散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

弘前~田舎館~黒石~弘前一人旅(12)

津軽藩ねぷた村(3)
ねぷたの間「ヤーヤー堂」(2)
扇型のねぷた
回転する仕掛けになっている
扇型のねぷた_1
扇型のねぷた_2
扇型のねぷた_3
他の扇型
他の扇型_0
他の扇型_1
他の扇型_2
他の扇型_3
扇型でないもの
扇型でないもの

津軽藩ねぷた村を後にし、再び、街の様子を見て歩く

石場旅館…国登録有形文化財
日本基督教団弘前教会教会堂の隣に、何か風格のある旅館があった。前に取り上げた石場家住宅もあったが、こちらも同じ石場姓。縁戚関係があるのだろうか。
石場旅館…国登録有形文化財
創業者である石場久蔵は、30歳の頃に道路側の表部分に小間物屋と旅籠を兼ねた旅館業を営んだのが始まりで、本建物は明治12年頃に新築されたとされる。
久蔵は、明治19年(1886)に当時の駅伝取締所から駅伝宿舎としての木札を受けている。
明治22年(1889)の間取図に奥部分の建物が記載されている。
明治27年(1894)に弘前・青森間に鉄道が開通し、明治30年に陸軍第八師団が設置されている。明治29年の軍が発行した「大日本旅館」という冊子には石場旅館が掲載されており、また、「陸軍召集軍用旅館」という看板や皇室、政府関係の看板も遺っていることから、多くの関係者が宿泊したものと考えられる。
昭和15年頃に北西側に増築、昭和30年代に客の要望に合わせて現在の間取りに改修、現在の建物正面は、昭和45年に改装して黒塗りの付け柱や付け梁が白い漆喰壁の中に映える、城下町の建物の情緒を醸し出している。


日本基督教団弘前教会教会堂…県重宝
パリのノートルダム大聖堂を十分に彷彿させる外観か。そういえなくもないかなあ。上品そうなご婦人に『カトリック教会はどこにありますか』と尋ねた。そうしたら教えられたのは、こちらだった。一般の方には、プロテスタントもカトリックも区別がつかないのかなあ。ちょっとショック。
日本基督教団弘前教会教会堂_1
うまく撮れなかった。PDF画像をも借用してご覧いただく。
日本基督教団弘前教会教会堂_2
日本基督教団弘前教会教会堂は、1906年に弘前メソヂスト教会の教会堂として青森県弘前市に建設されている建物。1993年、青森県重宝に指定される。

カトリック弘前教会
日本基督教団弘前教会教会堂に4年遅れた建てられた聖堂。その差が青森県重宝指定の有無なのだろうか。弘前市においては、若干、プロテスタント勢力が優勢なのかもしれない。が、こちらの聖堂もなかなか立派だ。理由があって、あえて文化財指定の申請をしていないのかもしれない。
カトリック弘前教会_1
聖堂内部の撮影もOKとのことなので、遠慮なく撮らせてもらった。私は、このリブ・ヴォールトの天井が好きだ。
カトリック弘前教会_2
祭壇のあまりの見事さにびっくり、うっとり。ヨーロッパの聖堂にあるものと雰囲気がそっくりだと思ってみていたが、やはりそういう由緒あるものだったようだ。
カトリック弘前教会_3
カトリック弘前教会_4
カトリック弘前教会_5
祭壇は、1866年(慶応2年)にオランダ ロールモンドで製作されアムステルダムの教会に設置されていたもので1939年(昭和14年)に当時の主任司祭であったコールス師が譲り受けて当教会堂に設置したもので、ゴシック様式の総ナラ製、高さは8メートルに及ぶものとなっている。
東北の教会には畳が敷いてある聖堂があるとは聞いていたが、ここもそうだった。本当にびっくり。
カトリック弘前教会_6
カトリック弘前教会_7
窓は簡単なデザインだった。それでも神父自らがステンドグラスを制作したようだ。
カトリック弘前教会_8
簡単な説明書きがあった
カトリック弘前教会_9
1910年(明治43年)に建設された当教会堂は、ロマネスク様式を基調とし、切妻屋根正面に尖塔を配置し、左右隅の柱が特徴的な外観となっている。内部は、木製のクロスリブヴォールトが組まれ、リブヴォールトや柱の濃茶と天井や壁の白漆喰のコントラスト、1984年(昭和59年)に設置されたステンドグラス、また特に祭壇が印象的なものとなっている。祭壇は、1866年(慶応2年)にオランダ ロールモンドで製作されアムステルダムの教会に設置されていたもので1939年(昭和14年)に当時の主任司祭であったコールス師が譲り受けて当教会堂に設置したもので、ゴシック様式の総ナラ製、高さは8メートルに及ぶものとなっている。
弘前でのカトリックの布教活動は、1874年(明治7年)にパリ外国宣教会の宣教師アリヴェ師による来弘が最初といわれているが、本格的な布教活動は1878年(明治11年)にそれまで函館で布教活動をしていたマラン師が弘前で民家を借りて始めたのが当教会の始まりとなっている。その後、1882年(明治15年)にマラン師の後を継いだフォーリー師のもと現在地に教会堂が建設された。現在の教会堂は、当時の主任司祭モンダグ師のもと改築されており、設計は建築の心得があったといわれるオージェ師を招き、施工は堀江佐吉の弟であり、自らもクリスチャンであった横山常吉が請け負っている

 

弘前~田舎館~黒石~弘前一人旅(11)

津軽藩ねぷた村(2)
揚亀園…国指定登録文化財
津軽富士岩木山と弘前公園の老松を借景とした津軽独特の大石武学流庭園だそうだ。その日の天気では借景の美しさは望めず、庭園本来の美しさで楽しむだけだった。市指定の文化財である茶室揚亀庵を擁し、弘前市保存緑地に指定されているそうだ。なかなかの庭園だと思った。
揚亀園_1
揚亀園_2
揚亀園_3
揚亀園_4
揚亀園_5
独楽処「ずぐり庵」
変わり独楽の実演があった。楽しいものだった。
変わり独楽の実演_1
変わり独楽の実演_2
変わり独楽の実演_3
変わり独楽の実演_4
変わり独楽の実演_5
変わり独楽の実演_6
変わり独楽の実演_7
ねぷたの間「ヤーヤー堂」(1)
弘前のねぷたを中心とした説明と実演。短い時間だったが迫力があった。弘前のねぷたは形状的には扇形のものが多く、全面と後面とで、違うデザインになっているそうだ。個人的には青森のねぶたの方がいいかなと思うが、弘前のねぷたもなかなかに面白味があるようだ。女性軍のいなせな衣装も見ものかも。
扇型でないものもある(組ねぷた)
扇型でないものもある(組ねぷた)_1
扇型でないものもある(組ねぷた)_2
扇型の鏡絵
扇型の鏡絵_1
扇型の鏡絵_2
扇型の鏡絵_3
扇型の見送り絵
扇型の見送り絵_1
扇型の見送り絵_2
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)
こんな撥だから小音量かと思いきやものすごい音量だ
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_1
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_2
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_3
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_4
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_5
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_6
津軽情っ張り大太鼓(つがるじょっぱりおおだいこ)_7
本番時の画像(PDF画像を借用)
鏡絵
本番時の画像(PDF画像を借用)_1
見送り絵
本番時の画像(PDF画像を借用)_2

「弘前ねぷた保存基準」では、以下の通り鏡絵と見送り絵について定められています。
①「鏡絵」(ねぷた本体正面の絵)
明治時代以降中国の三国志や水滸伝、あるいは日本の武将や説話の奮戦図・人情等が題材として多く用いられ描かれており、これを弘前ねぷたの鏡絵の基本とし、骨組には外貼りとする
②「見送り絵」(ねぷた本体裏面中央部の絵)
これまでは美人画が主に描かれてきているが、鏡絵や袖絵との関連等にも留意して描き、額縁内貼りとする
見送り絵額縁部分の内側額縁には「蔦模様」の下がった状態を、その外縁には「雲」を描き、何れも外張りとする

また、「弘前ねぷたまつりコンテスト審査基準」では、以下を判断基準にしています。
鏡絵は、武者絵等の躍動感溢れる絵柄で「動」を表現し、見送り絵は、美人画等で「静」を表現する。

 

弘前~田舎館~黒石~弘前一人旅(10)

弘前公園(3)

公園の地図
弘前公園の記事が続く間は、位置関係がわからなくならないよう、冒頭にこの地図を掲げる
公園の地図

有料ゾーンから無料ゾーンに戻った。つまり、下乗橋から内濠を渡り、内濠と中濠との間の二の丸に出た。そこから少し内濠沿いに北方向に進む。

二の丸東門(東内門)…国指定重要文化財
二の丸側
二の丸東門(東内門)…国指定重要文化財_1
三の丸側
二の丸東門(東内門)…国指定重要文化財_2
案内図
南向きに立って見ている
二の丸東門(東内門)…国指定重要文化財_3
与力番所
門と与力番所とは対で存在していたのだろうか。これは二の丸東門与力番所だ。
与力番所_1
与力番所_2
与力番所_3
二の丸東門(東内門)と二の丸東門与力番所
昔の2つの建物の位置関係がこの通りだったかは不明だが、ことあらば駆けつけるのが番屋に詰める与力の重大な任務だったことだろう。似たり寄ったりの場所にあったと思う。
二の丸東門(東内門)と二の丸東門与力番所
北の郭北門(亀甲門)…国指定重要文化財
内側
北の郭北門(亀甲門)_1
北の郭北門(亀甲門)_2
外側
北の郭北門(亀甲門)_3
その先、亀甲橋を渡れば、完全な城外
北の郭北門(亀甲門)_4
北の郭北門(亀甲門)_5
北の郭北門(亀甲門)_6
石場家住宅…国指定重要文化財
私は、武家屋敷跡かと勘違いしていた。それらしく見えなかったので、がっかりして中に入らずに外観撮影だけでパスしてしまった。後で調べたら、歴史的建造物ではあっても、武家屋敷跡ではなく商家を連綿と維持している住宅のようだ。津軽地方独特の『こみせ』が残っていた。
『こみせ』に関しては、翌日、黒石市でしっかり見てきたので、そこで取り上げる。

石場家住宅_1
石場家住宅_2
石場家住宅_3
石場家は江戸時代、弘前藩出入りの商家であり、主に藁製品を取り扱っていたが、時代と共に扱う物も変遷し、今は酒と煙草の販売を行いながらも、連綿と家名を守り続けている。石場家の由来ははっきりしないが、菩提寺に元禄期の墓碑が残っていることから、少なくとも18世紀初頭から続く家柄であろう。当主は代々「清兵衛」を名乗った。石場家住宅は度々改築が行われたが、最初の建築は18世紀前半であり、主屋は初め他所にあった物を19世紀初頭、現在地(弘前城北部の亀甲門前)に移築したと推定されている。
石場家住宅は1973年(昭和48年)2月23日に国の重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、内部を見学することが出来る。

津軽藩ねぷた村(1)
津軽三味線をまず聞きたかったし、ねぷたも体感してみたかった。何より天気がぐずつき気味だったので、屋内に逃げ込んだ感じだったかも。
津軽三味線「山絃堂」
生演奏を10分ほど行う。この段階では、アルコールを一滴も飲んでおらず、ひたすら聴くことに徹した。奏者は、山田三絃会の工藤純市さん(左側)と竹山会の高橋竹泉さん(右側)。
全国大会A級チャンピオンクラスの演奏者がほぼ常駐し、通年で津軽三味線の生演奏を聴くことのできるコーナーだそうだ。
津軽三味線は、この翌日の夜、津軽三味線ダイニング『響』で佐藤晶さんの演奏をたっぷり楽しんだ。

津軽三味線「山絃堂」_1
津軽三味線「山絃堂」_2
津軽三味線「山絃堂」_3

弘前ねぷた館(有料)
高さ10mの大型ねぷたや内部の骨組みを見学できる実物大の大型ねぷた、ねぷた絵、凧絵の展示をしています。また随時係員が笛と太鼓のお囃子の実演もしています。
【ねぷたの間「ヤーヤー堂」(有料)】
弘前ねぷたの資料の展示コーナーと県内各地の「ねぶた」「ねぷた」の紹介コーナーです。また、最後には金魚ねぷたの製作実演コーナーがあります。
【津軽蔵工房「たくみ」(有料)】
藩政時代から残る米蔵を利用した製作工房です。「津軽塗」「こぎん刺」「こけし・こま」「津軽焼」「津軽錦絵(ねぷた絵・凧)」の製作風景を見学・体験できます。
【津軽三味線「山絃堂」(有料)】
津軽三味線の資料を展示し、生演奏を40分~1時間ごとに行っています。
【揚亀園(有料)】(国指定登録文化財)
津軽富士岩木山と弘前公園の老松を借景とした津軽独特の大石武学流庭園は国の登録文化財に指定されています。市指定の文化財である茶室揚亀庵を擁し、弘前市保存緑地に指定されています。
【独楽処「ずぐり庵」(有料)】
古くから伝わる津軽独特の「ずぐり」をはじめ、様々な「変わりこま」の実演コーナーです。このルーレットで運良く当たれば、素敵なプレゼントがもらえます。又、懐かしい木地玩具でも遊べます。
【製作体験コーナー(有料)】
津軽の様々な民工芸品の製作体験が出来ます。(収容人数60~80名)

 

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