散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

川越(11)

喜多院(2)
その他
慈恵堂…県指定有形文化財(建造物)
慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇です。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。
裄行9間、梁間6間、入母屋造りで銅版葺。現在、喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供を厳修しています。
川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なものです。
昭和46年度から4年間にわたり解体修理が行われました。

慈恵堂_1
慈恵堂_2
多宝塔…県指定有形文化財(建造物)
この多宝塔が国の重要文化財に指定されていなかったのはやや意外だったが、下記説明にあるような明治末の移築に際しての大幅改造が響いているのかもしれない。
多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。
ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元しました。
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。
江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れています。

喜多院_多宝塔_1
喜多院_多宝塔_2
喜多院_多宝塔_3
五百羅漢
定義はまちまちで、川越が含まれていない数え方もある。どのみち、目黒の五百羅漢は含まれないようだ。
日本三大羅漢の一つに数えられています。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。
羅漢とは、阿羅漢の略称で、漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味です。

五百羅漢_1
五百羅漢_2
五百羅漢_3
五百羅漢_4
どろぼうはし
昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、その頃の話である。
ここ喜多院と東照宮の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行では捕まえることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕らえられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐ろしさを知った。
盗賊は、厄除元三大師に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。そこで寺では幕府の寺社奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたという。
この話は大師の無限の慈悲を物語る話として伝わっており、それ以来、この橋を「どろぼうばし」というようになったということである。

どろぼうはし

仙波東照宮
実は川越で私が一番見たかったところだった。今の扱いは粗末な感じがしてならない。時代が変わったのだと感じた。
元和2年(1616年)に薨去した祭神の法要は、久能山から日光山に改葬される際の元和3年(1617年)に、江戸幕府の「黒衣の宰相」と称された天台宗の僧侶・天海によって喜多院で行われ、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、同年にその地に天海によって創建された。1638年(寛永15年)の川越大火で焼失するが、徳川家光によって川越藩主で老中の堀田正盛が造営奉行に命ぜられ、幕府によって再建された。江戸時代を通じ社殿や神器等全て江戸幕府直営であった。
本殿には木像の家康公像が祀られている。石鳥居は寛永15年(1638年)に堀田正盛が奉納したもの。本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した石灯籠が並ぶ。拝殿にある三十六歌仙絵額は岩佐又兵衛筆で知られ国宝。岩槻藩主の阿部重次が奉納した「鷹絵額十二面」は狩野探幽作で知られる。

仙波東照宮_14
国指定の重要文化財
本殿(附:宮殿、棟札)
瑞垣
唐門
仙波東照宮_5
仙波東照宮_6
仙波東照宮_7
仙波東照宮_8
拝殿及び幣殿
幣殿部分は拝殿の陰に隠れていて撮ることが出来なかった。
仙波東照宮_1
仙波東照宮_2
仙波東照宮_3
仙波東照宮_4
石鳥居
仙波東照宮_16
随身門
仙波東照宮_15
工事中だったため、FREEの画像を借用
仙波東照宮_随身門

Comments

 
川越シリーズ、堪能させていただいております。
川越の街並みは写真好きの人がたくさんブログ等にアップしていますが、
これほど多くの重要文化財があるなんてこれまで全く知りませんでした。
非常に勉強になります。ありがとうございます。
自分もいつか必ず川越に訪れて、この目で直に見てみたいと思いました。
Re: タイトルなし 
なかまちさん、こんにちは。

> 川越シリーズ、堪能させていただいております。
> 川越の街並みは写真好きの人がたくさんブログ等にアップしていますが、
> これほど多くの重要文化財があるなんてこれまで全く知りませんでした。
> 非常に勉強になります。ありがとうございます。

国宝・重要文化財大好き人間なので、そういうものがあると聞いただけで張り切ってしまう方です。
社寺の国宝・重要文化財指定は、探せばそこそこあるのでしょうが、大沢家住宅のように個人所有の国宝・重要文化財指定はごく少ないんでしょうね。
売り物の蔵造りも、見た感じ、相当くたびれてきています。計画的に予防保全的修繕を施さないと、先行きは難しくなるかもしれません。空きスペースが少なからずあるので、まず、そこを小洒落た店舗にして、計画的に借り営業してもらう。その間に修繕を施し、江戸東京たてもの園のように修繕過程をも見せる。そのような事を考えないと、川越の街も保たないかもしれないなと思いました。
かなりムッづかしい話ですが、…。

> 自分もいつか必ず川越に訪れて、この目で直に見てみたいと思いました。

是非、訪問して、その成果を見せて下さい。心待ちにしています。
AzTakさん 
かなり大きい街だと思われますが古い町並みがよく残っていますね。
しかし、火事にあった事もあるとか・・
ウチの菩提寺は10数年前、バカの放火により全焼。
檀家が少なくて再建立の寄付が大変でした。
廃仏毀釈とやらで五重塔などが無くなり、惜しいことをしました。
よそに有ると羨ましい気もします。
Re: AzTakさん 
のんびり熊さん、こんばんは。

> かなり大きい街だと思われますが古い町並みがよく残っていますね。
> しかし、火事にあった事もあるとか・・

そこが微妙なところですよね。江戸幕府と藩主とが特別な関係にあり、川越は栄えたものと思われます。その勢いが明治以降も暫く続いたのでしょうね。そんな明治の中頃に大火が起き、街中が焼失した建物だらけ。そんな時に、大沢家の土蔵造りのみが平気だったのです。それで、こぞって真似をした。
ということで、江戸の町並みを引き継いではいますが、目立つのは明治の土蔵造りなんですね。

> ウチの菩提寺は10数年前、バカの放火により全焼。
> 檀家が少なくて再建立の寄付が大変でした。

それは大変なことでしたね。

> 廃仏毀釈とやらで五重塔などが無くなり、惜しいことをしました。
> よそに有ると羨ましい気もします。

廃仏毀釈なんて、明治政府も馬鹿なことをしたものです。天下を取った日本人の習性なんでしょうか?
喜多院も幕府とのつながりが深かったから、明治政府には相当睨まれたと思います。一時は、相当維持していくのが大変だったと思います。多宝塔の傷み具合がそれを物語っているように思います。

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