釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺(7)
本堂
北条一族鎮魂のための寺なんだなあ。頼朝などはこの時点で完全に過去の人になっていたのだろう。頼朝は、鶴岡八幡宮と島津氏が建てたお墓で偲ぶしか無いのだろう。寂しい話だ。
北条一族鎮魂とどういう関係があるのか不明だが、本尊は、木造地蔵菩薩坐像。1365年(貞治4年)、仏師憲円の作で、国指定の重要文化財。










撮影禁止なので、free画像を借用

境内の様子(2)
德崇大権現堂
鎌倉幕府執権北条高時公を德崇大権現として祀っている。北条高時公が自刃し鎌倉幕府が滅亡した5月22日に、鎮魂のため、德崇大権現として祀っているご神像を本堂にお迎えし、供養を行うのだそうだ。
北条一族を鎮魂するための寺であるならば、此処はもう少し大きなものにしても良かったのではなかろううか。



大聖歓喜天堂
秘仏である大聖歓喜双身天王(歓喜天・聖天様)を祀っている。木造歓喜天立像は、国指定の重要文化財。
これまた何のために此処に祀ってあるのか、私にはよくわからない。
木造歓喜天立像:秘仏で一般には公開されていない。歓喜天は聖天(しょうでん)とも称し、象頭人身の2神が相抱擁する形に造形される。歓喜天像は一般に小像が多いが、宝戒寺像は像高155cmに及ぶ大作として珍しい。川端康成の妻は自ら聖天信者を名乗り、行者の予言でこの像の存在を知り、ノーベル賞受賞前に足しげく参詣していたという。


梵鐘

宝篋印塔
1333年に滅亡した北条氏並びに鎌倉合戦東勝寺戦没諸精霊を供養する慰霊塔
写真を撮り漏らしてしまった。これがあってこその宝戒寺だというのに、なんとも間の抜けた話だ。
以上で『釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺』シリーズは終了です。最後までご覧いただき大変有難うございました。