散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

秋の日本民家園(10)

11.作田家住宅
トンネルをくぐると、そこは『信越の村』ゾーンから、『関東の村』ゾーンに変わっていた。
いままで登場しなかった網元の家。干鰯(ほしか)を売り物にしていたのか。ここで生産した干鰯は浦賀の問屋が売り捌いたのだろうか。
分棟型の家屋で、クリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋が二つの屋根をつないでいるのが大きな特徴。前回見学時には雨樋を見そこねた。その反省を踏まえて、今回はしっかり見てきた。それと、クネクネよく曲がった木材を本当にうまく使った梁の渡し方は、感心するほどだった。
しかし、1棟の建物だとばかり思っていた建物が実は分棟型だったとは、川崎市の学芸員も驚いたことだろう。そして、分棟型に復原するにあたっては、相当に苦心したことだろう。主屋と土間との取り合わせ部分の雨水の処理法などは、これから取りあげる『太田家住宅』のそれを参考にしたということだ。

外観
真東側
真東側
南側
『差茅補修』の真っ最中だった。分棟の接続部分には大きな雨樋があるがお分かりだろうか。
南側
南西側
南西側_1
帰途に見たら、屋根の上に補修用の材料がたくさん載っていた
南西側_2
分棟型の家屋で二つの屋根をつなぐクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋
外に出ている部分。多分、この反対側から雨水を落とすようになっていると思う。
大きな雨樋の外に出ている部分
家屋内部
作田家の間取り
作田家の間取り
カミ
カミ_1
カミ_2
『カミ』部分の屋根
梁が迷路のようぬ組み合わされている。ユーモラスな感じだ。
『カミ』部分の屋根
『チャノマ』部分の屋根
こちらも『カミ』と同じような塩梅だ
『チャノマ』部分の屋根_1
『チャノマ』部分の屋根_2
分棟になっている『ニワ』部分の屋根
伝馬船の艫があるところが海辺の屋敷らしい
『ニワ』部分の屋根
分棟型の家屋で二つの屋根をつなぐクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋
二つの屋根をつなぐクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋_1
二つの屋根をつなぐクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋_2
同上イラスト
大きな雨樋のイラスト
『ナカノマ』『オク』
欄間もしつらえてあるようだ
『ナカノマ』『オク』_1
『ナカノマ』『オク』_2
『オク』
『オク』
手前が風呂で奥が便所。客用だ。
手前が風呂で奥が便所
『ニワ』
鰯の処理をする道具のようだった
鰯の処理をする道具のようだった

竈
茅葺屋根の補修中だったが、その説明が展示されていた。『差茅補修』というやり方のようだ。
『差茅補修』というやり方の説明

国指定重要文化財
 旧所在地:千葉県山武郡九十九里町作田
 建物区分:漁家(網元の家)、分棟型
 構造形式:主屋=寄棟造、茅葺、桁行13.0m、梁行11.1m、風呂場及び便所付属 土間=寄棟造、妻入、茅葺、桁行11.5m、梁行5.6m
 建築年代:主屋=17世紀後期、土間=18世紀後期
 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
イワシの地引網漁で栄えた網元の家
この建物はイワシ漁で栄えた九十九里にありました。漁具小屋は海岸近くにあり、この家そのものは内陸に立地していたため、漁村の家の雰囲気はありません。外観は二棟が軒を接しているように見えます。これを分棟型(ぶんとうがた)と呼び、クリの木の半割丸太(はんわりまるた)をくり抜いた大きな雨樋(あまどい)が二つの屋根をつないでいます。居室部は囲炉裏(いろり)のある広いカミがまず目に入ります。床の間の前身である押板(おしいた)や仏壇(ぶつだん)を備え、網元(あみもと)としての生活に使われた格式のある部屋です。その上手は畳敷(たたみじき)の部屋がつづき、座敷としては最高の扱いとなっています。背後には便所と風呂が付属し、座敷と同様に上層民家の接客部分を伝える貴重な建築です。
 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
見どころポイント!
 居間の梁は松の曲材を巧みに組み合わせており、見事な造形美を見せています。
 屋根が二つあり、間には大きな丸太を2つに割って作った雨樋があります。

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
江戸期の房総・九十九里浜は鰯漁で賑わい、生産された干鰯(ほしか)は速効性の肥料として、江戸近郊の農家をはじめとして遠く四国や紀伊方面などでも珍重された。作田家は佐久田村(千葉県山武郡九十九里町作田)の名主で、同時に鰯漁の網元を勤めた有力な家柄であった。作田家の主屋は17世紀末頃の建築と推定されているが、こうした財力を反映して当時の民家としては相当大規模である。
移築前は周辺の農家と同じく、ひとつ屋根のいわゆる直屋の形式であったが、調査の結果、かつては分棟型であったことが判明し、現在はそのように復原されている。直屋に改造した時期は18世紀末頃だったらしく、その時に土間棟はすっかり建て替えられ、材料もすべて新材に替えられた。しかし発掘調査によって土間の規模は当初から変化のないことが判明したので、建て替え時の柱や梁を再用して、土間を別棟の形式に復原している。また、この地方にはすでに分棟型の民家形式は全く残されていなかったので、主屋と土間との取り合わせ部分の雨水の処理法などは前述した太田家住宅など、茨城県の分棟型民家を参考に整備された。
作田家の間取りは、漁家とはいっても農家のそれとなんら変わるところがない。移築前の形式にならって土間の妻側に3室の板敷のシモベヤが復原されているが、これらの部屋は漁具の置場や漁夫の寝場所として使用したというから、ここだけが漁家らしい特徴ということになろう。
千葉県には関東の民家の主流である広間型3間取の伝統がない。いくつかの間取りのタイプがあるが、それらに共通するのはヒロマの背面にナンド(寝室)を置くことで、これは客座敷の背後に寝室を置く広間型3間取とは明らかに系統を異にしている。この型の間取りは茨城や栃木、群馬にも散見されるが、まとまって分布するのは神奈川県の三浦半島のみである。三浦半島の観音崎と房総の富津との間は浦賀水道を隔ててわずか10kmほどしか離れていないから、海路によって住文化を共有したのだろう。
作田家住宅は床上6室と土間とからなる。家の中心はカミで、桁行が4間もあり、家柄を反映してきわめて広い。日常的な接客の場で、前面の3間を格子窓とするのはこの時期の関東の古民家に共通する構えである。カミとナンドとの境には仏壇と押板とが並ぶ。押板は仏壇とともに宗教的祭祠の場だったのかも知れない。チャノマは囲炉裏を中心に日常生活が営まれる所で、もっと古い時期にはおそらくカミとの仕切りはなかっただろうと推測されている。
ゲンカンは特別の出入口で、畳が敷かれるが、後世の式台構えのような武家住宅的な体裁を伴わない、農家らしい素朴な玄関の形式である。ゲンカンからナカノマ、オクはひと続きの接客空間で、床の間を備え、また面積的にもたいへん充実しているが、まだ天井はなく、過渡的な形態である。客用の風呂・上便所は幕末期の嘉永4年(1851)頃のものである。
構造は、梁行が5間と広いため、二段に組んだ梁行梁の上にさらに二の小屋を組んで、1本の扠首の長さを短くしている。すべて下から見渡せる梁組は豪壮で、やや細身ながら曲がりくねった梁を自在に組み上げた大工の腕は見事である。差物の使用も時期的にかなり早い。
以上のように、作田家は千葉県上総地方に残された唯一の分棟型民家であり、かつ網元という特異な家柄と、それに見合う豪壮かつ高質な居宅で、民家史上貴重な存在である。

Comments

 
こんにちは

網元の分棟型の家の二つの屋根をつないだクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋は初めてみました。
堅い木ですので大変だったでしょうね。
栗の木は丈夫で腐りにくいので、柱などには良く使ってありますが、こういう使い方もしていたのですね。
くねった梁を自由に組み上げた当時の大工の技術は凄いと思います。
こんにちは。 
曲がった梁の自在な組み合わせ、1本の木も無駄にしないで組み合わせて、それがまた大変面白く個性的な家屋の表情になっているのですね。素晴らしいです。
こんにちは。 
屋根も全面張り替えではなく部分補修をしているようですね。
囲炉裏の煙が茅葺きよ強くなれ!と言っているようです。
 
梁が見事ですねぇ~♪
自然の形をそのまま活かすとこんなにも美しいのですね。
これは夫が帰ってきたら見せてあげようと思います。
前回の記事も食い入るように見ていましたよ。
雨樋も木を利用しているなんて素晴らしいですね。
また今日も素晴らしいものを見せて頂きました。
イワシ漁 
今日は。

九十九里浜のイワシ漁の網元。
只今はイワシは最も安い魚。
その当時も同じだったでしょうが、食糧ばかりではなく、肥料としても。。
ならば、多くを漁しても、消費が盛んだったのですね。

北海道小樽では「ニシン御殿」を見ました。
ニシン漁が盛んで、御殿は網元の住まい。

今はニシンが消えて久しくなります。

歴史を振り返れば、富をきづいた、当時の産業が解かるのですね。

居間の梁。松の曲材を巧みに組み合わせた造形美。
これは当時のお金持ちの住宅の流行?
そうではなくて「作田家を建造した大工の創作」でしょうか。

丁寧な解説有り難うございます。
Re: タイトルなし 
> こんにちは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> 網元の分棟型の家の二つの屋根をつないだクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋は初めてみました。
> 堅い木ですので大変だったでしょうね。
> 栗の木は丈夫で腐りにくいので、柱などには良く使ってありますが、こういう使い方もしていたのですね。

川崎市教育委員会の説明文です。
移築前は周辺の農家と同じく、ひとつ屋根のいわゆる直屋の形式であったが、調査の結果、かつては分棟型であったことが判明し、現在はそのように復原されている。直屋に改造した時期は18世紀末頃だったらしく、その時に土間棟はすっかり建て替えられ、材料もすべて新材に替えられた。しかし発掘調査によって土間の規模は当初から変化のないことが判明したので、建て替え時の柱や梁を再用して、土間を別棟の形式に復原している。また、この地方にはすでに分棟型の民家形式は全く残されていなかったので、主屋と土間との取り合わせ部分の雨水の処理法などは前述した太田家住宅など、茨城県の分棟型民家を参考に整備された。

最初は誰もが分棟型だとは思っていなかった。それが分棟型だとわかったのですが、参考にすべき住宅が付近に全くない。そこで、雨樋は後ほど登場する『太田家住宅』のやり方を真似て展示することにしたんだそうです。
平たくいえば、本当にそうだったのか違うやり方だったのか、誰にもわからないようです。何かやり方を示さなければいけないので、とりあえず、『太田家住宅』のやり方と同じにしたようです。

> くねった梁を自由に組み上げた当時の大工の技術は凄いと思います。

これは掛け値なしに立派なものだと思いました。
こんばんは 
囲炉裏って良いですよね~~
この火で鍋を炊いたり、
魚を焼いたりして、食べたいものです^^
そして日本酒で一杯、美味しいだろうな♪
Re: こんにちは。 
HARUさん、こんばんは。

> 曲がった梁の自在な組み合わせ、1本の木も無駄にしないで組み合わせて、それがまた大変面白く個性的な家屋の表情になっているのですね。素晴らしいです。

芸術的才能が殆ど無い私でさえも、『これはアートだ』と唸ってしまいました。良くも諦めずに木材の組み方を考えた出したものです。出来上がったものは限りなく美しい。
ここの住民だったら、楽しくていつまでも天井を見ていたかもしれません。その寝不足のつけを学校で払って、廊下に立たされたかも。(^_^;)
Re: こんにちは。 
masaさん、こんばんは。

> 屋根も全面張り替えではなく部分補修をしているようですね。
> 囲炉裏の煙が茅葺きよ強くなれ!と言っているようです。

『差茅補修』を施しているようですね。屋根を保たせるべく、一生懸命囲炉裏に火をくべて、燻らせていました。
本来は豪勢に葺き替えを行っている様子を大公開したいところなんでしょうが、いろいろと物入りなんでしょう。国指定の重要文化財が殆ど全焼の被害にあった時は肝をつぶしただろうし、補修の費用も莫大な金額がかかったことだろうと思います。それに耐震対策も講じなくては。節約節約というところでしょうか。
AzTakさん 
こんばんは
「不揃いの木を組む」
これは法隆寺棟梁の西岡常一さんの弟子の小川三夫さんの言葉です。
まさにその通りです。
人の組織にも合い通づるものがあります。
ホントに見事です。
Re: タイトルなし 
aunt carrotさん、こんばんは。

> 梁が見事ですねぇ~♪
> 自然の形をそのまま活かすとこんなにも美しいのですね。
> これは夫が帰ってきたら見せてあげようと思います。
> 前回の記事も食い入るように見ていましたよ。

本当に組み上げた大工さんの腕の冴えを感じて、ゾクゾクときちゃいました。集められた木材をどうやって組み立てたのか、暫く考えてしまいました。
おそらく低いところで、柱に見立てた短かい木材に重要な梁を先に組み上げ、その他の梁はどうやれば通せるか考えながら通した。それでうまくいったら、一旦バラし、本当の柱に組み立てていったのかな、などと思いました。
でも違うかも。結局のところ、よくわかりません。

> 雨樋も木を利用しているなんて素晴らしいですね。

こちらは、『太田家』のやり方を真似たようです。そうしなければならなかった事情は先のコメントに書いたようなところです。

> また今日も素晴らしいものを見せて頂きました。

一緒に川崎市に感謝しましょう。
Re: イワシ漁 
> 今日は。

ijinさん、こんばんは。

> 九十九里浜のイワシ漁の網元。
> 只今はイワシは最も安い魚。
> その当時も同じだったでしょうが、食糧ばかりではなく、肥料としても。。
> ならば、多くを漁しても、消費が盛んだったのですね。

鰯を食べていれば、病気知らずかもしれません。子供の頃はイヤになるほど食べました。今は、あまり食べなくなったせいか、身体が弱くなってきてしまいました。少し安くなってきたことだし、もう少し食べたいなと思います。
干鰯(ほしか)が即効性の肥料として珍重されていたとは、…。あますところなく食べられちゃう魚だったようですね。

> 北海道小樽では「ニシン御殿」を見ました。
> ニシン漁が盛んで、御殿は網元の住まい。
> 今はニシンが消えて久しくなります。

子供の頃、身欠きにしんをつくる際の饐えた匂いが近隣から流れてきて、それがトラウマだったのか、大嫌いな魚でした。今は、大分損をした気持ちになっています。ニシンも数の子をとられたり、身も食べられたり、散々な目に遭う魚ですね。
鰯よりは大分高く売れたのかもしれません。御殿が建つほどですから。

> 歴史を振り返れば、富をきづいた、当時の産業が解かるのですね。

そうですね。

> 居間の梁。松の曲材を巧みに組み合わせた造形美。
> これは当時のお金持ちの住宅の流行?
> そうではなくて「作田家を建造した大工の創作」でしょうか。

そんなにお金持ちがたくさんいたとは思えないので、流行とまでは行かなかったかもしれません。
後者のような気がするのですが、どうだったんでしょうね。大工さんの創意工夫だと思いたいところですが、言い切る根拠も自信も全くありません。

> 丁寧な解説有り難うございます。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 囲炉裏って良いですよね~~
> この火で鍋を炊いたり、
> 魚を焼いたりして、食べたいものです^^
> そして日本酒で一杯、美味しいだろうな♪

大切な茅葺屋根は守れるし、暖は取れるし、熱々の食べ物であたたまることもできます。夏以外はありがたい存在だったことでしょうね。
土佐あたりだと、斗酒なお辞せずのようだったのでは。一杯ではなく『い~~っぱい』だったことでしょうね。海の魚も川の魚も美味しいものにあふれていたのでは。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 「不揃いの木を組む」
> これは法隆寺棟梁の西岡常一さんの弟子の小川三夫さんの言葉です。
> まさにその通りです。
> 人の組織にも合い通づるものがあります。
> ホントに見事です。

有名な大工さんでも無名の大工さんでも、とにかく丁寧な良い仕事をする人がいたんですね。
手抜きばかりの自分に言い聞かせたくなります。
とにかく一生懸命に取り組んだのだと思いました。見てしまうと、なかなか立ち去りがたいものでした。

Body

« »

10 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
メッセージボードα
Information from AzTak

10月2日(月)から10月8日(日)は、小旅行などの所用がかさなり、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

最新コメント
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR