再び浦賀を歩く(1) - 再び浦賀を歩く_2015_Jan
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再び浦賀を歩く(1)

1月25日に『中島三郎助まつり』が開催された。この機会を逃すと日本初のドライドックを見逃してしまうとばかりに息せき切って駆けつけた。だが、期待していたイベント内容ではなく、仕方がないので予定を大幅に変更せざるを得なかった。運がよいことに、たまたまドライドックを撮りに来ていたハイエンド・アマチュアの方と一緒に、代替のコースを回ることにした。
今回はすべてEOS M2で撮影した。割りと健闘してくれた。
浦賀ドック跡
『中島三郎助まつり』
浦賀駅前で信号待ちをする『中島三郎助まつり』に向かう人達
『中島三郎助まつり』に向かう人達
構内に入る
構内に入る_1
構内に入る_2
思惑が外れたようだ。今回のイベントはすべてこの建屋内で行われた。
今回のイベントはすべてこの建屋内で行われた
歴史を感じさせる建屋と設備
歴史を感じさせる建屋と設備_1
歴史を感じさせる建屋と設備_2
歴史を感じさせる建屋と設備_3
歴史を感じさせる建屋と設備_4
歴史を感じさせる建屋と設備_5
歴史を感じさせる建屋と設備_6
何やら演し物が
何やら演し物が_1
何やら演し物が_2
浦賀はこんな感じ
浦賀はこんな感じ
なんとかドライドックが見えないものか藻掻いた
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった_2
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった_3
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった_4
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった_5
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった_6
小高い丘から見えないかと粘ってみたがNGだった_7
道路の小高い箇所からもNG
巨大なクレーンが見える。何となく、ディズニーランドのようだ。割と好きな光景だが。
道路の小高い箇所からもNG_1
道路の小高い箇所からもNG_2
道路の小高い箇所からもNG_3
ついにやったパパラッチの真似
なんとかドライドックが見えたが、片手で撮るのは我がひ弱な筋力の限界だ。これ以上粘るとカメラを傷つけてしまいそう。
ついにやったパパラッチの真似_1
ついにやったパパラッチの真似_2
ついにやったパパラッチの真似_3

幕府の浦賀造船所
浦賀での造船の歴史は1853年(嘉永6年)のペリー来航までさかのぼる。この時江戸幕府は「大船建造の禁」を解いて浦賀造船所を設置、直ちに軍艦の建造を始め、7か月を掛けて国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した。これは浦賀奉行所与力の中島三郎助らに軍艦の建造を命じたことが始まりである。また1859年(安政6年)には日本初のドライドックが完成し、アメリカへ向かう咸臨丸の整備が行われている。しかし小栗忠順らにより、横須賀港に製鉄所を建設することを決定し(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠)、艦艇建造の中心は横須賀へ移り、浦賀造船所は1876年(明治9年)に閉鎖された。
浦賀船渠
1894年(明治27年)に中島三郎助の意志を継ぎ、荒井郁之助・榎本武揚・塚原周造が中心となり、1897年(明治30年)に浦賀船渠が設立され、かつての浦賀造船所と同じ場所に工場が建設された。同時期に同じ浦賀に建設された東京石川島造船所の浦賀分工場との間で、艦船建造・修理の受注合戦が繰り広げられたという。この競争はダンピング合戦を生み、両社の経営を悪化させた。ほどなくして石川島の浦賀分工場を浦賀船渠が買収、自社工場とすることで決着した。

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現在、浦賀船渠の第1号ドック(通称浦賀ドック)は世界に4か所にしか現存していないレンガ積みドライドックのうちのひとつである。国内でも明治期のものは浦賀ドックと川間ドック跡しかなく、両者とも貴重な文化遺産である。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2015年01月27日
最終更新 2015年01月27日

19 Comments

There are no comments yet.

ララ  

この床がいいですね、過ぎた年月を感じます。
イベント会場が屋内だったようですがそれだからこそ見られる古き良きものがたくさんあったでしょうね。
味があって現代風な感じより好みです。

2015/01/27 (Tue) 01:30

makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
浦賀奉行所与力、中島 三郎助の名は
幕末小説の中に出て来たと思うのですが
ハッキリとした記憶はないんです 泣)
浦賀と横須賀はいろんな面で張り合ったのでしょうね!
『中島三郎助まつり』なんてイベントがあったのですね!
知りませんでした 汗)

2015/01/27 (Tue) 04:08

kaz  

おはようございます!

閉鎖あれてから、何十年も現存しているのは驚きですね!反面、正直保存するのにお金もかかるしどうなんでしょうね?

2015/01/27 (Tue) 09:27

丹後のきんちゃん  

中島三郎助。申し訳ありません。全く知らなかったです。お陰でまた一つ勉強になりました。日本を築いてこられたかたや、歴史的な場所に行っている雰囲気を味わわせていただきました。ありがとうございます。こういう偉大な事柄をしると謙虚になれます。

2015/01/27 (Tue) 09:34

cobo-fe  

昔観音崎灯台へ行った時、たしか浦賀のほうを廻った記憶があります。
造船所が在るのは知っていましたが、こんなすごい歴史があるとは知りませんでした。
中島三郎助与力といえば、ぺりー提督来航時に黒船に乗って対応した人ですね。祭があったのですね。明治のころの日本人の前向きな生き様は感心していましたが、ここにも一人偉人がおられたのですね。勉強になります。

2015/01/27 (Tue) 10:24

のんびり熊  

AzTakさん

こんにちは
ついに、パパラッチですか。
執念ですね。
甲斐あってドライドックの写真を撮れましたね。
前のフェンスまでは行けなかったんですか。
残念!。

2015/01/27 (Tue) 12:41

S-masa  

こんにちは。

木の床が珍しいですね。
この工場から多くの船が造られたのでしょうね。

2015/01/27 (Tue) 13:20

花さか爺サン  

こんばんは
ペリー提督が黒船で1853年6月3日三浦半島浦賀沖に突如現れた事はあまりにも有名ですが、上陸を迫るペリーに対して最初に黒船に乗り込みペリー提督と交渉にあたった日本人が、 当時浦和奉行所与力の中島三郎助という人物であったとは初めて知りました。

浦賀ドライドックは、国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した造船所なんですね。

とても貴重な文化遺産なんですね。

2015/01/27 (Tue) 17:50

AzTak  

Re: タイトルなし

ララさん、こんばんは。

> この床がいいですね、過ぎた年月を感じます。

こんな頑丈な木材の床にしたのは何か理由があったのでしょうかね。普通だったら、鉄筋コンクリートの床にするところでしょうが、次重量物が通りショックを木材のしなやかさで軽減したのでしょうか?相当長きにわたって、重量物を支えてきたようです。

> イベント会場が屋内だったようですがそれだからこそ見られる古き良きものがたくさんあったでしょうね。

あったようなんですが、まつりで、模擬店がいっぱい出店していて、その裏をうろちょろするわけにもいかず、ちょっと残念な感じでした。

> 味があって現代風な感じより好みです。

それは間違いなく、そういう感じでした。
なぜ、今回は、ドライドックの説明&見学を中止したのか、よく理由がわかりません。それが目的で来られた方が多いと思うんですが、何故見せてくれないのでしょう。次回からイベントには、誰も来なくなるような気がしてなりません。

2015/01/27 (Tue) 20:56

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 浦賀奉行所与力、中島 三郎助の名は
> 幕末小説の中に出て来たと思うのですが
> ハッキリとした記憶はないんです 泣)

いやあ、立派なものです。私は横須賀市民を10年ほどしていたのですが、その当時は全く知りませんでした。

> 浦賀と横須賀はいろんな面で張り合ったのでしょうね!

張りあうもでも無く、大きな軍事都市を作るには浦賀では土地が狭すぎたし、端に寄りすぎていたしで、どうにもならなかったんだと思います。

> 『中島三郎助まつり』なんてイベントがあったのですね!
> 知りませんでした 汗)

以前は、浦賀ドックに入って近代産業遺産をトクと見学できる絶好の機会だったのですが、今回は大目玉がない詰まらないイベントな成り下がってしまっていました。いったい、どうしちゃったんでしょうか?

2015/01/27 (Tue) 21:10

AzTak  

Re: おはようございます!

kazさん、こんばんは。

> 閉鎖されてから、何十年も現存しているのは驚きですね!反面、正直保存するのにお金もかかるしどうなんでしょうね?

横須賀市は、一体どうするつもりなんでしょうね。住友が売却してしまったら、もはやどうにもなりません。買い取って、少しだけ客を迎え入れることができるように改造して、観光拠点にすることができそうな気がするんですが。
神奈川県で、唯一人口減少の市だなんて、みっともない話です。

2015/01/27 (Tue) 21:17

AzTak  

Re: タイトルなし

丹後のきんちゃんさま、こんばんは。

> 中島三郎助。申し訳ありません。全く知らなかったです。お陰でまた一つ勉強になりました。日本を築いてこられたかたや、歴史的な場所に行っている雰囲気を味わわせていただきました。ありがとうございます。こういう偉大な事柄をしると謙虚になれます。

浦賀奉行所与力が随分と積極的に活躍したようです。幕末から維新後へとうまく生き延びた人物も少なくない中で、徳川幕府方に忠誠を誓い、官軍を拒み続けた気骨の人だったようです。
そのことが良かったのかどうかは、いろいろ見方、考え方があると思います。しかしながら、最後まで筋を通した生き方は立派だったと、私は思います。

2015/01/27 (Tue) 21:25

AzTak  

Re: タイトルなし

cobo-feさん、こんばんは。

> 昔観音崎灯台へ行った時、たしか浦賀のほうを廻った記憶があります。
> 造船所が在るのは知っていましたが、こんなすごい歴史があるとは知りませんでした。

日本の近代造船所の走りですから。国も県も市ももうちょっと保存に積極的に取り組んでも良さそうに思うのですが、何もしてくれていないようです。

> 中島三郎助与力といえば、ぺりー提督来航時に黒船に乗って対応した人ですね。祭があったのですね。明治のころの日本人の前向きな生き様は感心していましたが、ここにも一人偉人がおられたのですね。勉強になります。

明治新政府側には与せず、あくまで幕府と運命を共にした気骨の人だったようです。桂小五郎も福沢諭吉も彼を慕っていたようです。それだけ包容力のある人物だったのでしょう。

2015/01/27 (Tue) 21:41

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> ついに、パパラッチですか。
> 執念ですね。
> 甲斐あってドライドックの写真を撮れましたね。

何とかですね。30秒くらいでズルズルしだしたので、カメラを壊さない内に飛び降りました。
筋力足らなさすぎでした。(^_^;)

> 前のフェンスまでは行けなかったんですか。
> 残念!。

諦めてなるものかの気概で、4月下旬にある咸臨丸フェスティバルで再挑戦してきます。

2015/01/27 (Tue) 21:47

AzTak  

Re: こんにちは。

S-masaさん、こんばんは。

> 木の床が珍しいですね。

そうですよね。我が目を疑いました。何度見なおしても、分厚い材木でした。
あの方が重量物のある状況下では丈夫だったのでしょうか?

> この工場から多くの船が造られたのでしょうね。

幕府の浦賀造船所が出発点でした。国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造し、アメリカへ向かう咸臨丸の整備が行われたりもしました。割と早くに造船所は横須賀に移り、明治の中頃から、浦賀船渠が始まり、ずっと歴史がつながるようになりました。
戦後も海上自衛隊向けに艦艇建造を続け、米空母ミッドウェイの大規模改修、日本丸建造なども行ったようです。
そうそうたる歴史を刻んできたのですが、…。

2015/01/27 (Tue) 21:56

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> ペリー提督が黒船で1853年6月3日三浦半島浦賀沖に突如現れた事はあまりにも有名ですが、上陸を迫るペリーに対して最初に黒船に乗り込みペリー提督と交渉にあたった日本人が、 当時浦和奉行所与力の中島三郎助という人物であったとは初めて知りました。
>
> 浦賀ドライドックは、国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した造船所なんですね。
>
> とても貴重な文化遺産なんですね。

そうなんです。日本の近代作業文化遺産としても、最大の価値あるものでしょう。でも、浦賀でくすぶったままになっています。何とか維持管理していきたいものです。
そうしないと、どんなふうに日本の近代化が進んだのか、見えにくくなってきてしまいます。

2015/01/27 (Tue) 21:59

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2015/01/27 (Tue) 23:31

むく  

浦賀までご苦労さまでした。
歴史の古い町で、徳川家光が将軍になって日本が鎖国するまで、浦賀には修道院もありました。
近くには今もマリア観音を祀った寺(マリア観音は浦賀から移設)や、隠れキリシタンと思われる墓も見られます。
その他、江戸時代には干鰯(ほしか)の交易で栄え、江戸と張り合うほど俳句が興隆したという歴史もあります。

2015/01/28 (Wed) 00:02

AzTak  

Re: タイトルなし

むくさん、こんばんは。そして初めまして。

> 浦賀までご苦労さまでした。
> 歴史の古い町で、徳川家光が将軍になって日本が鎖国するまで、浦賀には修道院もありました。
> 近くには今もマリア観音を祀った寺(マリア観音は浦賀から移設)や、隠れキリシタンと思われる墓も見られます。

そうなんだそうですね。フランシスコ修道院が家康の時に建てられ、秀忠の時に完膚なきまでに壊されたとか。封建時代には、キリスト教の思想は邪魔だったのかもしれませんが、手のひらを返すような仕打ちだったんですね。
幸いなことに、浦賀では隠れキリシタンの弾圧などはなかったようですね。

> その他、江戸時代には干鰯(ほしか)の交易で栄え、江戸と張り合うほど俳句が興隆したという歴史もあります。

昔の浦賀は、相当に繁栄したところだったようですね。何とか、昔のものが残せないものかと思いますが、西叶神社前の塩倉庫もアパートに建て替わってしまったり、…。

2015/01/28 (Wed) 20:17

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