散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

鎌倉の紅葉を愛でる(6)

扇ガ谷を歩いていたら、今まで気が付かなかったものに気づいた。あれは何か気になり、紅葉を愛でるのを中断して、近づいてみた。
相馬師常の墓
石碑には、『相馬次郎師常の墓』とあった。調べてみると、あの相馬野馬追で有名な相馬氏の初代当主が相馬師常なんだ。私のご先祖様の主筋に当たる人物の墓だ。
相馬師常の墓_1
相馬師常の墓_2
相馬師常の墓_3
相馬師常の墓_4
相馬師常の墓_5
相馬師常の墓_6
鎌倉時代の武将。千葉氏の庶流。相馬氏初代当主。千葉常胤の子。子には相馬義胤、矢木常家、戸張行常。また、初名は師胤と考えられている。伝承によると、師常は平将門の子孫である信田師国(胤国の子)の養子となり、その遺領を相続したと伝わる。
父と共に源頼朝の挙兵に参加し、頼朝の弟・源範頼の軍勢に従って各地を転戦した。文治5年(1189年)9月には奥州合戦に参加し、その功により頼朝から「八幡大菩薩」の旗を賜ったという。建仁元年(1201年)、父・常胤が亡くなったために出家し、家督を嫡男の相馬義胤に譲る。出家後は法然の弟子になったと言われている。元久2年(1205年)11月、鎌倉相馬邸の屋敷で端座し、念仏を唱えながら臨終したという。その信心厚い性格から信望の厚かった師常の最期は、鎌倉の民衆たちから見取られたと言われている。1879年、師常を祀る「相馬神社」が福島県相馬市に建立された。


気合を入れ直して、浄光明寺を目指す。分岐点に表示がないのでわかりにくいかもしれない。
浄光明寺
今回の鎌倉行きでは、長寿寺と浄光明寺という足利氏と縁が深い寺院を見て回った。何の意図もないのだが、たまたまそうなった。こちらの浄光明寺は、鎌倉に多い臨済宗でも日蓮宗でもない真言宗泉涌寺派の寺院。
境内略図
境内略図
客殿
『入母屋造り日本最古の唐様建築』などと説明してあるWEBサイトもあったが、私にはよくわからない。なにゆえ歯切れが悪いのかといえば、関東大震災で全壊したはずなのだ。だからこそ、建造物の国指定重要文化財などが一切ないのだろう。本殿の阿弥陀堂と取り違えた説明なのかもしれない。しかしながら客殿が立派な建物であることは誰しも異存がないことだろう。
客殿_1
客殿_2
客殿_3
山門
もとは英勝寺の惣門だったものだそうだ。英勝寺が創建された寛永年間のものと推定される。一時民間に売却されていたが、大正15(1926)年、浄光明寺に寄進されたそうだ。英勝寺の創建が、寛永13(1636)年である。仮にその時から存在するとすれば、380年前のものだ。
山門_1
山門_2
境内の様子
客殿と同じ高さにある境内には毎日自由に立ち入ることができ、拝観料も不要である。境内は谷戸になっていて、少し高いところに本殿である阿弥陀堂があり、更に奥まったところには歌人藤原定家の孫で歌道の名門冷泉家の始祖、冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓がある。このゾーンへ立ち入って拝観できるのは、木、土、日、祝の10:00~12:00、13:00~16:00という日時限定で、拝観料は200円が必要となる。
私が行ったには金曜日だったので、残念ながら拝観することができなかった。

境内の様子_1
境内の様子_2
境内の様子_3
境内の様子_4
境内の様子_5
不動堂
天明三年(1783)に再建された。普段は非公開だが、除夜の鐘のときのみ公開されるそうだ。
不動堂_1
不動堂_2
不動堂_3
鐘楼
ということで、此処でも除夜の鐘が撞かれるようだ
鐘楼_1
本殿
本尊・阿弥陀三尊像を安置していたことから阿弥陀堂とも呼ばれている。残念ながら、この日は公開日ではなかったので、無情にも通せんぼ。本堂に見えている三世佛は新しいもので、オリジナルの国指定重要文化財の仏像は収納庫に格納されているようだ。
最初の画像はPDF画像を借用した
本殿_1
残念なことに公開日でないので、扉が閉じられていた
本殿_2
本殿_3
寛文8年(1668年)、鶴岡八幡宮寺の元喬僧都が母の追善供養のために資金提供し、開山坊跡に旧材を用いて建てられた唐様建築の仏殿。もともと本尊阿弥陀三尊像が安置されていたために阿弥陀堂と呼ばれる。現在は新しい三世仏が安置されている。堂内には応仁2年(1468年)の銘入りの須弥壇があり、左奥の祖師堂には室町時代に造られた木造の真聖国師(開山・真阿)像や歴代住職の位牌、右奥の土地堂にはやはり室町時代の木造・北条長時像などを収める。
収蔵庫の阿弥陀三尊像(画像なし)
この寺の阿弥陀三尊像は鎌倉時代後期正安元年(1299)の作で素晴らしい仏であり、中世鎌倉地方彫刻の代表的作例。阿弥陀三尊像は鎌倉独特の土紋装飾が施された仏像で、鎌倉彫刻の傑作と名高く国の重要文化財に指定されている。

冷泉為相の墓
常時見ることはできないが、裏山には歌人藤原定家の孫で歌道の名門冷泉家の始祖、冷泉為相の墓がある。拝観は、前述した通り、公開日のみ可能。しかし、兄弟喧嘩の始末を幕府に訴え出たのか。現代ならば、『民事不介入』と門前払いを食らうケースだろうなあ。冷泉家の始祖が鎌倉に葬られていたとは知らなかった。
冷泉為相_1
冷泉為相_2
冷泉為相(れいぜいためすけ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿、歌人。冷泉家の祖。正二位・権中納言。権大納言・民部卿・藤原為家の晩年の子。母は『十六夜日記』作者として知られる阿仏尼(安嘉門院四条)。
父為家が建治元年(1275年)に死去した後、所領であった播磨国細川庄や文書の相続の問題で異母兄の為氏と争い、為相の母阿仏尼(奥山度繁の娘)が鎌倉へ下って幕府に訴えている(この間の事情は『十六夜日記』に詳しい)。また、為相も度々鎌倉へ下って幕府に訴え勝訴するが、その際に鎌倉における歌壇を指導し、「藤ヶ谷式目」を作るなどして鎌倉連歌の発展に貢献している。その一方、京都の京極派の歌合や『文保百首』などにも参加している。また娘の一人は鎌倉幕府8代将軍である久明親王に嫁ぎ久良親王を儲けている。こうした関係から晩年は鎌倉に移住して将軍を補佐し、同地で薨去している。
『新後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に入集している。家集には2種類の『為相百首』や『藤谷和歌集』がある。
なお、冷泉家の分家に藤谷家があるが、藤谷家の家名は為相が鎌倉の藤ヶ谷に関東における別宅を構えたことに由来する。山城国の公家からは、藤谷黄門(ふじたにこうもん)と呼ばれ、公家でありながら幕府と非常に親しい関係にあった。神奈川県鎌倉市の浄光明寺に葬られた。

楊貴妃観音像
さすが泉涌寺派の寺院だけあって、泉涌寺と同様に楊貴妃観音像があった。2004年建立で、泉涌寺の楊貴妃観音に魅せられた近藤清一氏という篤志家の依頼で当代一の長岡和慶仏師が彫り、浄光明寺に寄進された像だそうだ。
楊貴妃観音像

浄光明寺は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は泉谷山(せんこくざん)。開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来である。北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝える。新四国東国八十八ヶ所霊場の第82番。
鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂(かめがやつさか)と化粧坂(けわいざか)にはさまれた扇ヶ谷の支谷、泉ヶ谷に位置する。山号の泉谷山はこの谷戸の名にちなむ。寺伝によれば、建長3年(1251年)頃、第5代執権北条時頼、第6代執権北条長時が開基となって創建したもので、開山(初代住持)は真阿(真聖国師)であった。それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったともいうが、定かでない。
永仁4年(1296年)の開山(真阿)譲状には北条時頼と長時が開基であると記されている。長時は鎌倉幕府6代執権で、文永元年(1264年)、36歳で死去し、浄光明寺に葬られ、以後、この寺は長時に始まる赤橋流北条氏の菩提寺と位置づけられた。開山の真阿は浄土宗系の僧であるが、当寺は創建当初から兼学(複数の宗派が並存)の寺であり、3世の高恵(智庵和上)の時から四宗兼学となって近世末に至っている(「四宗」は必ずしも4つの宗派に限らず、真言、天台、浄土、華厳、禅、律を含む)。この高恵の時代、元弘3年(1333年)には後醍醐天皇から上総国山辺郡(千葉県東金市)と相模国波多野荘(神奈川県秦野市)の寺領を寄進されており、また同年には成良親王(なりよししんのう、後醍醐皇子)の祈願所ともなっている。
浄光明寺は中世を通じ、足利氏および鎌倉公方の帰依を受けている。すなわち、暦応元年(1338年)以降、足利尊氏および弟の足利直義より相模国金目郷(神奈川県平塚市)、上総国山辺郡(千葉県東金市)、伊豆国三津庄(静岡県沼津市)などの寺領の寄進を受けている。また、直義は康永3年(1344年)と観応2年(1351年)に仏舎利を寄進している。尊氏は、建武2年(1335年)、後醍醐天皇に叛旗をひるがえして挙兵する直前、天皇への謀反の意思がないことを示すため浄光明寺にて謹慎していたとも伝えられる。この当時の境内の様子は「浄光明寺敷地絵図」(後述)により具体的にわかる。
室町時代に入り、足利満兼(鎌倉公方)は、応永6年(1399年)、父・氏満と祖父・基氏の遺骨を分けて浄光明寺に安置し、以降、当寺は鎌倉公方の菩提寺となった。天正19年(1591年)には徳川家康より4貫800文が与えられている。
往時は10近い子院があったが、江戸時代に入ると伽藍は荒廃、本堂さえ失われる状態であったという。寛文8年(1668年)、僧侶の勧進、鶴岡八幡宮寺相承院元喬僧都の援助などを得て仏殿を再興、法灯は保たれた。


以上で『鎌倉の紅葉を愛でる』のミニシリーズは終了です。最後までご覧いただき、有難うございました。

Comments

こんばんは! 
AzTakさん、こんばんは!
鎌倉紅葉のミニ旅の最後に
ご先祖様の主筋にあたる方のお墓に巡り会えて
これだけでも大きな成果がありましたね♪
 
こんにちは

恥ずかしながら鎌倉行った事がないです。。
写真を見て改めて素敵な所と思います。

余談ですが、日本の昔ながらの建築技術って素晴らしいですよね。
お寺や神社、城に至るまで毎回見る度に感激します。
前回のコメントでAzTakさんが仰っていた様に、暇を作りカメラを持って出掛けないとダメですね。
今日は! 
丁寧にきめ細かく写真を撮り文章を書かれていて何時も驚いています。
色々な神社を見つけ訪問し写真を撮りブログに掲載している努力には頭が下がります。

今日は青空が広がり良い天気になっていますが、風が強いですね。
昨日は東武動物公園へイルミネーションを撮りに行ってきました。
今日は風が強いので休養日にしました。
 
こんにちは。
福島県の相馬のルーツは茨城県・千葉県(下総国)の相馬郡だと聞いていたので初代の墓所もその周辺にあるかと思っていたら
鎌倉にあるとは知りませんでした。
相馬師常にとって下総国の相馬は居住地とうより所領地だったと言うことでしょうかね。
現在の国会議員なども各地方が地元といいながら
実際は東京に居住しているわけですから
似たようなもんでしょうかね?

ryu
知らない鎌倉 
私が、知らない鎌倉ばかりでした。長谷の「ギルド」や、喫茶店の「檸檬」は一体どうなっているのであろう。バイク乗ったカミナリ族が、お寺など回るわきゃないですからね。
こんばんは 
岩山をくりぬいた祠を見るといつも感動します。なかなかちょっとやそっとでは空くものではありませんし、根気強さが必要です。それにしてもAzTakさんのご先祖様はとても立派な方だったのですね。^^
Re: こんばんは! 
> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 鎌倉紅葉のミニ旅の最後に
> ご先祖様の主筋にあたる方のお墓に巡り会えて
> これだけでも大きな成果がありましたね♪

そうですね。愚妻が以前あるNPOの常任理事をしていたことがありますが、その時の会長が相馬雪香氏でした。
いつまでたっても主従の縁が続くものだねと苦笑いしたものでした。
相馬氏 
AzTakさん ご無沙汰しています。
なかなか興味深いものを拝見しました。
茨城県信太(信田)地方に伝わる信太の小太郎伝説にも関わりそうです。
面白いものですね。
Re: タイトルなし 
> こんにちは

芽吹さん、こんばんは。

> 恥ずかしながら鎌倉行った事がないです。
> 写真を見て改めて素敵な所と思います。

恥ずかしくもなんともないですよ。行ったことがないところは、その人によって違うでしょうが、そうそう遊び回っていられる方は少ないと思います。私も他の方のWEBサイトで、そこに行ったような気になっています。(^_^;)

> 余談ですが、日本の昔ながらの建築技術って素晴らしいですよね。
> お寺や神社、城に至るまで毎回見る度に感激します。

確かにそうですね。でもなんでもなさそうな古びた建物も別の味わいがあるかもしれません。良いところ探しもありかなと思います。

> 前回のコメントでAzTakさんが仰っていた様に、暇を作りカメラを持って出掛けないとダメですね。

多少でも余裕がある内に、少しカメラに慣れておいたほうが絶対にいいと思います。そのほうが他の方に教えてもらうときも、理解しやすいように思います。
Re: 今日は! 
yosaku03さん、こんばんは。

> 丁寧にきめ細かく写真を撮り文章を書かれていて何時も驚いています。
> 色々な神社を見つけ訪問し写真を撮りブログに掲載している努力には頭が下がります。

有難うございます。実は今日の分は、もっと別な形でまとめようと思ったのですが、それには材料が足らず、不本意ながら、簡略版にしてしまいました。ちゃんと見ておかないと、後でまとめるときも、悔やむことになります。(^_^;)

> 今日は青空が広がり良い天気になっていますが、風が強いですね。
> 昨日は東武動物公園へイルミネーションを撮りに行ってきました。
> 今日は風が強いので休養日にしました。

無理は禁物ですね。今日は母の様子を見に横須賀に行きました。久しぶりにヴェルニー公園に行きました。オオバンが気持ちよさそうに浮かんでいました。私も一緒に泳ぎたいくらいでしたが、そんなことをしたら、すぐに捕まりますよね。なにせ米軍の基地前ですから。
Re: タイトルなし 
> こんにちは。

tgryuさん、こんばんは。

> 福島県の相馬のルーツは茨城県・千葉県(下総国)の相馬郡だと聞いていたので初代の墓所もその周辺にあるかと思っていたら
> 鎌倉にあるとは知りませんでした。

私も初めて知りました。鎌倉時代の武将は大抵はやぐらですよね。『後からみたら、誰のお墓かわからない。それでいいんだ』と言うところでしょうか。

> 相馬師常にとって下総国の相馬は居住地というより所領地だったと言うことでしょうかね。
> 現在の国会議員なども各地方が地元といいながら
> 実際は東京に居住しているわけですから
> 似たようなもんでしょうかね?
>
> ryu

最初はそうだったのでしょうが、愛着を持って暮らしていたんだと思います。その表れが『相馬流れ山』にもあると思います。野馬追にも必ず歌われますから。今の流山市のことは絶対に忘れないという思いがあるのだと理解しています。




Re: 知らない鎌倉 
senri32さん、こんばんは。

> 私が、知らない鎌倉ばかりでした。長谷の「ギルド」や、喫茶店の「檸檬」は一体どうなっているのであろう。バイク乗ったカミナリ族が、お寺など回るわきゃないですからね。

今回取り上げたところは比較的マイナーなところなので、知らないのは当然かと思います。
私はギルドや檸檬などはまるで知りません。昔から、独り歩きの時は、あまり飲み食いしないからでしょうかね。
Re: こんばんは 
MTさん、こんばんは。

> 岩山をくりぬいた祠を見るといつも感動します。なかなかちょっとやそっとでは空くものではありませんし、根気強さが必要です。

(ΦωΦ)フフフ…、鎌倉は至る所を切り開いたようですよ。切通しなどは気が遠くなるような難事業だったと思います。それなので、やぐらをつくるくらいは当たり前の感覚だったのでしょうかね。

> それにしてもAzTakさんのご先祖様はとても立派な方だったのですね。^^

あれ、誤解されています。相馬の殿様は私の祖先ではありません。その家来でした。
多少のお役はもらえていたようですが、所詮は田舎藩の内職三昧の暮らし向きだったのでは。それでも、祖母が結婚したてのとき、祖父の実家に行ったら、『どこへお成りなさる』などという言葉をかけられて面食らったと話していました。
Re: 相馬氏 
> AzTakさん ご無沙汰しています。

Romanさん、こんばんは。大変ご無沙汰しています。m(_ _)m

> なかなか興味深いものを拝見しました。
> 茨城県信太(信田)地方に伝わる信太の小太郎伝説にも関わりそうです。
> 面白いものですね。

私がなにか言ったというのではなく、そう書かれてあったという紹介でした。信太の小太郎伝説というのは知りませんでしたが、鎌倉市の担当者はそういうふうに考えているようですね。

私の関心は、偏に先祖のご主君の墓が此処にあったという点にありました。鎌倉での評判が良い人物だったようで、ほっと胸をなでおろしました。

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