代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(5) - 代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔_2015_Jun
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代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(5)

豪徳寺をあとにして、歩いて松陰神社に向かう

勝國寺
旧御朱印寺と書かれてあった。徳川家康寄進状、徳川将軍朱印状がある寺ということだろうか。御朱印帳に書き認めてくれる寺という意味ではなさそうだ。
勝国寺は、吉良政忠(法号勝国寺照岳道旭)が開基となり、世田谷城の裏手鬼門除けとして丸香山薬師院と号しと創建。吉良家滅亡後も江戸幕府から12石の朱印状を与えられた御朱印寺として栄え、末寺6ヶ寺を擁した小本寺だったようだ。

勝國寺_1
勝國寺_2
勝國寺_3
勝國寺_4
世田谷区役所本庁舎
威風堂々たる庁舎だが、近々改築実施の方向で検討が進んでいるようだ。あの前川國男氏の設計作品なのか。日本建築学会関東支部から保存要望書が提出されているようだ。
世田谷区役所本庁舎_1
世田谷区役所本庁舎_2
世田谷区役所本庁舎_3
区役所の向かいは国士舘大学
区役所の向かいは国士舘大学
松陰神社
吉田松陰を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺である豪徳寺は歩いてもさほどかからない距離にある。私も豪徳寺から歩いてきた。
昭和のはじめに社殿が大修理され、府社に昇格しているようだ。長州閥お手盛りの扱いだなあ。吉田松陰には申し訳ないが、再訪しようという気は全く起こらない印象だった。

松陰神社_1
松陰神社_2
拝殿と石灯籠
旧藩主や松陰の門下生であった明治新政府の重鎮たちが奉献したものがズラリと並ぶ
拝殿と石灯籠_1
拝殿と石灯籠_2
吉田松陰の墓
吉田松陰の墓_1
吉田松陰の墓_2
吉田松陰の墓_3
吉田寅次郎藤原矩方墓…松陰は号で、名前は矩方(のりかた)。通称は寅次郎と呼ばれていたようだ。
吉田松陰の墓_4
吉田松陰像
肖像画ほどは尖ってはいないようだ
吉田松陰像

吉田松陰の墓がある松陰神社は、豪徳寺から直線距離で700mほどの所にあります。この一角は江戸時代、大夫山(だいぶやま)あるいは長州山と呼ばれていました。これは、寛文12年(1672)、萩藩第2代藩主、毛利大膳大夫綱広が在府の折に同藩が若林村の百姓からこの地を購入して抱屋敷としたことによります。安政の大獄で死罪となった吉田松陰の遺骸は、当初、小塚原の回向院(かいこういん)に葬られましたが、文久3年(1863)正月に、高杉晋作、伊藤博文らの手により、この地に改葬されました。元治元年(1864)に禁門の変が起きると、幕府は長州に征伐軍を送り、若林村の抱屋敷は没収され、松陰の墓も破壊されました。しかし、その4年後には明治維新となり、明治元年(1868)、藩命を受けた木戸孝允が新たに墓碑を立て、明治15年(1882)には、毛利元徳や松陰の門人達が墓畔に社を築いてその霊を祀り、松陰神社となりました。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2015年07月01日
最終更新 2015年07月01日

16 Comments

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cobo-fe  

豪徳寺~松陰神社と意外に近くにあるんですね。
それにしても細かくご紹介いただき、改めて歴史を再確認しています。
なかなか私の普段の生活では、得難い情報です。
それにしてもよく勉強されていますね~

2015/07/01 (Wed) 08:09

makira  

おはようございます!

AzTakさん、おはようございます!
新しい日本の方法は違えど固い扉をこじ開けた因縁の2人が
700mしか離れていないところに葬られていたとは・・・
死してなお2人の確執は続いているのでしょうか?
や~、歴史って面白いですね!
それにしても、豪徳寺の立派さと比較すると
松陰神社はチョットと言う感じですが
これは何の差でしょうかね~♪

2015/07/01 (Wed) 09:06

なかまち  

AzTakさん、こんにちは。
今朝ほどはご丁寧にメッセージを頂戴して誠にありがとうございました。
こちらには毎日お邪魔しておりますが、最近ずっとロムラーになっていて
大変失礼しておりました。
吉田松陰先生のありがたいお話の最中にいささか無作法かとは思いますが、
ライカから素晴らしいコンパクトカメラ?が発売されたのをご存知でしょうか?
コンパクトといってもフルサイズの撮像素子を搭載しておりまして、LEICA Q
という名称ですが、世界最速のオートフォーカスも搭載していて、ライカとしては
革新的なカメラに仕上がっているようです。値段的にもライカとしてはかなり
お買い得な価格設定になっています。
↓ はあまり良い作例とはいえませんが、お時間のあるときにご覧ください。
http://photo.yodobashi.com/gear/leica/camera/q/

2015/07/01 (Wed) 12:58

のんびり熊  

AzTakさん

こんにちは
松陰神社は東京勤務時代、知ってはいましたが、なぜかゆ行く気にはなりませんでした。
長州閥が気に入らなかったにかな?
乃木希典が、何万人もの同胞を殺して殉職したのは、長州閥、薩摩閥としては神様にするしか仕方が無かったのかもしれませんが、熊は気に入りません。
従って乃木神社にも行ったことが有りません。

2015/07/01 (Wed) 13:32

めぐる  

こんにちは

井伊直弼の菩提寺である豪徳寺と吉田松陰の墓がある松陰神社は以外にもご近所だったのですね。
まぁ亡くなってしまえばどなたも仏様ということでしょうけど。

2015/07/01 (Wed) 13:59

AzTak  

Re: タイトルなし

cobo-feさん、こんばんは。

> 豪徳寺~松陰神社と意外に近くにあるんですね。

そうですね。松陰神社は長州藩が購入した敷地だったとか。土地的には、彦根藩の領地内だと思うのですが、田畑永代売買禁止令が基本的なルールだった時に、よく長州藩が購入できたものですね。豪農が所有していた土地のかなりの部分を買ったのでしょうかね。幕末だから、幕府の睨みがきかなかったのでしょうかね。
そっちのほうが気になりました。

> それにしても細かくご紹介いただき、改めて歴史を再確認しています。
> なかなか私の普段の生活では、得難い情報です。
> それにしてもよく勉強されていますね~

ただの知りたがりです。(^_^;)

2015/07/01 (Wed) 19:19

AzTak  

Re: おはようございます!

> AzTakさん、おはようございます!

makiraさん、こんばんは。

> 新しい日本の方法は違えど固い扉をこじ開けた因縁の2人が
> 700mしか離れていないところに葬られていたとは・・・
> 死してなお2人の確執は続いているのでしょうか?
> や~、歴史って面白いですね!

長州藩の別邸があったところに明治になってから改葬し、神社としたようです。上屋敷や下屋敷と違い、藩自らが物件を探し、その土地に掛けられる年貢や諸役も負担しなければならなかったようです。有力藩だから出来たのでしょうが、江戸近くで、皮肉なことに彦根藩の飛び地だったわけです。
まあ、そんなことでお近くに埋葬されています。

> それにしても、豪徳寺の立派さと比較すると
> 松陰神社はチョットと言う感じですが
> これは何の差でしょうかね~♪

彦根藩が全面的にバックアップし、住職が維新後もうまく乗り切った才覚があったことだからでしょう。
松陰神社の方は、神国日本ではなくなった戦後、特に青息吐息の時期があったようです。いまは、井上真央ちゃんのポスターが貼ってありましたが。
最近の人の神社って、私個人としては、あまり尊敬の念を抱くことが出来ないんです。道真くらいまで遡れば、認めてもと思いますが。
平田神社、東郷神社、松陰神社、…。平田篤胤、東郷平八郎、吉田松陰、…は、神様にふさわしい人物なんでしょうかね。

2015/07/01 (Wed) 19:40

AzTak  

Re: タイトルなし

> AzTakさん、こんにちは。

なかまちさん、こんばんは。

> 今朝ほどはご丁寧にメッセージを頂戴して誠にありがとうございました。
> こちらには毎日お邪魔しておりますが、最近ずっとロムラーになっていて
> 大変失礼しておりました。

気にしないでください。
こちらは、なかまちさんが、独特の世界でかなり自由気儘に暮らしていらっしゃるんだなと、ニヤニヤしながら拝見させて頂いていました。

> 吉田松陰先生のありがたいお話の最中にいささか無作法かとは思いますが、
> ライカから素晴らしいコンパクトカメラ?が発売されたのをご存知でしょうか?
> コンパクトといってもフルサイズの撮像素子を搭載しておりまして、LEICA Q
> という名称ですが、世界最速のオートフォーカスも搭載していて、ライカとしては
> 革新的なカメラに仕上がっているようです。値段的にもライカとしてはかなり
> お買い得な価格設定になっています。
> ↓ はあまり良い作例とはいえませんが、お時間のあるときにご覧ください。
> http://photo.yodobashi.com/gear/leica/camera/q/

LEICA Qですよね。凄いスペックですよね。フォルムも素晴らしいし、言うことなしです。ただ、私には、手ごわいお財布さまが居ます。これを論破して、…はかなり難しそうです。それでも諦めきれず、宝くじにでもあたったら買いたいなと思って、チェックはし続けていますが、肝心の宝くじを買わないで、夢ばかり追いかけていても。
そこへもってきて、知り合いがバタバタ亡くなってきだしました。急がないと、冥土の土産にもらっても仕方がないので、現実的解を模索しました。馬術競技大会を撮影したい。これが唯一無二の要件です。
ということで、何日か前にα6000のダブルズームレンズキットを購入しちゃいました。でも望遠端がAPS-Cで210ミリというのは、ちょっと厳しいですね。もう少し長いレンズだったら、最高なんですが。

2015/07/01 (Wed) 20:02

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 松陰神社は東京勤務時代、知ってはいましたが、なぜか行く気にはなりませんでした。
> 長州閥が気に入らなかったにかな?
> 乃木希典が、何万人もの同胞を殺して殉職したのは、長州閥、薩摩閥としては神様にするしか仕方が無かったのかもしれませんが、熊は気に入りません。
> 従って乃木神社にも行ったことが有りません。

妻の系統は長州藩のある程度の地位のある家だったようです。ですが、私自身は、福島県の出身で、いじめ抜かれた長州の提灯持ちをする気にはなれません。今回は、たまたま近くに行ったので、仕方なしに寄りました。
境内には、似ても似つかない松下村塾の真似ものなどがあり、思わずセンスが無いなあと毒づいてしまいました。松陰が好きで好きでたまらないという人が行くべきところなんでしょうね。

2015/07/01 (Wed) 20:08

AzTak  

Re: こんにちは

めぐるさん、こんばんは。

> 井伊直弼の菩提寺である豪徳寺と吉田松陰の墓がある松陰神社は意外にもご近所だったのですね。
> まぁ亡くなってしまえばどなたも仏様ということでしょうけど。

長州藩の抱屋敷があった土地(世田谷区若林)に建てたようです。この辺りは彦根藩のご領地です。本来は土地の売買は江戸時代はご法度でした。そこを曲げて、売主に成り代わって領主への年貢などをも負担したようです。長州藩だから出来たことでしょうね。
そこに埋葬するなんてことは江戸時代には出来ないことで、明治15年に改葬されたようです。そして、松陰神社になったとか。

死んでしまえば、いがみ合うこともないのかとは思いますが。

2015/07/01 (Wed) 20:14

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2015/07/01 (Wed) 20:55

土佐けん  

こんばんは

吉田松陰、井伊直弼・・・こう言う名前を目にすると
僕の大好きな幕末の時代に思いをはせてしまいます^^
幕末は色んな人物が出ていますが、僕には
我が故郷高知の英雄、坂本龍馬が一番です!

2015/07/01 (Wed) 22:06

AzTak  

Re: こんばんは

土佐けんさん、こんばんは。

> 吉田松陰、井伊直弼・・・こう言う名前を目にすると
> 僕の大好きな幕末の時代に思いをはせてしまいます^^
> 幕末は色んな人物が出ていますが、僕には
> 我が故郷高知の英雄、坂本龍馬が一番です!

龍馬が好きだという人は結構多いようですね。なんといっても型破りなスケールの大きさが彼の魅力だったんでしょうね。
その時、時代は動いた。…まさしくその時代をリードした人だったんですね。

2015/07/01 (Wed) 22:24

AzTak  

Re: こんばんわ!

こんばんは。

> α6000は、APS-Cですね、ならテレ端210mmでも1.5倍になるんじゃないですか?

α-Eマウントは、210ミリが一番長いレンズのようです。EF-Mマウントと同じで、ミラーレスのマウントの場合、なかなかレンズのラインナップが増えていないようです。300ミリ強相当では、屋外スポーツはかなり厳しいですよね。軽くてハンドリングは楽なんですが、いいことづくめではないようです。
仕方がないので、マウントアダプタを噛ませて、Aマウントを装着する方もいらっしゃるようです。但し、100%通用するようでもなく、…。

2015/07/01 (Wed) 22:36

HARU  

こんばんは。

非業の死を遂げた人物の祟りがあったのかどうか、松蔭の怨霊は聞いたことありませんが、そういう信仰もちょっとは働いたのかもしれませんね。井伊直弼菩提寺の近くに建てたというのが、いかにもヤラセ的で政治色がぷんぷんします。松蔭も苦笑いってとこかもと。いろいろ紹介していただいて楽しく拝見しています。

2015/07/01 (Wed) 23:31

AzTak  

Re: こんばんは。

HARUさん、こんばんは。

> 非業の死を遂げた人物の祟りがあったのかどうか、松蔭の怨霊は聞いたことありませんが、そういう信仰もちょっとは働いたのかもしれませんね。井伊直弼菩提寺の近くに建てたというのが、いかにもヤラセ的で政治色がぷんぷんします。松蔭も苦笑いってとこかもと。いろいろ紹介していただいて楽しく拝見しています。

いつからか知りませんが、世田谷区若林に長州藩の別邸ができたんだそうです。下屋敷までは幕府が用意するものだそうですが、この種の抱え屋敷の場合は、売主に賦課されていた年貢なども肩代わりする必要があったようで、裕福な長州藩などでないと出来なかったことのようです。
なぜ、彦根藩世田谷領の若林に設けたんでしょうね。涼みに行くほど涼しい場所じゃありませんから、彦根藩と言うか井伊大老の動向を探る目的があったのでしょうか。頻繁には来ないであろう豪徳寺に網を張っても詮無い話だと思うのですが。
その土地を明治15年に使用したようです。江戸時代にやれば、謀反の動きありとして藩を取り潰される恐れがあったでしょうから、じっと我慢したのでしょうか。
それからは長州閥による旧時代勢力への苛めの意味合いがあったのかもしれませんね。

2015/07/01 (Wed) 23:46

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