散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

秋の日本民家園(3)

3.佐地家の門・供待(さじけのもん・ともまち)
禄高二百五十石の武家屋敷の出入口。当主はそれなりの格の武士だったのだろう。供待の用意が有るのはそれほど特別なことではないのかもしれない。でも実情は相当に無理をしていたように思うのだが、どうだったのだろう。

『武士の給料』を説明した頁にjump

確かに母屋の移設がなく、門と供待だけなのだが、かなり貫禄があるように見える。内部は見かけほどではなさそうだが。
佐地家の門・供待_1
佐地家の門・供待_2
佐地家の門・供待_3
門番が出入りする引き戸
佐地家の門・供待_4
門番部屋はかなり薄暗い。私では務まりそうにない。
佐地家の門・供待_5
供待は、冬はとても寒そうだ。囲炉裏の回りに陣取って動かなかったのかもしれない。
佐地家の門・供待_6
佐地家の門・供待_7
佐地家の門・供待_8
まだ紅葉を鑑賞するには早かったかなあ
佐地家の門・供待_9

川崎市重要歴史記念物
 旧所在地:愛知県名古屋市東区白壁
 建物区分:武家屋敷付属建物
 構造形式:門=棟門、桟瓦葺、塀=延長10.5m、桟瓦葺供待=入母屋造、桟瓦葺
 建築年代:19世紀初期
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お供が控えた武家屋敷の門
この建物は、もと名古屋城の東南にあり、禄高(ろくだか)二百五十石の武家屋敷の出入口でした。主屋(おもや)は名古屋に残されたため、現在は旧三澤家住宅を主屋に見立てて配置しています。
門は棟門(むなかど)と呼ばれる形式です。両袖部に突出している小屋根は、提灯(ちょうちん)を吊るすためのものです。供待(ともまち)はお供が主人の帰りを待つための施設で、内部は土間(どま)、門番部屋、囲炉裏(いろり)のある板の間(供待)からなっています。供待が一つの建物として建てられるのは珍しい事例です。屋敷外は漆喰(しっくい)仕上げとして城郭(じょうかく)風であるのに対し、内側は中塗りまでとして軒裏(のきうら)も木部を露出させた簡素な仕上げにするなど、体面を重んずる武士の家らしさが現れています。
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見どころポイント!
 屋敷の外は白い漆喰仕上げ、内側は漆喰を塗らず簡素な仕上げとなっています。
 入口の小部屋は門番が使っていました。


4.三澤家住宅(1)
今回取り上げるのは往きに撮った分。戻るときに『床上公開』で撮った分は、次回取り上げる。前回は屋根から煙が抜けるのがよくわかったが、今回はあまり目立たなかった。
石置板葺のゆるい切妻造屋根が何とも目を引く
三澤家住宅(1)_1
三澤家住宅(1)_2
三澤家住宅(1)_3
三澤家住宅(1)_4
三澤家住宅(1)_5
三澤家住宅(1)_6
三澤家住宅(1)_7
三澤家住宅(1)_8
三澤家住宅(1)_9
三澤家住宅(1)_10
三澤家住宅(1)_11
内部がかなり立派なのに、屋根はかなり粗末なように見えた。伊那辺りの降雪量はさほどではなかったにしても、平べったい屋根で大丈夫だったのだろうか。除雪の時に石が邪魔になるような感じもする。こうした理由は何だろうか?
三澤家住宅(1)_12
三澤家住宅(1)_13
前回撮影分から。煙が抜けるのが目立った。
三澤家住宅(1)_14

神奈川県指定重要文化財
 旧所在地:長野県伊那市西町
 建物区分:商家(薬種問屋→旅籠)
 構造形式:切妻造、石置板葺、一重、一部二階、桁行13.6m、梁行12.7m
 建築年代:19世紀中期
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宿場で薬屋を営んだ板葺き屋根の家
この建物は、中山道(なかせんどう)から分かれる伊那(いな)街道の宿駅、伊那部宿(いなべじゅく)にありました。農業を主とし、代々組頭(くみがしら)をつとめてきましたが、江戸時代の末に製薬・売薬業を始めて成功しました。
外観上の特徴は、石置板葺(いしおきいたぶき)のゆるい切妻造(きりづまづくり)屋根と上手の門構(もんがま)え、それから式台玄関(しきだいげんかん)です。板葺の屋根は良材に恵まれた山間部の地域性によるものです。間取りにはこの宿場の半農半商的性格が現れています。通り土間(とおりどま)で大戸口(おおどぐち)から敷地奥へつなぐのは町屋(まちや)の特徴です。一方、土間後部をウマヤとし、囲炉裏(いろり)のあるオオエを中心に構成する点はこの地方の農家と共通しています。
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見どころポイント!
 栗の板を使った屋根は横木と石だけで押さえてあります。
 展示してある看板は、薬屋と旅館を営んでいたときのものです。

Comments

 
AzTakさん、こんにちは♪

改めて案内図を見たら、まだ入り口のところなんですね。
敷地も広くて、見所たくさんで
ゆっくり見て回ったらあっという間に時間が過ぎそうです。
最後の商家の屋根が面白いです^^
嵐が来たら屋根が吹っ飛んでしまうのでは?
と、ちょっと心配になりましたが(笑)
きっと見た目よりも頑丈なんでしょうね。
Re: タイトルなし 
> AzTakさん、こんにちは♪

Mikaさん、おはようございます。

> 改めて案内図を見たら、まだ入り口のところなんですね。
> 敷地も広くて、見所たくさんで
> ゆっくり見て回ったらあっという間に時間が過ぎそうです。

そうなんです。最初のゾーンの少しだけ急な勾配を上っていきます。ほぼ、上って行くコースなんです。足が鍛えられるコースかもしれません。(笑)

> 最後の商家の屋根が面白いです^^
> 嵐が来たら屋根が吹っ飛んでしまうのでは?
> と、ちょっと心配になりましたが(笑)
> きっと見た目よりも頑丈なんでしょうね。

信州伊那で、良質の材木がふんだんにあったようで、それが理由の板葺きの屋根だったようです。
土間に板葺きのカットモデルがありましたが、かなり厚い板を使っているようです。
釘を使っていないようで、傷んだところの取替えは私でもできそう。メンテナンスがしやすい家屋だったかもしれません。
天気予報がなかった時代、嵐が来そうな感じがしたときは、大慌てで、屋根に置く石の数を増やしたりしたのでしょうか?男衆の意地の見せ所だったかもしれません。
おはようございます 
最初の家の広い土間、かまど、囲炉裏、、、、
なんとも懐かしくて見入ってしまいました。
母の実家が大きな農家で正にこんな感じでしたよ。
遊びにいくと大きなかまどでお芋さん炊いてくれて
お嫁さんが広い板敷きの部屋でおうどんを打ってくれて、、、
懐かしさで胸がいっぱいになりました。
PS:長安寺さんは箱根湿性花園などのそばで
湯本からの名所めぐりバスでも行かれますよ。
湿性花園に行っていながら場所を今回まで知りませんでした。
こんにちは 
250石の武家屋敷でも、こんなに広かったのですねえ
家来は、どれくらいの人数いたのでしょうか?

ドラマに出てくる2000石 3000石の旗本屋敷は、どんなだったのでしょう

 
こんばんは(゜∀゜ゞ)

武家の家には、門番がいたんですね?内部もテレビとは、違って、本物だから、ちゃんとしたつくりで、お金もかかっていそうです。( ´艸`)
AzTakさん 
こんばんは
名古屋勤務時代に東区の徳川美術館に行った覚えがあります(記憶が定かではありません)。
尾張藩の中級武士の家だったんですね。このような家があったんだ、昔は。
近くの伊奈に三沢家が有ったなんて知りませんでした。
ちゃんと保存してくれるから嬉しいですね。
こんばんは 
屋根に石を乗せていますね。
屋根が飛ばないようにしているんでしょうか?
逆に屋根に石があると大風が吹いたら怖いかも(^^;
昔の知恵なんでしょうね~
Re: おはようございます 
aunt carrotさん、こんばんは。

> 最初の家の広い土間、かまど、囲炉裏、、、、
> なんとも懐かしくて見入ってしまいました。
> 母の実家が大きな農家で正にこんな感じでしたよ。
> 遊びにいくと大きなかまどでお芋さん炊いてくれて
> お嫁さんが広い板敷きの部屋でおうどんを打ってくれて、、、
> 懐かしさで胸がいっぱいになりました。

そうでしたか。こちらも大きな農家風の雰囲気が出ていますもんね。
次回内部を取り上げますが、結構立派な室内でした。贅沢な式台玄関があり、粋な欄間もあり、表の方は農家兼商家風であっても、奥の方は儲かった商家の雰囲気がプンプンでした。

> PS:長安寺さんは箱根湿性花園などのそばで
> 湯本からの名所めぐりバスでも行かれますよ。
> 湿性花園に行っていながら場所を今回まで知りませんでした。

その内に尋ねてみたいと思います。あの境内の石像は五百羅漢だったんですね。目黒の五百羅漢は撮影厳禁ですが、こちらは大丈夫そうですね。
Re: こんにちは 
dさんさま、こんばんは。

> 250石の武家屋敷でも、こんなに広かったのですねえ

とも街だけで、主や排泄されていないので想像するしか無いのですが、それなりに大きいものだったと思います。

> 家来は、どれくらいの人数いたのでしょうか?

武士の家来はいなかったのでは。女手はいくらか居て、男手は下男のような存在馬鹿ではなかったかと。勝手にそう思っているだけですが。

> ドラマに出てくる2000石 3000石の旗本屋敷は、どんなだったのでしょう

どうだったんでしょうね。それなりに格式があるので、家系をやりくりするのは大変ではなかったかと。役に就いていれば万々歳でしょうが、無役だと当然役付手当なしでしょうから、出て行くばかりで大変だったと思います。
Re: タイトルなし 
> こんばんは(゜∀゜ゞ)

keikoさん、こんばんは。

> 武家の家には、門番がいたんですね?内部もテレビとは、違って、本物だから、ちゃんとしたつくりで、お金もかかっていそうです。( ´艸`)

供待まで作るんですから、門番を置いたりして、大変だったことでしょうね。
250石程度ではそんなに上級武士とも言えないと思うのですが、それだけの必然性があったのか疑問が拭えないままです。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 名古屋勤務時代に東区の徳川美術館に行った覚えがあります(記憶が定かではありません)。
> 尾張藩の中級武士の家だったんですね。このような家があったんだ、昔は。

何となく、供待まで作っちゃって、見栄っ張りという感じが否めませんが。

> 近くの伊奈に三沢家が有ったなんて知りませんでした。
> ちゃんと保存してくれるから嬉しいですね。

お近くですよね。板葺きの屋根にはびっくりしました。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 屋根に石を乗せていますね。
> 屋根が飛ばないようにしているんでしょうか?

そうだと思います。

> 逆に屋根に石があると大風が吹いたら怖いかも(^^;
> 昔の知恵なんでしょうね~

余程の強風が吹き荒れれば、石ももしかしたら吹き飛ばされるかもしれませんね。
でも、他の部位もことごとく被害をうけるのもたしかでしょう。なんとか大丈夫なように祈るしかなかったと思います。
 
お金持ちだったでしょうし、なぜ石の屋根?
とついつい思ってしまいますね。
だって何しろかっこよくないですから。
でも長瀞に行った時に豪農の住まいを見に行ったら
やっぱり石造りでした。地震に強い?雪に強い?
のでしょうかね。
それにしても民家園、奥が深いですね、
私今職場が川崎駅周辺ですから、いつでも行けそうなのですけど
まだ訪問していません、次の楽しみにさせていただきますね。
こんにちはAzTakさん、またお邪魔します。
Re: タイトルなし 
kozoh55さん、おばんです。

> お金持ちだったでしょうし、なぜ石の屋根?
> とついつい思ってしまいますね。
> だって何しろかっこよくないですから。
> でも長瀞に行った時に豪農の住まいを見に行ったら
> やっぱり石造りでした。地震に強い?雪に強い?
> のでしょうかね。

たぶん、目立たないようにするというのが一番の理由ではなかったのかと思います。瓦屋根にしても、茅葺きにしても、支障なくできるお金はあったでしょうから。

> それにしても民家園、奥が深いですね、
> 私今職場が川崎駅周辺ですから、いつでも行けそうなのですけど
> まだ訪問していません、次の楽しみにさせていただきますね。
> こんにちはAzTakさん、またお邪魔します。

南武線で途中まで来て、そこからバスでしょうかね。面白いと思いますよ。

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