浅草寺~川治温泉~東武ワールドスクウェア(11)
ヨーロッパ・ゾーン(3)
今回は、フランスのものを取りあげる。エッフェル塔と凱旋門とは、意識して撮らなかったので、あしからず。
シャンボール城
名前は知っていたが、行ってみたことがない。こんな感じだったのか。壮麗な城だ。終了後屋が始まりだったのか。かつてのフランス国王の権勢の程を思い知らされる。大きすぎて、持て余したのだろうか。所有者も次々に変わっていったようだ。
シャンボール城(Château de Chambord)はフランスロワール=エ=シェール県のシャンボールにある城。ロワール渓谷に点在する城のうち、最大の広さを持つ。フランス王フランソワ1世のために建てられた。
どうにもNYの建物が目障りだ。失敗の構図だった。


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ヴェルサイユ宮殿
誰もが魅了される美しい宮殿と庭園とだろう。あまりに大きく、私には全体像がつかめないでいた。今回見ても、まだ、理解できないほどだ。私のイメージ構成力が無さすぎるのだろう。
ヴェルサイユ宮殿(仏語:Château de Versailles)は、1682年にフランス王ルイ14世が建てたフランスの宮殿(建設当初は離宮)である。
パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。











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サクレクール大聖堂
サクレクールと名がつく聖堂はかなりの数にのぼる。最も著名なのが、パリにあるこの聖堂だろう。情けない話だが、比較的短い歴史を刻んだに過ぎない明るい感じの大聖堂という印象しか残っていない。
モンマルトルのサクレ・クール大聖堂 (Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre) はフランスのパリ市内モンマルトルの丘の頂にそびえる教会堂。ロマネスク様式・ビザンティン様式のバジリカ大聖堂。ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当した。1889年にいち早く完成していたエッフェル塔と共にパリ市内を見晴らせる観光名所で、両建造物とも19世紀後半に構想された比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっている。
第三共和政の憲法が発布された1875年に、フランスの新しい政体の門出を祝う意味合いを籠めて、政府による直接的な支援を受けて建設がはじまった。当時は普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物としても考えられていたが、年月が過ぎるにつれてその位置づけが自ずと変容してしまう。実際に着工したのは1877年で、約4000万フランの費用と40年の歳月をかけ、1914年に完成したものの、礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦の終わり、1919年のことであった故に、この大聖堂は皮肉にも普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴として多くのフランス人から捉えられた。


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ノートルダム大聖堂
ノートルダムの名前がつく聖堂は、これまた、世界中にかなりある。その中で最も有名なのが、パリのそれだろう。殆どの人が地上から見ると思うが、少し下がったセーヌ川の船から見る感じが私は好きだ。『我らが貴婦人』とはまた何と含蓄のある名前なのだろう。
パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。



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このシリーズは終了したわけではないが、次回から『名越切通しを歩く』シリーズを先に取りあげる。