名越切通しを歩く(3) - 名越切通しを歩く_2015_Jan
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名越切通しを歩く(3)

今回分では、名越切通しのメインルートを歩き、途中少しだけ入ったまんだら堂やぐら群をみるところまでを取りあげる。

取り敢えずは下る
こんなふうに下る
まだ、名越切通しのメインルートを歩く。取り敢えずは下り坂。やや急な下り坂だ。下り坂は有難いが、その分、法性寺・大切岸に戻るには上り道になるわけだ。(;´д`)トホホ…
メインルートを歩く_取り敢えずは下り坂_1
メインルートを歩く_取り敢えずは下り坂_2
メインルートを歩く_取り敢えずは下り坂_3
メインルートを歩く_取り敢えずは下り坂_4
突如、右手に建物が
どうやら火葬場のようだ。こんな山奥に追いやられているのか。別にあるだろう自動車が進入出来る道の突き当りになると思われる。
突如、右手に建物が
名越切通しの説明板
吾妻鏡の天福元年(1233年)8月18日条に初めてその名が出てくるのか。下記文言を読んでみると、変なことで名前が出てきたようだ。吾妻鏡の記述であるから、当然のごとく鎌倉時代か。相当な古さなんだなあ。
8月18日 庚寅
早旦、武州江島明神に奉幣せんが為出で給うの処、前浜死人有り。これ殺害せらる者なり。仍って神拝を遂げ給わず、直に御所に参り給う。即ち評定衆を召し沙汰を経らる。先ず御家人等をして武蔵大路・西浜名越坂・大倉横大路已下方々を固めしむ。途路に候し犯科者有るや否や、その内の家々を捜し求むべきの由仰せ下さるるの間、諸人奔走す。而るに名越辺の或る男直垂の袖を洗う。その滴血なり。恠しみを成し岩手左衛門の尉これを生虜り、相具し御所に参る。推問の刻、所犯の條遁れる所無し。これ博奕人なり。仍って殊にその業を停止すべきの由下知すと。

名越切通しの説明板
名越切通しの説明板_trim
まんだら堂やぐら群
もう少し行くと何やら標識が
もう少し行くと何やら標識が
ここがまんだら堂やぐら群への分かれ道のようだ。こちらが昔の葬祭場。すぐ手前が現在の葬祭場か。火の玉が飛んだりするちょっと怖い場所だったのかなあ。
まんだら堂やぐら群への分かれ道のようだ_1
まんだら堂やぐら群への分かれ道のようだ_2
通せんぼ
先ほどの標識にあった『閉鎖中』の文言はこういうことだったのか。何とも邪魔なことだ。
通せんぼ
金網越しに見たまんだら堂やぐら群
金網を乗り越えるのは流石に気が引けた。仕方なく、金網の間から撮ってみた。平成26年度(2014年度)中を目途に、やぐら群の常時公開を目指した整備事業が進められているそうだ。でも、もうすぐ年度が終わってしまうぞ。
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_1
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_2
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_3
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_4
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_5
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_6
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_7
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_8
金網越しに見たまんだら堂やぐら群_9

逗子市教育委員会説明文
まんだら堂やぐら群とその周辺
「まんだら堂」の名が確認できる最も古い文献は、文禄三年(1594年)の検地帳です。しかし、そこには畠の地名として記されているのみで、「まんだら堂」がどんな建物だったのか、いつまで残っていたのかなど、詳しいことは全くわかっていません。
まんだら堂やぐら群は、一つひとつは2m四方程度と小規模で構造も単純なものが多いですが、150穴以上の存在が確認されている有数のやぐら群で、これだけまとまったやぐらを良い状態で見ることのできる遺跡は鎌倉市内にも少なく、たいへん貴重です。やぐらの中に並ぶ五輪塔は、後の時代に動かされているものが多いので、中世の姿そのままとは言えませんが、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられたものです。葬られたのは、武士や僧侶が多かったと考えられていますが、経済力を蓄えた商工業関係者なども含まれていたでしょう。
これまで、史跡整備のための情報収集等を目的として、部分的に発掘調査を行ってきましたが、平成13、14年度に実施した調査では、尾根の岩盤を大きく削って造った崖にやぐらを掘り、発生した大量の残土(岩くず)で前方の谷を埋め立てて平場を造っていることがわかりました。北西方向の鎌倉側を向いたやぐら群の前面平場では、柱穴などの遺構や、かわらけなどの遺物も多く発見されていますが、現在のまんだら堂入り口付近の平場では、遺構、遺物ともごく僅かしか出土していません。また、やぐら付近や周辺の平場などでは遺体を火葬したと思われる跡も各所で確認されています。ここで荼毘に付された方のお骨がやぐらに納められたのかも知れません。
出土した遺物から見たかぎりでは、鎌倉時代の後半(13世紀末頃)から平場の造成とやぐらの掘削が行なわれ、室町時代の中頃(ほぼ15世紀いっぱい)まで供養などが行なわれていたものと考えられます。
切通路の周辺に点在する平場も、中世に山を削って造られたものが多いようですが、それらが切通の防衛のために使われたものかどうかはわかりません。
平成18年度の発掘調査では、尾根上の岩盤をコの字形に粗く切り整え、その中央に切石を敷き並べた遺構が発見されました。この切石敷遺構の西側からは斬首されたと考えられるヒトの頭蓋骨1個が埋められた楕円形の土坑も発見されています。この遺構は、五輪塔などの石塔を据えるための基礎だった可能性が考えられます。あるいは、訳あって処刑された名のある方を供養するための施設だったのかも知れません。

AzTak
Posted by AzTak
投稿 2015年01月10日
最終更新 2015年01月10日

11 Comments

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makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!1日目で名越切通しは終わりかと思ったら、
まだまだ奥があったのですね 汗)
子供の頃に遊びがてらよく通ったことですが、
よく息も上がらずたいしたものです 笑)
足も腰も調子が良さそうで結構なことです♪
まんだら堂やぐら群は墓地と解釈していいのですよね?
そして建っていたといたと思われる「まんだら堂」なんですね!
流石、古都鎌倉、奥が深いですね!

2015/01/10 (Sat) 00:36

のんびり熊  

AzTakさん

こんにちは
名越切通しの峠を超えると逗子市ですか。
人が住めば当然の如く墓地も必要になりますね。
岩を穿ち横穴式にしたんですね。
当時からば荼毘にした様ですが庶民は土葬でしょうね。
現代は火葬場ですか、なるほど。

2015/01/10 (Sat) 13:02

HARU  

自然の岩盤を掘り込んで卒塔婆(五輪塔)を建てた集合墓地ですか。こういう景色は見た記憶がないので興味深かったです。奈良柳生街道に地獄谷という雰囲気の似たところがあります。夜中にひとりで通るには少々気味悪いですね。たいがいこういう場所には、物の怪伝承が残っていますね。ひょっとして若者たちの夏の肝試しコースだったりして(笑)。

2015/01/10 (Sat) 14:41

千一也  

こんにちは

歴史的な建築がお好きで建築様式などに興味がおありかとおもえばそれだけではなさそうですね。
人の足跡とか文化の歴史とかきっとそんなものに惹かれるのかなと思ったりします。

そうですね、そのうちに人間の正体がわかる日がくるかも(笑) (^^)/

2015/01/10 (Sat) 17:18

keiko  

こんばんは<(_ _)>(゜∀゜ゞ)

切り通しって、防衛のためにつくられたのかな?亡くなった方も多くいそうですね。

歩くのも大変そうですね。馬とかに乗りたい感じですね。

2015/01/10 (Sat) 17:43

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!1日目で名越切通しは終わりかと思ったら、
> まだまだ奥があったのですね 汗)

makiraさん、こんばんは。もう少し続きます。でも、『デブが通っても大丈夫なように崩壊カ所を補修などしていて、一時的に遠くの目的地は諦めざるを得ませんでした。ということで、中途半端な長さに。

> 子供の頃に遊びがてらよく通ったことですが、
> よく息も上がらずたいしたものです 笑)

子供のころ通ったのは、ここではなく福島の片田舎の集落にある低い山々です。
途中で蛇と遭遇すると脱兎のごとく逃げ出しますそのころはできましたが、今はゆっくり歩くしかできないと思います。

> 足も腰も調子が良さそうで結構なことです♪
> まんだら堂やぐら群は墓地と解釈していいのですよね?
> そして建っていたといたと思われる「まんだら堂」なんですね!
> 流石、古都鎌倉、奥が深いですね!

ここは火葬場であり、墓場であり、…そういうところだったようです。
まんだら堂は、どういうところだったのか不明なようです。
人っ子一人いなかったので、ちょっと薄気味悪い感じがしないでもありませんでした。

詳しいことは、逗子市のHPを参照してみてください。
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/syakyou/newbunkazai/nagoe/nagoe.html

2015/01/10 (Sat) 20:00

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 名越切通しの峠を超えると逗子市ですか。
> 人が住めば当然の如く墓地も必要になりますね。
> 岩を穿ち横穴式にしたんですね。
> 当時からば荼毘にした様ですが庶民は土葬でしょうね。
> 現代は火葬場ですか、なるほど。

ここの辺りは、昔から今に至るまで、そういう場所だったようですね。今は自動車で行くことができるようですが、当時はこの厳しい山坂を上り下りをしないと、此処に行くわけにはいかなかったわけですよね。大変なことだったと思います。
土葬の方が良かったかも。

2015/01/10 (Sat) 20:16

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/01/10 (Sat) 20:26

AzTak  

Re: タイトルなし

HARUさん、こんばんは。

> 自然の岩盤を掘り込んで卒塔婆(五輪塔)を建てた集合墓地ですか。こういう景色は見た記憶がないので興味深かったです。奈良柳生街道に地獄谷という雰囲気の似たところがあります。夜中にひとりで通るには少々気味悪いですね。たいがいこういう場所には、物の怪伝承が残っていますね。ひょっとして若者たちの夏の肝試しコースだったりして(笑)。

何故に昔の鎌倉ではやぐらなどという墓地ができたんでしょうね。他の土地ではあまり聞きませんから、京都には引き継がれなかったんですね。
ちょっと前のガキどもは、ここで肝試しをしただろうことは間違いがないことでしょうね。あまり誘ってほしくはない感じです。昼間でしたから何とか平気でしたが、…。(^_^;)

2015/01/10 (Sat) 20:29

AzTak  

Re: こんにちは

千一也さん、こんばんは。

> 歴史的な建築がお好きで建築様式などに興味がおありかとおもえばそれだけではなさそうですね。
> 人の足跡とか文化の歴史とかきっとそんなものに惹かれるのかなと思ったりします。
>
> そうですね、そのうちに人間の正体がわかる日がくるかも(笑) (^^)/

高尚なところなどまったくなく、何でも知りたがりなだけです。
本当は鳥さんなども好きなんですが、どんくさい私には敵うはずもなく、指を咥えてみているだけです。

正体はどこにでもいる初老のくたびれた親父です。(^_^;)

2015/01/10 (Sat) 20:39

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは<(_ _)>(゜∀゜ゞ)

keikoさん、こんばんは。

> 切り通しって、防衛のためにつくられたのかな?亡くなった方も多くいそうですね。

いたことでしょうね。それに鎌倉時代には、悶着を起こして、北条方も三浦方も相当な死者が出たかもしれませんね。

> 歩くのも大変そうですね。馬とかに乗りたい感じですね。

馬の背に乗ると、相当高い感じですから、傾くと怖くて仕方がないのでは。歩く方がまた精神的には良さそうです。(^_^;)

2015/01/10 (Sat) 20:43

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