釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺(7) - 釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺_2015_Feb
FC2ブログ

釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺(7)

宝戒寺(2)

本堂
北条一族鎮魂のための寺なんだなあ。頼朝などはこの時点で完全に過去の人になっていたのだろう。頼朝は、鶴岡八幡宮と島津氏が建てたお墓で偲ぶしか無いのだろう。寂しい話だ。
北条一族鎮魂とどういう関係があるのか不明だが、本尊は、木造地蔵菩薩坐像。1365年(貞治4年)、仏師憲円の作で、国指定の重要文化財。

本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4
本堂_5
本堂_6
本堂_7
本堂_8
本堂_9
本堂_10
撮影禁止なので、free画像を借用
本堂内部

境内の様子(2)
德崇大権現堂
鎌倉幕府執権北条高時公を德崇大権現として祀っている。北条高時公が自刃し鎌倉幕府が滅亡した5月22日に、鎮魂のため、德崇大権現として祀っているご神像を本堂にお迎えし、供養を行うのだそうだ。
北条一族を鎮魂するための寺であるならば、此処はもう少し大きなものにしても良かったのではなかろううか。

德崇大権現堂_1
德崇大権現堂_2
德崇大権現堂_3
大聖歓喜天堂
秘仏である大聖歓喜双身天王(歓喜天・聖天様)を祀っている。木造歓喜天立像は、国指定の重要文化財。
これまた何のために此処に祀ってあるのか、私にはよくわからない。

木造歓喜天立像:秘仏で一般には公開されていない。歓喜天は聖天(しょうでん)とも称し、象頭人身の2神が相抱擁する形に造形される。歓喜天像は一般に小像が多いが、宝戒寺像は像高155cmに及ぶ大作として珍しい。川端康成の妻は自ら聖天信者を名乗り、行者の予言でこの像の存在を知り、ノーベル賞受賞前に足しげく参詣していたという。
大聖歓喜天堂_1
大聖歓喜天堂_2
梵鐘
梵鐘
宝篋印塔
1333年に滅亡した北条氏並びに鎌倉合戦東勝寺戦没諸精霊を供養する慰霊塔
写真を撮り漏らしてしまった。これがあってこその宝戒寺だというのに、なんとも間の抜けた話だ。

以上で『釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺』シリーズは終了です。最後までご覧いただき大変有難うございました。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2015年02月08日
最終更新 2015年02月08日

10 Comments

There are no comments yet.

makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
またまたご苦労様でした♪
宝戒寺は最後の執権北条高時が新田義貞に攻められて
鎌倉幕府・北条氏の執権が終わるわけですが、
ここに歴代執権のお墓があると言う訳ではないのですね!
後醍醐天皇~足利尊氏が建てたようですね!
政敵ですから、大きなものは作らなかったのでしょうかね。

2015/02/08 (Sun) 03:34

なかまち  

おはようございます。
今回のシリーズは、いつもにも増して本当に堪能させていただきました。
過去2回、鎌倉を訪問した時は歴史も何も知らずにただ写真だけ撮り歩いて
いたので、自分の見ているものの価値がまるでわかっていませんでした。
鎌倉時代の出来事に興味を持ち始め、多少は歴史的知識も備わってきた
目でお写真と解説文を拝見すると、まるで生きた教科書を勉強させてもら
っているのような喜びを感じました。ありがとうございました。

2015/02/08 (Sun) 07:01

cobo-fe  

やはり鎌倉時代は良く理解出来ないながらに何やら興味がありましたが、このシリーズを拝見し、自分なりにまた歴史の認識を重ねました。本当にありがたいお話でした。

2015/02/08 (Sun) 13:24

SONOMI  

敷地は広大なのでしょうか
伸び伸びした佇まいですね
提灯 味があって良いですね
絵になる風景!!いいですね(^_-)-☆

2015/02/08 (Sun) 14:18

花さか爺サン  

AzTakさま こんにちは

何時ものシリーズで、いろいろ歴史の勉強をさせていただき、改めて歴史を見直すきっかけとなり大変喜んでおります。

宝戒寺について調べてみますと、鎌倉幕府最後の執権・北条高時は、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺 で自害、一族郎党が運命を共にし、鎌倉幕府が滅亡したこと、また、宝戒寺が“萩寺”とも呼ばれ、秋の風情は見事なもので、参道は繁った萩で覆われて 門前の参道も境内も、溢れるように萩が茂っているとのことですが、是非こうした景色も見てみたいものです。

2015/02/08 (Sun) 17:55

AzTak  

Re: タイトルなし

> おはようございます。

なかまちさん、こんばんは。

> 今回のシリーズは、いつもにも増して本当に堪能させていただきました。
> 過去2回、鎌倉を訪問した時は歴史も何も知らずにただ写真だけ撮り歩いて
> いたので、自分の見ているものの価値がまるでわかっていませんでした。
> 鎌倉時代の出来事に興味を持ち始め、多少は歴史的知識も備わってきた
> 目でお写真と解説文を拝見すると、まるで生きた教科書を勉強させてもら
> っているのような喜びを感じました。ありがとうございました。

過分なお言葉、有難うございます。
鎌倉は、高校時代から通学定期や通勤定期で途中下車できるところだったのですが、自分の年齢がいかないときと、壮年の頃と、初老になった今と、やはり見方が違ってきたように思います。
今は少し暗い見方をしていて、…。やはり壮年の頃に見聞きするのが、判断力、感受性、体力などの面から一番なのかもしれません。

2015/02/08 (Sun) 20:01

AzTak  

Re: タイトルなし

cobo-feさん、こんばんは。

> やはり鎌倉時代は良く理解出来ないながらに何やら興味がありましたが、このシリーズを拝見し、自分なりにまた歴史の認識を重ねました。本当にありがたいお話でした。

未熟な幕府だったのでしょうが、それなりに動きがあって、後世の人には面白い展開だったかもしれませんね。
京都の写真もいっぱい見せてくださいね。

2015/02/08 (Sun) 20:05

AzTak  

Re: タイトルなし

SONOMIさん、こんばんは。

> 敷地は広大なのでしょうか
> 伸び伸びした佇まいですね

お寺さんだから、それなりの広さはありますが、さほどではありません。数百坪でしょうか。

> 提灯 味があって良いですね
> 絵になる風景!!いいですね(^_-)-☆

あの提灯は粋でしたね。
北条氏に敬意を払って、ミツウロコの紋にしてあるのでしょうが、あれを見るとプロパンガスのミツウロコを連想してしまいます。あちらは、後北条の方から名づけたようです。

2015/02/08 (Sun) 20:09

AzTak  

Re: タイトルなし

> AzTakさま こんにちは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> 何時ものシリーズで、いろいろ歴史の勉強をさせていただき、改めて歴史を見直すきっかけとなり大変喜んでおります。
>
> 宝戒寺について調べてみますと、鎌倉幕府最後の執権・北条高時は、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺 で自害、一族郎党が運命を共にし、鎌倉幕府が滅亡したこと、また、宝戒寺が“萩寺”とも呼ばれ、秋の風情は見事なもので、参道は繁った萩で覆われて 門前の参道も境内も、溢れるように萩が茂っているとのことですが、是非こうした景色も見てみたいものです。

秋になってもまだ元気で歩けるようでしたら、萩を見に行ってきましょう。恥ずかしながら、怖がりなので、東勝寺跡には行きませんでしたが、それもついでに見てきましょう。
それだけだと、暗い話になってしまうので、何か明るくなるものをも探しておきます。

2015/02/08 (Sun) 20:15

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!

Makiraさん、こんばんは。返信が遅くなり、申し訳ありません。

> またまたご苦労様でした♪
> 宝戒寺は最後の執権北条高時が新田義貞に攻められて
> 鎌倉幕府・北条氏の執権が終わるわけですが、
> ここに歴代執権のお墓があると言う訳ではないのですね!

16代まで執権がいますが、高時が最後まで最高権力者のままだったようですね。
経時は光明寺、時宗は円覚寺、時頼は明月院、…というように由緒ある寺院に入っていますが、高時は東勝寺で自刃したものの、墓は不明のようです。

> 後醍醐天皇~足利尊氏が建てたようですね!
> 政敵ですから、大きなものは作らなかったのでしょうかね。

執権の屋敷跡をそのままあてがったようです。大きくも小さくもないのは、基本的に鎌倉幕府関係者が質素だったことも証かもしれませんね。

2015/02/08 (Sun) 20:38

Leave a reply