鎌倉五山ほかを訪ねる(1)
手始めに鎌倉五山を訪ねてみようかと思った。北鎌倉を起点として円覚寺から始めた。
鎌倉時代末期頃より幕府が制定した京都と鎌倉の寺院で構成される五山制度が変化して、室町時代に京都の南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山の寺格が固定された。
円覚寺(1)
円覚寺は神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。
鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。
JR北鎌倉駅の駅前に円覚寺の総門がある。境内には現在も禅僧が修行をしている道場があり、毎週土曜・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会が実施されている。かつて夏目漱石や島崎藤村もここに参禅したことが知られる。
総門
瑞鹿山の額が掲げられている。
開山国師(無学祖元禅師)が仏殿開堂落慶の折、法話を聞こうとして白鹿があつまったという奇瑞から瑞鹿山(めでたい鹿のおやま)とつけられたといわれます。
山門(三門)
夏目漱石の『門』にも描かれた。楼上には十一面観音、十二神将、十六羅漢像が安置されている。現在の山門は、天明年間(1781~89年)、第189世誠拙周樗によって再建されたもの。山門は「三門」とも呼ばれ、三解脱門の略。涅槃に至るまでに通過しなければならない三つの関門、空・無相・無願を表す。
「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇の勅筆と伝えられている。
仏殿(大光明宝殿)
1964年(昭和39年)に再建された鉄筋コンクリート造の建物。もとの仏殿は1923年(大正12年)の関東大震災で倒潰し、その40年後に再建された。禅宗様の建築様式で、本尊は宝冠釈迦如来坐像。仏殿の扁額「大光明宝殿」は、後光厳天皇の勅筆と伝えられる《1378年(明和4年)》
宝冠釈迦如来坐像
丈六の釈迦如来像は、廬舎那仏ともいわれ、頭の部分だけが鎌倉時代に作られたもの。脇侍は梵天と帝釈天といわれている。仏殿が再建されるまでは、仏殿西側の選仏場に安置されていた。
胴体は江戸初期に補造されたようだ。文化財指定は無しのようだ。なお、上記の説明文中にある『丈六』の意味が、恥ずかしながらわからなかったので、調べた。
《釈迦の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから》1丈6尺。また、その高さの仏像。座像の場合は半分の8尺に作るが、それも丈六といい、また、丈六より大きいものを大仏という。
天井画
仏殿の天井画は、前田青邨監修、守屋多々志揮毫の「白龍の図」