散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

秋の日本民家園(12)

14.太田家住宅
こちらは『作田家住宅』とは違い、明らかに分棟型とわかる佇まい。一体この中で、何をしていたのだろうかと思うほどだだっ広いドマが見学者の度肝を抜く。
国指定重要文化財を打ち上げ花火で燃やしてしまうなんて、とんだ大馬鹿者がいたものだ。茅葺屋根の取り扱いに通じていた職員がいなかったため、表面上鎮火したように見えても、実は鎮火しておらず、再発火で大きな焼損被害になってしまったようである。you-tubeの映像を見た限りでは、主屋は全焼と言っても過言ではない状態。国の重要文化財指定返上を検討しなくればいけないほどの大きな焼損被害。再発させることが無いよう十分な管理をお願いしたい。
外観
南側
外観_南側
南南西側
外観_南南西側
南東側
外観_南東側
分棟の繋ぎ目部分
栗の木の樋が少し朽ちかけていた。取り換えが必要かもしれない。
分棟の繋ぎ目部分
家屋内部
太田家の間取り
太田家の間取り
ドマ
かなり広い。片隅にウマヤが2区画分あるが、それでもなお広い。ここでどのような作業を行っていたのだろうか。
ドマ_1
ドマ_2
ドマ_3
ドマ_4
ドマ_5
ドマ_6
ヒロマとザシキ
十分に広いが、ドマには敵わない。形も方形ではなく、変形のもの。これも何故なのだろうか。どうにも気になる。
ヒロマとザシキ_1
ヒロマとザシキ_2
ヒロマとザシキ_3
ヒロマとザシキ_4
ザシキ
畳敷きで一応は竹簀子の天井がある立派なもの。撮影した側から直接出入りしたようだ。市の教育委員会の資料には、『天井は竹簀子で、床の間もなく、客間としての形式が整えられていない』と書かれてある。確かにその通りだが、客間にそこまでのしつらえが必要なものだったのだろうか。
ザシキ

国指定重要文化財
 旧所在地:茨城県笠間市片庭
 建物区分:農家(名主の家)、分棟型
 構造形式:主屋=寄棟造、茅葺、桁行9.6m、梁行8.3m/土間=寄棟造、妻入、茅葺、桁行10.0m、梁行8.3m
 建築年代:主屋=17世紀後期/土間=18世紀後期
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家の中に雨どいのある二つ屋根の家
この建物は二棟が軒を接して建つ、分棟型(ぶんとうがた)の民家です。大戸口(おおどぐち)を入ると広い空間がひろがっています。ドマの右手がウマヤ、左手が主屋(おもや)です。主屋は日常生活の場であるヒロマ、寝室であるヘヤ、そして畳敷きのザシキに分かれます。ザシキは正式な部屋で、この部屋に客人が訪れる際には土庇(どびさし)が出入口となりました。
広い土間では、雑穀などの農作業も行われていました。
なおこの家には、突出する馬屋(うまや)や囲炉裏(いろり)の位置 など、南部地方の曲屋(まがりや)と類似する点があります。江戸時代後期には茨城県や栃木県でも曲屋が作られており、この家はその影響を受けた分棟型といえます。
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見どころポイント!
 家の中に雨どいがある分棟型民家です。といが詰まると家の中に雨水があふれました。
 大戸の上に掛けてあるのは、慶応4年に明治政府が出した「五榜の掲示」の一枚です。

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太田家住宅の旧所在地は茨城県笠間市片庭で、近世初頭にはすでにこの地に居住し、また名主の家柄と伝える旧家である。太田家住宅の大きな特徴は、棟方向を別にするふたつの屋根を接続して一軒の家を構成していることである。このような煮炊きをする竈を置く釜屋(土間)と居住部分に、別々に屋根をかける形式は分棟型または釜屋建などと呼ばれ、八丈島や南西諸島などに多く分布することから、かつては南方系の住居形式と考えられてきた。しかし太田家の茨城県中西部、あるいは栃木県宇都宮市の周辺にも昔はこうした家が存在したことが確認されるに及んで、このような解釈は再考を迫られることになった。
太田家の外観は、ひとつの屋根の下に土間も居住部も含む周辺の農家とは大きく相違しているが、間取りは基本的にはそれらとなんら変わるところがない。いわゆる広間型3間取の一種である。土間がかなり広いが、これは土間部分だけ一度建て替えられているからで、解体時の発掘調査によれば、当初の土間は桁行2.5間程度の小さなものであった。
主屋は17世紀末頃の建築、土間は18世紀後期頃と推定されている。
居住部はヒロマとザシキ、ヘヤの3室からなるが、日常生活の中心であるヒロマと土間との間には何の仕切りもなく、ひとつながりの空間である。そしてヒロマ前面を格子窓とするのはこの時期の関東地方の古民家に共通する構えである。ザシキは唯一畳敷の接客間だが、天井は竹簀子で、床の間もなく、客間としての形式が整えられていない。ヘヤは寝室で、ヒロマ側に入口を設けるほかは壁で閉ざされる。
別棟の土間は前面が主屋より前に出ているが、これはこの地方の民家に共通する形である。つまりこの地方では土間の厩の部分が前に出て、全体の平面がL字型になる。いわゆる曲屋の形式が一般的である。太田家の土間が建て替えられた時期には曲屋が一般化していたため、当家でも平面の形状はこれにならったのであろう。
主屋と土間とは年代が違うため、その構造もかなり相違している。例えば、主屋は棟束併用の扠首構造であるのに対し、土間では棟束は用いない。そして主屋では前面の半間を下屋とするため、前面より3尺入った位置に上屋根を立てるというきわめて古式な構法を見せている。また各室境や外周には1間ごとに柱を立て、柱の省略が全く行われていないし、ヘヤの内部には使用上邪魔になるはずの独立柱が2本残されたりしているなど、かなり古風である。これに対し、土間は内部に柱を全く立てないし、また梁行梁を二重に組み、桁行梁との交点は大栓で固定するという、進んだ構法が採られている。
なお、主屋部は土壁だが、土間廻りは板壁である。主屋と土間が接する部分の屋根には大きな谷ができるが、ここには大きな樋を設けて雨水を処理している。
このように太田家は分棟の形式を今に伝える貴重な遺構であり、かつ茨城県のこの種の民家では最も古く、この地方の民家の発展を知るうえで欠かせない存在である。
平成2年7月29日、生田緑地内で打ち上げられた花火が屋根に落下し、主屋のヘヤを中心に焼損したが、復旧修理工事が行われ、平成4年10月31日に竣工した。

Comments

 
貴重なものを花火で消失するなんて事があるんですね。
それにしても広い!
冬は綿入れを着て過ごすのでしょうが、
現代人には暮らし難いですが、昔の人は強かったですね。
光量が少ないと思いますが、綺麗に撮られていますね。
これなら秩父夜祭は大丈夫ですよ!
頑張って撮ってきてください!
 
こんにちは
家の内部はだだっ‐ぴろく、寒い地方ですので冬はどうして過ごしたのですかね。
忍のいちじだったのでしょうか・・・・・想像が付きません。

家の中に雨どいがある分棟型民家です。といが詰まると家の中に雨水があふれましたとありますが、家の中は水浸しで大変だったと思います。
 
大戸の上に掛けてあるのは、慶応4年に明治政府が出した「五榜の掲示」は今では珍しいものなのでしょうね。
土間に陳列されてる藁靴、 
AzTaKさん こんばんは、
土間に陳列されてる藁靴は 疎開した新潟の子供達の冬の必需品でした上手に泥濘をもで 私の長靴にも雪が入り 幼心に不思議と憧れの品のようでした。
こんばんは。 
たしかに広い土間です。雨の日の農作業には欠かせない空間だったのかと想像します。座敷より広いというところに、生活の何が重要で何に基盤を置いていたのかと考えます。現代の発想とはまったく違う家づくりに人間の歴史を見る思いがします。
AzTakさん 
こんばんは
江戸時代初期の様式なんでしょうか?土地柄なんでしょうか?
古い間取りのようですね。
昔、旧盆に花火を子供たちが上げて、茅葺の屋根を燃やしたこともあったようです。
茅葺そのものが無くなっても、花火は無くならないので、消防団は大忙しです。
 
AzTakさん おはようございます♪

本当、土間が広々していますね。
寝室であるヘヤをもう少し大きくしてもいいのでは?
などと、見取り図を見ながら思ったのですが(笑)
昔の人たちも使い勝手をちゃんと考えていたでしょうから
きっと何か訳があるんでしょうね。
今は展示物があるけれど、ここには
日常使うさまざまなものもたくさん置かれていたのかな・・・
気になります。
ヒロマの形もAzTakさんと同じく気になりました。
Re: タイトルなし 
aunt carrotさん、こんばんは。

> 貴重なものを花火で消失するなんて事があるんですね。
> それにしても広い!

勿論、園内は花火なんて厳禁でしょうが、見本民家園は敷地が細長く、隣接の生田緑地から打ち上げられたロケット花火が不幸にして落ちてしまったようです。
それも何とか鎮火したように見え、みんな安心したその日の夜に再発火。丸焼けになってしまったようです。
せめて見張りの人を残しておけば、大被害は防ぐことができたかも知れません。川崎市は、非常に高い授業料を支払ったことになります。

> 冬は綿入れを着て過ごすのでしょうが、
> 現代人には暮らし難いですが、昔の人は強かったですね。

そうですね。私も東北の生まれ&育ちですが、すっかり寒さに弱くなってしまいました。

> 光量が少ないと思いますが、綺麗に撮られていますね。
> これなら秩父夜祭は大丈夫ですよ!
> 頑張って撮ってきてください!

全然自信は無いのですが、1週間を切ったので、携行する小道具などのチェックをはじめました。どうなることやら。
こんばんは 
わらじや藁沓、色々ありますね~~
昔の日本人の知恵ですね^^
竹細工やわらじ、日本の伝統工芸品
良いものですね!
Re: タイトルなし 
> こんにちは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> 家の内部はだだっ‐ぴろく、寒い地方ですので冬はどうして過ごしたのですかね。
> 忍のいちじだったのでしょうか・・・・・想像が付きません。

我慢したのでしょうね。北部とはいえ、まだ関東地方ですから、むちゃくちゃ寒いということはなかったと思います。福島県相馬市に親戚がたくさんいて、こういうような家屋でしたが、それなりに快適でした。風呂に入ったらすぐ寝る。それに尽きるのかもしれません。

> 家の中に雨どいがある分棟型民家です。といが詰まると家の中に雨水があふれましたとありますが、家の中は水浸しで大変だったと思います。

こういうのは一度懲りると、暫くは注意するようになることでしょう。万一、樋から溢れでたとしても、その分は土間に溢れた筈なので、急いで手当すれば、大事にはならなかったと思います。
 
> 大戸の上に掛けてあるのは、慶応4年に明治政府が出した「五榜の掲示」は今では珍しいものなのでしょうね。

言葉が強くて申し訳ありませんが、こんなもの、あまりに下らなすぎて、何で掲示し続けたのか理解に苦しみます。東北の方では新政府に批判的だったので、全く掲示すらされなかったと思います。

五榜の掲示の内容
第一札:五倫道徳遵守
第二札:徒党・強訴・逃散禁止
第三札:切支丹・邪宗門厳禁
第四札:万国公法履行
第五札:郷村脱走禁止

これじゃ、徳川の治世と一緒です。浦上のキリシタン弾圧も明治のことで、大隈重信も関与していたはずです。

こんばんは 
花火で燃えてしまうなんて そんな事があったのですね。
大事に大事に保存してきた建物が 本当に大変な事でしたね。
ドマが本当に広いですね!
家のほぼ半分がドマじゃないですか。
農作業が行われていたという事ですが、かなりの量を生産していたのでしょうかね。
Re: 土間に陳列されてる藁靴、 
> AzTaKさん こんばんは、

umi925さん、こんばんは。

> 土間に陳列されてる藁靴は 疎開した新潟の子供達の冬の必需品でした上手に泥濘をもで 私の長靴にも雪が入り 幼心に不思議と憧れの品のようでした。

疎開が長引いて、寒い冬を過ごさなければならなかった時は大変だったことでしょうね。雪の多い土地では藁沓は重宝したことでしょうね。
藁沓は履いたことがありませんが、わらじの方は小さな鍾乳洞で、着用を義務付くられているところがあり、使用したことがありました。鍾乳洞の冷たい水で、足が千切れそうでした。
Re: こんばんは。 
HARUさん、こんばんは。

> たしかに広い土間です。雨の日の農作業には欠かせない空間だったのかと想像します。座敷より広いというところに、生活の何が重要で何に基盤を置いていたのかと考えます。現代の発想とはまったく違う家づくりに人間の歴史を見る思いがします。

一体何をしていたんでしょうね。わざわざヒロマを変形のものにしていたくらいですから、何かに使っていたんでしょうね。陶芸ではないですよね。それだったら、説明文にも明記してあると思うのですが。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 江戸時代初期の様式なんでしょうか?土地柄なんでしょうか?
> 古い間取りのようですね。

ごく初期は、主屋だけしかなかったんでしょう。そうだとすると、ヒロマの変形がわかる気がします。これじゃ狭くてやっていられない、ということで、土間が異様に広くなったんでしょうか。
よくわからない間取りです。

> 昔、旧盆に花火を子供たちが上げて、茅葺の屋根を燃やしたこともあったようです。
> 茅葺そのものが無くなっても、花火は無くならないので、消防団は大忙しです。

この敷地は細長い敷地で、隣接の生田緑地からの距離はわずかです。そこでロケット花火を上げたようです。一旦鎮火したように見え、安心しきって皆帰ってしまったようです。ところが再発火。丸焼けになってしまった。不幸な事故でした。
茅葺屋根の管理に関してのノウハウが不足していたということでしょう。
Re: タイトルなし 
> AzTakさん おはようございます♪

Mikaさん、こんばんは。

> 本当、土間が広々していますね。
> 寝室であるヘヤをもう少し大きくしてもいいのでは?
> などと、見取り図を見ながら思ったのですが(笑)
> 昔の人たちも使い勝手をちゃんと考えていたでしょうから
> きっと何か訳があるんでしょうね。

初期は主屋しかなかったようで、もしかしたら、ヒロマの引っ込んでいる部分のみが当初の土間だったのかもしれませんね。そして、勝手な想像ですが、当主より奥さんのほうが威張っていたのか、ヘヤもはみ出しを要求された。そんなこんなでヒロマは超変形に相成ったということかも。
その後、農作業の必要が大きくなり、増築した。その結果、土間が異様に広くなったのかなあ、などと想像しています。

> 今は展示物があるけれど、ここには
> 日常使うさまざまなものもたくさん置かれていたのかな・・・
> 気になります。
> ヒロマの形もAzTakさんと同じく気になりました。

まあ、いろいろ想像をたくましくさせる要素のある家ですね。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> わらじや藁沓、色々ありますね~~
> 昔の日本人の知恵ですね^^
> 竹細工やわらじ、日本の伝統工芸品
> 良いものですね!

本当に。他では実用に供されたものがさり気なく展示されていましたが、ここのものは、収集したもののようでした。だだっ広いスペースの賑やかしだったかも。
見ると楽しい展示ですが。
Re: こんばんは 
モカさん、こんばんは。

> 花火で燃えてしまうなんて そんな事があったのですね。
> 大事に大事に保存してきた建物が 本当に大変な事でしたね。

事故が起きてしまったんだそうです。

> ドマが本当に広いですね!
> 家のほぼ半分がドマじゃないですか。

初期の主屋のみの時はあの、ヒロマが引っ込んでいる部分のみだったのではないでしょうか。
それじゃあまりに不便だということで、もう一棟軒を接して建てられ、結果的に異様に広い土間になったようです。

広い土間では、雑穀などの農作業も行われていました。

文章が変ですよね。雑穀をすぐ使えるようにする処理を此処で行っていたのでしょうかね。
今だったら、雑穀米が高く売れますが、この時代は、仕方なくこういうものをも自分たちの食料の一部にしていたのでしょうか?

> 農作業が行われていたという事ですが、かなりの量を生産していたのでしょうかね。

作業対象は不明ですが、何かを生産し、保管していたかもしれませんね。<=まったく冴えない文章です。(^_^;)
こんばんは! 
AzTakさん、こんばんは!
お気遣いいただきありがとうございます!
ピンクの小粒が効いたようです 笑)
たくさんの家屋を詳細にレポートされる事に感服しています。
花火が屋根に落下・・・この大ばか者ですね!
ほんとに広い土間ですね。
蓆を敷きつめて何か農作物の作業をしたのでしょうね!
前にあった物と同じく家の中に雨どいがある民家ですが
大雨の時は心配でしょうね!
馬屋や土間が母屋より少し前に出ていて、カギ型に曲がったような感じは
曲がり屋をを思い出させますね!
私も新潟ですが藁沓は履いた記憶がないのです 汗)
Re: こんばんは! 
> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> お気遣いいただきありがとうございます!
> ピンクの小粒が効いたようです 笑)

無事人心地がついてよかったですね。心配でどこにも出かけられない状態だったと思います。
禁足が解けて、撮影に精を出せますね。

> たくさんの家屋を詳細にレポートされる事に感服しています。
> 花火が屋根に落下・・・この大ばか者ですね!

たしかにあんぽんたんなんですが、本来は、茅を少し焼いただけで終わるはずだったんです。それが再発火して燃え上がってしまったのは、民家園側の油断もあったと思います。少なくても、その夜くらいは見張り員を置いておくべきだったと思います。

> ほんとに広い土間ですね。
> 蓆を敷きつめて何か農作物の作業をしたのでしょうね!

建て増しする前は、ごく狭いドマだったようですが、建てましてからは何に使ったんでしょうえ。

> 前にあった物と同じく家の中に雨どいがある民家ですが
> 大雨の時は心配でしょうね!
> 馬屋や土間が母屋より少し前に出ていて、カギ型に曲がったような感じは
> 曲がり屋をを思い出させますね!

何で面を合わせなかったんでしょうね。よくわかりません。土地はいっぱいあるから、どうにでも作ることができたんでしょうが。
曲屋はこの後登場します。本当にL字型になっています。

> 私も新潟ですが藁沓は履いた記憶がないのです 汗)

そうでしょうね。戦前までのものなんでしょうね。戦後はガラリと生活スタイルが変わってきたんでしょうね。

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