散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

秋の日本民家園(13)

15.北村家住宅
およそ330年ほど前(江戸時代初期)の家屋か。民家としては、こうした保存策がなければとても維持できない経年物件だ。
確かに採光性の良い住宅ではあるが、竹簀子の床に厚いムシロを敷いただけの床か。広瀬家の『土座』のときも、『案外快適』との説明を受けたが、こちらも同様の説明だった。うーーん、そうなのかなあ。

外観
スッキリした外観
スッキリした外観
前回撮影分
立派な濡れ縁があった
立派な濡れ縁があった
家屋内部
北村家の間取り
北村家の間取り
ダイドコロ
ダイドコロ_1
ダイドコロ_2
ヒロマ
竹簀子にムシロを敷いただけの床であることが明白な状態になっている。尻が痛くならなかったものか心配。板張りの床にするする経済力がなかったとは思えない。それほどこの竹簀子床は評価できるものだったのだろうか。
ヒロマ
オク
仏壇と床の間がつくものだったようだ。天井は竹簀子。採光性は十分。
オク_1
オク_2
ヘヤ
撮っている側が開口部。向かって左側が押入れだとか。
ヘヤ

国指定重要文化財
 旧所在地:神奈川県秦野市堀山下
 建物区分:農家(名主の家)
 構造形式:寄棟造、茅葺、桁行15.6m、梁行8.9m
 建築年代:貞享四年(1687)、墨書
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貞享四年の墨書が残る古民家
この建物で特筆されるのは、建築年代がはっきりしていることです。加えて、建築としても非常に優れており、日本で最も重要な民家の一つといえます。建築年代は、柱の先端に墨で記されていました。これを墨書といい、理兵衛という大工の棟梁の名前も明らかになっています。
日常生活の場であるヒロマは、竹簀子と板の間を使い分けています。竹簀子には必要に応じてムシロを敷きました。上手のオク(正座敷)には床の間が付き、ヘヤ(寝室)は畳敷で押入も備えています。このほか、ヒロマとオクに濡縁が付くなど、同じようなつくりの旧伊藤家住宅に比べ、発達した様子を示しています。
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見どころポイント!
 竹簀子床には厚いムシロを敷いて生活していました。
 江戸時代初期の民家としては、非常に明るく開放的な造りです。
 ヒロマとダイドコロ(土間)の間の柱には、ウロコのような模様があります。これは、カンナが普及する前のチョウナという刃物で削った跡です。

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北村家住宅の旧所在地は大住郡鍛冶谷村(秦野市堀山下)で、名主の分家と伝えている。解体移築の際に柱枘より墨書銘が発見され、貞享4年(1687)の建築であることが判明した。これは、建立年時の明らかな民家としては、東日本では茨城県出島村の椎名家住宅延宝2年(1674)に次いで古い。また建築を手掛けたのも同村及び近在の大工であり、こうした面からも当地方民家の代表例とするにふさわしい。
年代的には、旧伊藤家住宅よりやや早いが、逆に進んだ面も見られるので、両者を比較しながら見てみたい。
まず、外観は伊藤家よりかなり開放的である。ヒロマの前面は中央1間を格子窓(シシマド)とするが、その両側の柱間には掃き出し戸を入れてここから直接出入りができるようになっている。しかし向かって右側1間は半分を壁として、板戸と障子を片引とするのに対し、左側1間は引違戸としていて、やや統一感に欠ける。古風な格子窓から掃き出し戸に変化する、その過渡期の姿を示しているのだろう。また、縁側もオク(デイ)のみでなく、ヒロマの前面にも設けられて、江戸中期以降の一般的な民家の姿にさらに近づいている。
オク(デイ)には簡略なものながら床の間がつくのも新しい傾向である。しかしまだ天井は張られていない。ヘヤには押入が登場し、また妻側2間を開口部とするのは随分と進んだ形式である。
一方で、ヒロマと部屋の境には古風なオシイタ(押板)が設けられている。これは清宮家にはあったが伊藤家ではすでに消失している。もっとも、大住郡の平塚市近辺では幕末期まで押板は残るから、地方的な特徴なのかも知れない。押板の用途は必ずしも明確にされていないが、棚のうしろを板壁にするのが普通だから、この壁に札や絵などを掛け、宗教的な行事に使われることが多かったらしい。また、ヘヤの入口は清宮家と同じく、敷居を床よりも一段高くする納戸構えの形式である。
ヒロマの床は伊藤家と同じく竹簀子である。そして土間・ヒロマ境の長押上部の小壁も土壁の代わりに細い丸竹を縦に並べ、あるいはヒロマの竹簀子天井、竹の垂木、土間の外周保護のための割竹の腰壁(ササラバメという)など、竹を随所に使用している。手に入れやすく、また加工のしやすい竹が、当時の民家にとっては重宝な建築材料であったことを教えてくれる。
構造は標準的な四方下屋造。小屋組は扠首に棟束を併用し、束同志を貫で緊結する古式な構造である。柱材は胡桃を主とするが、桁行の梁を受ける各室境の柱に丈夫な欅を用いるのは構造上の配慮であろう。柱は木太く、骨組みはがっしりしている。
 以上のように、北村家住宅は開放的な造りとともに押入や棚の造り付け、障子の全面的使用など、当時の一般よりも進んだ形式を見せている。そして均整のとれた外観もあわせて、17世紀末の平均よりはかなり上質の民家として高く評価されている。
(注)柱枘の墨書には「貞享四年□月吉日 相州堀山下村 大工者鍛冶谷村理兵衛 平沢村源兵衛」「当村木引七兵衛」「貞享四年丁卯二月吉日 大工当流理兵衛」などがある。

Comments

 
豪農の館ですね。
このハリといい広さ素晴らしい建物で重要文化財というのも納得です。
遮光性や通気性はいいようですがやっぱり床は耐えられるのかな?
 
私の家は和室ひとつだけが畳、あとはフローリングです。
冬は和室がとってもあったかいですね。
畳って良いなぁと思ったりします。
案外ムシロがあったかいのかも知れませんね。
囲炉裏で火を炊いてると写真撮りにくいねと夫に話したら
火をたいて煙をだすことが住宅保存の為なんだと
言われました(笑)
こんにちは。 
名主さんの家ですか。
囲炉裏の前にドカット座って威張っていたのでしょうね。
ヒロマの床は竹が敷かれているのですか?
竹の上にむしろを敷いて、風通しがよさそう!しかし座ると痛いでしょうね。
こんにちは。 
北村家の寄棟は裾広がりにのびやかで、すごくカッコいいです。平屋建てのシンプルな美しさが表現されていてほれぼれしますね。でもこれだけ広いと冬は寒いだろうな。どてらを着こんで囲炉裏端から離れられませんね。
 
こんばんは(^-^)<(_ _)>

台所は、床に石がしきつめられているようにみえます。石の間にゴミが溜まって掃除がしにくそう?な感じです。砂のはよく見ますが……
Re: タイトルなし 
ララさん、こんばんは。

> 豪農の館ですね。
> このハリといい広さ素晴らしい建物で重要文化財というのも納得です。

どうも立派だから指定されるとは限らないようですが、立派じゃないと、とてもじゃありませんが今まで保たなかったと思います。

> 遮光性や通気性はいいようですがやっぱり床は耐えられるのかな?

今の人には無理でしょうね。床暖まであるなどと聞いたら、昔の人は卒倒してしまいますよね。
冬はスースーして寒かったと思います。囲炉裏の周りに座布団を敷いて座れる立場の人は良かったでしょうが、その他大勢の人達はゴツゴツしたところに座ったのでしょうか。気になってしまいます。
Re: タイトルなし 
aunt carrotさん、こんばんは。

> 私の家は和室ひとつだけが畳、あとはフローリングです。
> 冬は和室がとってもあったかいですね。

確かに冬の床はひんやりしていて、ちょっとつらいものがありますね。夏は素足に合って気持ちが良いのですが。

> 畳って良いなぁと思ったりします。

いつでも落ち着くことができますからね。

> 案外ムシロがあったかいのかも知れませんね。

下が竹簀子ですからね。ムシロを敷いてもなお寒かったのでは。

> 囲炉裏で火を炊いてると写真撮りにくいねと夫に話したら
> 火をたいて煙をだすことが住宅保存の為なんだと
> 言われました(笑)

そうなんですが、私が行くと燻り出された何とかのようだなっていつも思います。
あまり生木だとはぜた火の粉が飛んで危ないのではと心配してしまいます。火棚があるから大分とは思いますが。
Re: こんにちは。 
masaさん、こんばんは。

> 名主さんの家ですか。
> 囲炉裏の前にドカット座って威張っていたのでしょうね。

そうかもしれませんが、大家族のところははみ出す人もいたかもしれません。

> ヒロマの床は竹が敷かれているのですか?
> 竹の上にむしろを敷いて、風通しがよさそう!しかし座ると痛いでしょうね。

夏は風通しが良いのですが、冬は寒くてたまらなかったと思います。まだ、相模の国だから我慢出来たでしょうが、越後の国では絶対にしなかったと思います。
板張りにするくらいのお金はあったでしょうに、やっぱり目立たないように我慢したのでしょうかね。
痛いのは間違いなく痛かったと思います。座布団があてがわれなかったら、悲鳴を上げそうです。
AzTakさん 
こんばんは
豪農とはいえやはり武家、商家とは違いますね。
客間などは、役人を接待するくらいでしょうか。
慎ましく暮らしていたんですね。
Re: こんにちは。 
HARUさん、こんばんは。

> 北村家の寄棟は裾広がりにのびやかで、すごくカッコいいです。平屋建てのシンプルな美しさが表現されていてほれぼれしますね。でもこれだけ広いと冬は寒いだろうな。どてらを着こんで囲炉裏端から離れられませんね。

格好は良いのですが、長年住む身にはつらいものがあったのではないかと思います。囲炉裏が一つしかないようなんです。あとは火鉢だけ。囲炉裏を囲めない人達は辛かったのではと思います。
相模野から武蔵野にかけては竹がふんだんにあったんですかね。そういえば、目黒も特産品はサンマじゃなく筍でした。まあ、竹簀子に使うのは太い孟宗竹ではなく、細い笹竹だったでしょうが。
Re: タイトルなし 
> こんばんは(^-^)<(_ _)>

keikoさん、こんばんは。

> 台所は、床に石がしきつめられているようにみえます。石の間にゴミが溜まって掃除がしにくそう?な感じです。砂のはよく見ますが……

写真が良くなくてすみません。あれは、出っ張っているんじゃなくて凹んでいるんです。
何故そうなったのか、私も気になって聞いてみたんです。元々はまっ平らな突き固めたドマだったんだそうです。それがものすごいお客様が来られ、その重みでボコボコ引っ込んでしまったとのこと。
女性のヒールもその一因かなあと思います。 <= ベチと叩かれそうですね。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 豪農とはいえやはり武家、商家とは違いますね。
> 客間などは、役人を接待するくらいでしょうか。
> 慎ましく暮らしていたんですね。

まあ、代官などに睨まれるといけないので、自ずと贅沢仕様は控えたのかもしれません。
今だったら、首都圏近郊に土地を所有していれば大金持ちだし、首都圏に野菜の供給などを行うにも地の利があるんでしょう。でも、この時代はどうだったんでしょうね。目黒なども江戸の近郊だったくらいですから。
こんばんは 
床が竹なんですね^^
夏場は風が通って涼しそうです^^
昔の人の知恵なんでしょうね!
でも軟弱な僕が座ると腰が痛くなりそうw
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 床が竹なんですね^^
> 夏場は風が通って涼しそうです^^
> 昔の人の知恵なんでしょうね!

夏はたしかに快適だったかもしれません。でもこれからの季節は隙間風がスースーで震え上がりそうです。本当はこんな床にはしたくなかったと思います。それなりの経済状態の家だったと思うんです。板張りの家にでも出来たはずでしょう。でも『生意気だ』とか『贅沢だ』とか代官などにケチを付けられ、取り扱いを厳しくされたらと気遣ったんでしょうか。

> でも軟弱な僕が座ると腰が痛くなりそうw

座布団を敷かないと尻が痛くなると思います。それと正座は辛いでしょう。
更に、囲炉裏の周りに座る身分じゃないものには、恨めしい限りだったと思います。

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