散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

浄妙寺~報国寺~杉本寺~宝戒寺~東勝寺跡(6)

前回5月3日の記事だが、通し番号が1つ飛んでいた上に、画像が足りなかった。これらを修正したので、興味があれば、『浄妙寺~報国寺~杉本寺~宝戒寺~東勝寺跡(5) 2017.05.04 16:50 画像追加』をも再度ご覧いただきたい。

今回は何が何でも東勝寺跡を見るんだという意気に燃えて、浄明寺から歩き始めた。まずは、途中にある文覚(もんがく)上人屋敷跡石碑を見てから、行くことにする。

文覚(もんがく)上人屋敷跡石碑
雪ノ下4-4-32所在。金沢街道から大御堂橋を渡るとすぐT字路に当る。その交差点の右側に建つ。海の嵐を鎮める法力を持ち、頼朝に平氏追悼の院宣をもたらしたという伝説の人物だそうだ。この人物のことは、アチラコチラで見聞きする。
平維盛の遺児六代(平家最後の嫡男)の助命を嘆願し、六代を神護寺に保護した。その保護した六代御前は、政争に巻き込まれた文覚上人の力の及ばない無いところとなり、鎌倉に引き立てられ、処刑された。逗子市桜山に六代御前の墓が残る。以前見た史跡だ。
昨年末に、神護寺や高山寺を尋ねたが、そちらにも非常に関係が深い高僧だった。弟子に上覚、孫弟子に明恵らがいる。
そのキャリアの出発点とも言える屋敷跡か。

文覚(もんがく)上人屋敷跡石碑
文覚(もんがく)上人
文覚上人の出家前の名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)といい、以前は院の警備をしていましたが、18歳の時に、源渡(みなもとのわたる)の妻袈裟御前(けさのごぜん)に想いをよせ、源渡を殺そうとして、間違って袈裟御前を殺してしまいました。
これを深く後悔して僧となりました。その修行の仕方は大変なもので、凍える日も、真夏の暑い日も草原で寝、日々滝に打たれて何度も死にそうになったといいます。1182年4月、源頼朝の本願として江ノ島に弁財天(べんざいてん)を建て、ここで三十七日の間、飲まず食わずで祈りつづけたといわれています。この場所がその文覚が住んでいた屋敷の跡です。


ツバメも居た
夏鳥といえば夏鳥だ。此処のところ、野鳥さんは全く遭遇できない日が続いている。私が見ることができる唯一の夏鳥かもしれないと弱気になっている。
ツバメ_1
ツバメ_2

宝戒寺
当初、立ち寄るつもりがなかったが、尿意が我慢できず、仕方なく、立ち寄ることにした。立ち寄るからには、しっかり見ておこう。
参道
よくわからないかもしれないが、八角形の大きな敷石が続いている。かなり美しいものなのに、はっきり撮ることができず、残念。
参道
北條執権邸旧蹟の石碑
寺域は北条義時以来の歴代の北条得宗家の屋敷地跡と伝えられている。
北條執権邸旧蹟の石碑
庭石が粋だ
庭石が粋だ_1
庭石が粋だ_2
本堂
いたるところにミツウロコの家紋が入っている。それは、北条高時の慰霊のために造営した寺なのだから、当然のことだろう。
本堂_1
本堂_2
本堂_4
本堂_5
本堂_6
堂内は撮影禁止なので、以下2点はPDF画像を借用する
本堂_7
本堂_8
鐘楼と梵鐘
鐘楼と梵鐘_1
鐘楼と梵鐘_2
宝篋印塔
1333年に滅亡した北條氏ならびに鎌倉合戦東勝寺戦没諸精霊を供養する慰霊塔。鎮魂の祈りを込めた写経、写経石が収められているそうだ。
宝篋印塔は、材木座にある光明寺の内藤家墓所で数多くのものがあるのを見た。何を指すものかといえば、宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔だそうだ。日本ではふつう石塔婆の形式の名称とし、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。のちには供養塔・墓碑塔として建てられた。
宝篋印塔
聖徳太子堂
何故、この寺に聖徳太子堂があるのか、正直なところよくわからない。
聖徳太子堂_1
聖徳太子堂_2
得崇大権現堂
北條高時公を得崇大権現として祀る。鎌倉幕府が滅亡した5月22日に、北條氏鎮魂のため、毎年、大般若転読会が行われる。
真ん中の位置するのは当然だろうが、なぜだか小ぶりの堂である。あまり偉大な存在として崇め立てたくはなかったのだろうか?

得崇大権現堂_1
得崇大権現堂_2
大聖歓喜天堂
国指定の重要文化財である秘仏の大聖歓喜双身天王を祀る。なぜ、この寺の秘仏がこの大聖歓喜天なのかも、正直なところ私にはわからない。
大聖歓喜天堂
歓喜天は聖天(しょうでん)とも称し、象頭人身の2神が相抱擁する形に造形される。歓喜天像は一般に小像が多いが、宝戒寺像は像高155cmに及ぶ大作として珍しい。川端康成の妻は自ら聖天信者を名乗り、行者の予言でこの像の存在を知り、ノーベル賞受賞前に足しげく参詣していたという。

得宗家9代目当主で鎌倉幕府元執権(第14代)の北条高時は、元弘3年5月22日(ユリウス暦1333年7月4日)、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺で自害、一族郎党870余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡した。宝戒寺蔵の建武2年3月28日(同1335年4月22日)付の足利尊氏寄進状に、同寺は「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山としてこの寺を造営しようとしていたことは事実と思われる。しかし、実際の造営は、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、同天皇が没した後に足利尊氏らによって行なわれたと推定されている。

小用も済ませたので、最期の目的場所である東勝寺跡を目指す

Comments

お早う御座います! 
文覚上人ですか、私は全く知らなかったです。
横浜には古い建物や神社などが沢山の超されているようですね。
みなとみらい地区は新しく出来た所と思いますが・・・・・
然し、何時もながら良く歩かれていますね。
交通費、食事代など大変ではないかと思いますが・・・・
私は今日お台場へ行く予定でしたが、天気が悪そうなので中止しました。
今回の大型連休は牛島の藤を撮りに出かけただけで終わりになりそうです。
牛島までは35分くらいで行けるので地元と変わりませんが・・・・
AzTakさん 
こんにちは
思い人と添い遂げようと、誤って思い人を殺めたことを悔いたのでしょうか?
それとも、ヒトを殺めたことを悔やんだのでしょうか?
何れにしても、『遠くて近きは・・・、近くて遠きは・・・』〇〇の事は、思いの外ですねえ。
昔も今もこれからも。
 
こんにちは。
福島県にも嘘か真か噂の類なのかはわかりませんが
文覚上人伝説があり、その最たるは上人が修行をしたと言われる
遠藤ヶ滝や岩屋が存在することです。
(遠藤は文覚上人の出家前の姓)
さすがに伝説は弘法大師ほど多くはありませんが
伝説に残るくらい人々に大きな影響を与えたのでしょうね。

ryu
 
AzTakさま こんにちは
連休中も相変わらず頑張っておられますね。
横浜には沢山古い神社仏閣がありますが、それだけ多くの名だたる人物が存在し、歴史探訪には打ってつけの場所ですね。
これからも楽しみにしております。
 
こんにちは
此方でお寺巡りをされてるのを拝見して、、
思い出させて頂きました^^”

実は西国三十三か所巡りをしてて
まだ半分位残ってたのを(笑
時間を見つけて行かないと^^
こんばんは 
ひょんなことで立ち寄った、宝戒寺ですが、本道の梁の彫刻ですが、片方は狛犬のように思えますが、もう片方は何でしょうか。最初は竜かなと思ったのですが、よく見れば、象のようにも見えます。とても不思議な彫刻ですね。
こんばんは 
今日も神社仏閣を見せていただき、嬉しいです^^
聖徳太子ゆかりのお寺なんでしょうか?
聖徳太子と言えば僕は旧一万円札を思い出します^^
Re: お早う御座います! 
yosaku03さん、こんばんは。

> 文覚上人ですか、私は全く知らなかったです。

私は知ってはいたのですが、鎌倉の地が華々しいというか、壮絶というか、キャリアの始まりだったんですね。う~~ん。

> 横浜には古い建物や神社などが沢山残されているようですね。
> みなとみらい地区は新しく出来た所と思いますが・・・・・
> 然し、何時もながら良く歩かれていますね。
> 交通費、食事代など大変ではないかと思いますが・・・・

交通費はたしかに馬鹿になりませんよね。食事代は、コンビニのおにぎりを食べたり、さくら水産のランチなどを利用したりで、出費を押さえています。

> 私は今日お台場へ行く予定でしたが、天気が悪そうなので中止しました。
> 今回の大型連休は牛島の藤を撮りに出かけただけで終わりになりそうです。
> 牛島までは35分くらいで行けるので地元と変わりませんが・・・・

今日は、天気予報はよくない天気ということでしたが、良い方に外れたようですね。母のご機嫌伺いに行きました。通りすぎる女性たちの露出度の高いノースリーブ姿が目立ちました。早くも悩ましい夏の暑さが到来したようです。
Re: AzTakさん 
> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 思い人と添い遂げようと、誤って思い人を殺めたことを悔いたのでしょうか?
> それとも、ヒトを殺めたことを悔やんだのでしょうか?
> 何れにしても、『遠くて近きは・・・、近くて遠きは・・・』〇〇の事は、思いの外ですねえ。
> 昔も今もこれからも。

そこまで激しく生きた経験がないので、びっくりするばかりです。仏教界のカリスマとなり、神護寺を中興し、弟子や孫弟子が高山寺を創建しましたか。
その破天荒なほどのキャリアの始まりが、鎌倉での出来事だったのですね。
Re: タイトルなし 
> こんにちは。

tgryuさん、こんばんは。

> 福島県にも嘘か真か噂の類なのかはわかりませんが
> 文覚上人伝説があり、その最たるは上人が修行をしたと言われる
> 遠藤ヶ滝や岩屋が存在することです。
> (遠藤は文覚上人の出家前の姓)
> さすがに伝説は弘法大師ほど多くはありませんが
> 伝説に残るくらい人々に大きな影響を与えたのでしょうね。
>
> ryu

確かに遠藤ヶ滝や岩屋が存在しますよねえ。相当なカリスマ性を有したようで、あの頼朝をも黙らせてしまうパワーがあったようです。
その破天荒というか壮絶というか、常人には無いキャリアは、人を殺めてしまったことから始まりましたか。そういう始まり方だったとは恥ずかしながら、知りませんでした。
Re: タイトルなし 
> AzTakさま こんにちは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> 連休中も相変わらず頑張っておられますね。
> 鎌倉には沢山古い神社仏閣がありますが、それだけ多くの名だたる人物が存在し、歴史探訪には打ってつけの場所ですね。
> これからも楽しみにしております。

建物は、殆どが江戸時代の再建でしょう。建物の方は、そういう状況でも、鎌倉時代に生きた人たちは、かなり波乱万丈な生き方をした人が少なくなかったようです。文覚上人などはその最たる存在でしょうね。何しろ、殺人がはじめにありきですから。
Re: タイトルなし 
> こんにちは

x都人xさん、こんばんは。

> 此方でお寺巡りをされてるのを拝見して、、
> 思い出させて頂きました^^”
>
> 実は西国三十三か所巡りをしてて
> まだ半分位残ってたのを(笑
> 時間を見つけて行かないと^^

(ΦωΦ)フフフ…、そうでしたか。私も、秩父札所三十四ヶ所観音霊場を回っていたのですが、十ヶ所ほど回ったきり、長期中断中です。このままでは満願成就は難しそうです。250CCほどの自動二輪で回ろうなどと考えていたのですが、免許取得も果たせていません。十ヶ所くらいずつ、何回かに分けてアタックしようと考えたのですが、…。完全な計画倒れです。
Re: こんばんは 
MTさん、こんばんは。

> ひょんなことで立ち寄った、宝戒寺ですが、本道の梁の彫刻ですが、片方は狛犬のように思えますが、もう片方は何でしょうか。最初は竜かなと思ったのですが、よく見れば、象のようにも見えます。とても不思議な彫刻ですね。

木鼻のことでしょうか。鎌倉時代は単純なデザインのものが多かったようですが、動物文様が多くなり、しだいに象鼻・獅子鼻・獏鼻などへと変化していったようですね。
見事な彫刻が多いので、よく見入っていますが、写真の腕前が今二なので、冴えたものを撮ったことがありません。象鼻と獏鼻とは似ているようです。私には区別がつきません。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 今日も神社仏閣を見せていただき、嬉しいです^^
> 聖徳太子ゆかりのお寺なんでしょうか?
> 聖徳太子と言えば僕は旧一万円札を思い出します^^

聖徳太子との縁はなさそうに思います。箔をつけたかったのでしょうか?それこそ、銀の箔でも使ったほうが良かったのかも。
私の場合、才能も懐具合も共にプアで、聖徳太子とはお近づきになれそうにありません。厩戸皇子などと言われると、誰のこととか思ってしまって、一層遠い存在に思えてしまいます。(^_^;)
約160 
鎌倉の神社、お寺は合わせて約160。2日に1つ回れば1年で完全制覇が出来ます。それが出来るのもあと数年後、私と嫁が一番楽しみにしていることです。
Re: 約160 
senri32さん、こんばんは。

> 鎌倉の神社、お寺は合わせて約160。2日に1つ回れば1年で完全制覇が出来ます。それが出来るのもあと数年後、私と嫁が一番楽しみにしていることです。

160もの寺社が残っていましたか。その気になれば、めぼしいところは10日程度で網羅できそうに思っていましたが、速さを競うものではないですよね。

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