊り降ろしたり、吊り上げたりするようだ。海は左側でヨットは不可のようだ。
