散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

伊豆への一泊の旅(2)

小田原城址(2)
二の丸御殿のあった二の丸広場から先に進む。目指すは本丸だ。
小田原城跡のイヌマキ
この木は、常盤木橋の前にあり、幹回り4.5mに及ぶ小田原市内最大の巨木だそうだ。樹齢は軽く片手を超すようだ。
小田原城跡のイヌマキ
見上げると本丸に至るルートが
本丸東堀(今は空堀)に架かる赤い常盤木橋を渡り、本丸の巨マツ(おおまつ)を視界に入れながら階段を上り、踊り場で右折してさらに小階段を上ると、右手の松に隠れた常磐木門。そこを潜った先が本丸だ。
防御を確実にするための構造だったのだろうか?
平山城なので、このくらいの上りは我慢しなければいけない範囲かな。将軍は歩いて本丸御殿に入ったのだろうか?
防御を確実にするための構造だったのだろうか?
本丸東堀跡と常盤木橋
昔は歴とした堀があったのだそうだ。将軍をお護りするには当然の備えだったのかもしれない。
本丸東堀跡と常盤木橋_1
本丸東堀跡と常盤木橋_2
本丸東堀跡と常盤木橋_3
常盤木門
本丸を防御する最重要にして最大の門。堅固に作られていたはずだが、元禄16(1703)年の大地震で崩壊したしてしまった。その後、宝永3(1706)年に、多門櫓と渡り櫓から構成される桝形門形式で再建され、明治3年(1870)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれている。
手前の踊り場
本丸の巨マツが否が応でも目に入る。松の木(常盤樹)の長寿ぶりにあやかり、永久不滅を願った常盤木の名がつけられたようだ。
手前の踊り場
常盤木門
常盤木門_1
常盤木門_2
常盤木門_3
常盤木門_4
古絵図などの記録から、江戸時代初期から設けられていたことが分かります。現在の常盤木門は、市制30周年事業として、明治時代初期に撮影された写真などを参考に復興したもので、昭和46(1971)年3月に完成しました。

天守閣
本来、常盤木門をくぐったならば、本丸御殿が目に入るはずだが、元禄地震で焼失し、その後は再建されていない。ここが小田原城の不思議なところで、普通の藩であればそんなことはありえない。だが、既述の通り、藩主は二の丸御殿にいて、本丸御殿は、徳川の将軍逗留のためのものだったのだ。おそらく、必要があれば、二の丸御殿を使用したのだろう。
ということで、本丸広場はほぼ更地になっていて、天守閣がどどーんと目に飛び込んでくる。昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興されたそうだ。今の物価にすれば、もっとかかっているはずだ。

天守閣_1
天守閣_2
天守閣_3
天守閣_4
天守閣_5
天守閣_6
関東大震災の痕跡
震源地の間近だったので、被害は甚大なものになった。お城の石垣もことごとく崩れ落ちたと言われる。その痕跡だ。
関東大震災の痕跡_1
関東大震災の痕跡_2
関東大震災の痕跡_3
関東大震災の痕跡_4
関東大震災の痕跡_5

もし、後北条氏の痕跡を辿りたいのならば、三島市にある山中城跡がお勧め。北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。三島市が整備をして、ある程度当時を偲ぶ事ができるようになっている。
興味のある方は、ここをクリックしてPDF をダウンロードされたい。


小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。
江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。その後、大久保氏が再び城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。
しかし、小田原城は明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。
現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)には馬出門が復元されました。さらに小田原市では、貴重な文化的遺産である小田原城跡をより一層親しんでいただくとともに、長く後世に伝えていくことを目的として、本格的な史跡整備に取り組んでいます。 
平成18年10月に、「日本の歴史公園100選」に選ばれました。

Comments

おはようございます! 
AzTakさん、おはようぎざいます!
そうなんですか!本丸御殿が無いのですか!
元禄の地震や関東大震災の影響は予想以上だったようですね!
秀吉が囲んだ頃が最大規模だったとの事ですが
歴史上大阪城に次ぐ規模だったのでしょうか?
三島市の山中城という支城のご紹介ありがとうございます。
下調べをちゃんとして行かないと、ただの山歩きに終わりそうです 汗)
お城 
おはようございます。数十年もすれば、変るものですね。各所が修復されているのですね。お城を見たのは、何十年前が最後だったのかな。忘れました。ひょっとして、子供を連れて行った、25年前の小田原城が、最後だったかもしれません。
 
こんばんは。
たとえ復元された天守閣であろうとも
会津若松のシンボルが鶴ヶ城であるように
小田原もまた小田原城が唯一無二のシンボルなんでしょうね。
鶴ヶ城などはシンボルどころか心の拠り所かも。
よそもの私でさえ小田原と言えばこの天主閣をイメージします。

ryu
AzTakさん 
こんばんは
関東大震災の痕跡が此処に有るとは知りませんでした。
津波の痕跡は、目に見える形では残りにくいようですね。
地震の痕跡は、目に見えるように残しておいても良いのではないかと思います。
こんばんは! 
関東大震災でお城が崩れ落ちたとは・・・。熊本城も思い出されて悲しい感じです。
寄居の件ですが、この前、後北条氏繋がりで、小田原、八王子、寄居が姉妹都市になったと市の広報に載っていました・・・。^^;
こんばんは 
小田原城は去年から今年にかけて改修工事されましたよね。
改修工事が終わり、真っ白な綺麗なお城になりましたね~
間rで白鷺城みたいです^^
規模は小さいですけどね^^
Re: おはようございます! 
> AzTakさん、おはようぎざいます!

makiraさん、こんばんは。

> そうなんですか!本丸御殿が無いのですか!

途中までは存在し、その後なくなったままにしてあったということだそうです。
二の丸御殿が本来の本丸御殿の働きをしていたようですから、無くても痛痒を感じなかったのかもしれません。

> 元禄の地震や関東大震災の影響は予想以上だったようですね!

そうですね。相模トラフ~駿河トラフ~南海トラフで、大地震が起きる可能性ナンバーワンの土地柄ですからねえ。

> 秀吉が囲んだ頃が最大規模だったとの事ですが
> 歴史上大阪城に次ぐ規模だったのでしょうか?

全然詳しくはないのですが、総体として後北条の力はすごかったんだと思います。
居城は3つ、
主な支城は、伊豆:1,相模:8,武蔵:16,上野:2,下総:3
伊豆は山中城です。武蔵は川越城、忍城、鉢形城、八王子城、江戸城、世田谷城などがありました。すごい名前が並びますよね。

> 三島市の山中城という支城のご紹介ありがとうございます。
> 下調べをちゃんとして行かないと、ただの山歩きに終わりそうです 汗)

後北条は、アチラコチラに散らばっていますから、難しいかもしれません。寄居町にも鉢形城という支城があったようです。寄居北條まつりは5月に賑々しく行われるんですよ。一度だけ見た時は、大感激しました。後北条はこんなにも凄い勢力だったのかと思ったものでした。必見かもしれません。
Re: お城 
senri32さん、こんばんは。

> おはようございます。数十年もすれば、変るものですね。各所が修復されているのですね。お城を見たのは、何十年前が最後だったのかな。忘れました。ひょっとして、子供を連れて行った、25年前の小田原城が、最後だったかもしれません。

だいぶ様子が変わって、見違えるほどになったかもしれませんね。
勇ましいのがお好きなら、埼玉県寄居町の寄居北條まつりがおすすめです。面白いですよ。
Re: タイトルなし 
> こんばんは。

tgryuさん、こんばんは。

> たとえ復元された天守閣であろうとも
> 会津若松のシンボルが鶴ヶ城であるように
> 小田原もまた小田原城が唯一無二のシンボルなんでしょうね。
> 鶴ヶ城などはシンボルどころか心の拠り所かも。
> よそもの私でさえ小田原と言えばこの天主閣をイメージします。
>
> ryu

確かにお城は郷土を紹介するのに一番でしょうから、手っ取り早いお国自慢になるのでしょうね。
会津若松については、私のような浜通りの人間でも誇りに思うくらいです。異存のある人は福島県人にはいないと思います。
小田原についてはどうなんでしょうね。未だに後北条に心情的に肩入れをする人も少なくないのでは。身過ぎ世過ぎのために大久保氏に仕えたりしたものの、心は後北条にある人達も少なくなかったのでは。後北条は、年貢も一番少なく領民からは慕われていたようです。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 関東大震災の痕跡が此処に有るとは知りませんでした。

確かにくっきりはっきり残っていますね。私のボケた写真でもわかるくらいですから。

> 津波の痕跡は、目に見える形では残りにくいようですね。
> 地震の痕跡は、目に見えるように残しておいても良いのではないかと思います。

ですが、あそこでのんびり写真を撮っているとき、また大地震が起きたら、あの大きな石が崩れ落ちるかもしれません。ちょっと心配ではありました。
Re: こんばんは! 
MTさん、こんばんは。

> 関東大震災でお城が崩れ落ちたとは・・・。熊本城も思い出されて悲しい感じです。

そうですね。こちらは、大地震の危険性が声高に叫ばれている土地柄ですから、万一の備える準備は日頃から怠ってはいけないのでしょうね。
熊本は以外でしたね。阿蘇山の噴火はあるとは思っても、大地震が起きるとは。何もできませんが、今年は熊本の柑橘類を大量に購入し食しています。お金が回りだし、仕事が再開され、元気が出る構図になればいいなあと思います。
我が郷土、福島は未だに大きな余震が発生し続けています。あの問題が残り、なかなか宮城や岩手のような復興が果たせないのが、残念でなりません。

> 寄居の件ですが、この前、後北条氏繋がりで、小田原、八王子、寄居が姉妹都市になったと市の広報に載っていました・・・。^^;

寄居町が一番熱心に後北条氏を持ち上げて頑張っているように思います。5月の寄居北條まつり、忘れなかったら、もう一度行ってみたいものです。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 小田原城は去年から今年にかけて改修工事されましたよね。
> 改修工事が終わり、真っ白な綺麗なお城になりましたね~
> まるで白鷺城みたいです^^
> 規模は小さいですけどね^^

平成の大改修だったようですね。よくご存知ですね。耐震性を増すことに主眼をおいたようです。他ならぬ自身の巣の土地柄ですから、看過できない問題だったのでしょうね。

PS.恥ずかしながら、私も愛宕念仏寺が『おたぎねんぶつじ』と呼ぶとは知りませんでした。知らないことだらけですが、知らないということにも気づいていない大間違いでした。(^_^;)

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