散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

伊豆への一泊の旅(1)

撮影旅行ではなく、宴会旅行に参加したにすぎない。それでも、ぼんやり見ているだけではもったいないので、撮ることができる範囲で写真を撮ってみた。

小田原城址(1)
かつて勤務していた会社のすぐ近くに芝離宮恩賜庭園があった。あの庭園は、小田原藩主を務めていた大久保家の元禄時代の庭園だそうだ。小田原は、秀吉の小田原攻め以降は後北条の城下ではなく、一時改易されてしまったものの、奇跡的に復活し、後代には、老中職を務めるほどになった大久保氏の城下だったんだなあと、権力の交代するさまを感じたものだった。

城址案内図
現在の城址公園の案内図。江戸時代のものとは、若干、いや、かなり異なる。赤い太い実線が正式の登城ルートになる。私達もほぼこのルートで回った。
城址案内図
馬出門
馬出門土橋で外とつながっていた。高麗門形式の馬出門と枡形と内冠木門とで1セットとなっていた。
外側
馬出門_外側
内側
馬出門_内側
堀と二の丸隅櫓
あの赤い橋は学橋という。小田原藩の初期の頃は存在しなかったようだ。今の二の丸広場には江戸時代は二の丸御殿があり、そこに藩主が執務し居住していた。本来ならば、藩主は本丸御殿に居ると思われるだろうが、そこは徳川将軍が御成のときに使用されるのみだったようだ。そして、元禄の大地震で焼失してからは再建されることはなかったそうだ。
堀と二の丸隅櫓
馬屋曲輪
曲輪(くるわ)は、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称。現在は跡のみ。
下記解説の通り。城の防衛上、重要な役割を果たしていた。そこから銅門の辺りを見た様子。
馬屋曲輪
城址公園の南側に位置する馬屋曲輪は、三の丸から二の丸に入る大手筋(正式な登城ルート)の重要な曲輪です。三の丸からは馬出門、お茶壷曲輪からは中仕切門から馬屋曲輪へ入り銅門へと続きます。江戸時代では登城者に対しての番所として機能していたようです。
住吉堀と住吉曲輪
住吉堀と住吉曲輪
銅門
住吉橋と枡形と銅門とで1セットと考えるべきもの。此処を突破されたら、城主の居る二の丸御殿へなだれ込まれてしまう。その意味で鉄壁の守りをすべく備えられた門だろう。
住吉橋(内仕切門)
住吉橋(内仕切門)_1
住吉橋(内仕切門)_2
住吉橋(内仕切門)_3
銅門
小さな段差は狭間からの攻撃に注意をして敵方の視線が前方やや上方を見ているときにつまずくことを期待してのものだそうだ。
銅門_1
銅門_2
その名の通り銅がたくさん使用されている。斜めの柱の差し込み方も絶妙だ。
銅門_3
銅門_4
門をささえている頑丈な横木
銅門_5
銅門_6
二の丸側から見た様子
銅門_7
銅門_8
銅門礎石
銅門_9
銅門_10
門をくぐると常磐木門と天守閣とが見えてきた
銅門_11
銅門土塀はこんなふうに再現したというカットモデル。銅門の再建に際し、事前に製作したものだそうだ。
銅門_12

Comments

こんばんは! 
AzTakさん、こんばんは!
宴会旅行は小田原でしたか♪
>参加したにすぎない。 なんて、誰が見ているか分かりませんよ!
恥ずかしながら、小田原城へは行ったことがないんです 汗)
上杉謙信も攻めあぐねたと言う小田原城♪
必ず行きたいと思っていますので
その下準備のため、じっくりと勉強させていただきます 笑)
いつもありがとうございます。
懐かしい 
小田原は、車で、西湘バイパスカットばせば、2時間かかりませんが、行ってません。子供が小さい頃、桜を見に行ったのが、最後です。
おはようございます。 
AzTak さん、おはようございます。
小田原城は何度か訪れたことがありますが、私などは漠然と観ていたのでしょうか、
AzTakさんのブログを拝見して初めて知ったことが多くありました。
やはり、心がけで同じものを観ても永い間には知識等の差が出てきますね。
勉強させていただきました~!(^-^)
こんばんは! 
小田原城址は私も行ったことがあります。特に八王子城は北条氏照のお城でしたので、とても感慨深く見学させていただきました。今年はNHKの真田丸でも後北条氏が取り上げられていましたので、興味深く見ていました。歴史のいろいろな逸話を聞きあれこれ想像するのも楽しいものですね。
 
こんばんは。
北条氏政時代の小田原城は江戸時代の城とはかなり違うそうですね。
江戸時代のお城は石垣も櫓もその大きさや高さを鑑みても
防御目的というより太平の世の統治の象徴といった造りですね。

ryu
 
AzTakさん、こんばんは!
伊豆の旅は宴会旅行だったのですか。
小田原城へは以前に行きましたが気持ちの良いところですよね。
でも写真を撮っていないときだったので、ぼんやり見ていました。
地図をみると結構広いですね。

二の丸とお濠と赤い橋も銅門の白壁も屋根も綺麗で、段差は敵方が
つまずくことを期待して、攻め込まれないように戦いを考慮して
いるのですかー!
銅も立派で素敵なデザインの門です(^^)v
AzTakさん 
こんばんは
そうか、北条は滅びても城跡は残って、徳川時代には大久保氏が治めたのか。
ここでも強者共の夢の跡か。
こんばんは 
小田原城に行かれたんですね^^
僕達は以前、近くまでは行ったのですが
大雨に降られてたどり着けませんでした(^^;
見せて頂き、嬉しいです^^
Re: こんばんは! 
> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 宴会旅行は小田原でしたか♪
> >参加したにすぎない。 なんて、誰が見ているか分かりませんよ!

十数年前にかなりひどいフォアグラになり、それまでかなり飲んでいたアルコールを5年以上断ちました。それから10年位ですが、何故か酒量は戻らず。参加するにすぎない状態なんです。そちらではまるっきり宛にされないメンバーとしてし認識されてしまうようになりました。

> 恥ずかしながら、小田原城へは行ったことがないんです 汗)
> 上杉謙信も攻めあぐねたと言う小田原城♪
> 必ず行きたいと思っていますので
> その下準備のため、じっくりと勉強させていただきます 笑)
> いつもありがとうございます。

今の小田原城は、後北条の城ではなく、大久保氏の城ですね。大久保彦左衛門もその一統です。
後北条の頃はたしかにそこに城はあったにせよ、それだけではなかった。本当に凄いものだったようですね。ただ、その在りし日の様子を辿って歩くのは大変なように思います。古地図とニラメッコでしょうかね。

忘れていましたが、三島市の山の中に山中城という支城がありました。そこは、半日で豊臣軍に撃破されたというところですが、色々残っていて、面白いところです。無いのは建物だけ。結構、後北条の戦い方などが想像できて面白かったです。但し、車がないとバス便が非常に厳しいところです。

三代北条氏康の時代には難攻不落の城といわれ、1561年(永禄4年)の上杉謙信の攻撃や、1569年(永禄12年)の武田信玄の攻撃にも耐えた。
関東支配の拠点として拡張された城は、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めのときには、城下町を囲む長さ9㎞の総構となり、その規模は最大に達している。
Re: 懐かしい 
senri32さん、こんばんは。

> 小田原は、車で、西湘バイパスカットばせば、2時間かかりませんが、行ってません。子供が小さい頃、桜を見に行ったのが、最後です。

私は、恥ずかしながら今回初めて行きました。何度も景観としては眺めていたのですが、…。
今の城址公園は大久保氏のお城なんですね。

御北条の痕跡をたどるとすれば、三島市山中というところに残っている山中城跡がよろしいかと。建物だけは残っていませんが、結構戦い方がわかる城跡になっています。
マイカーでないと、後悔する行き先です。バス便が極端に少ないので。
Re: おはようございます。 
> AzTak さん、おはようございます。

ノースさん、こんばんは。

> 小田原城は何度か訪れたことがありますが、私などは漠然と観ていたのでしょうか、
> AzTakさんのブログを拝見して初めて知ったことが多くありました。
> やはり、心がけで同じものを観ても永い間には知識等の差が出てきますね。
> 勉強させていただきました~!(^-^)


過分のお言葉有難うございます。ですが、内容が浅薄で、お恥ずかしい限りです。三渓園や鎌倉のお寺さんなどは何度か行って、ある程度は状況も見えてきた部分もなくはありませんが、小田原は全く知らない感じでした。猛烈に焦っています。(^_^;)
Re: こんばんは! 
MTさん、こんばんは。

> 小田原城址は私も行ったことがあります。特に八王子城は北条氏照のお城でしたので、とても感慨深く見学させていただきました。今年はNHKの真田丸でも後北条氏が取り上げられていましたので、興味深く見ていました。歴史のいろいろな逸話を聞きあれこれ想像するのも楽しいものですね。

MTさんの書き込みで、昔のことを思い出しました。
なんでだか、遊びに行った帰りに埼玉の寄居町にちょっと寄った事がありました。たまたま、『寄居北條まつり』が行われるという情報が記憶の片隅にあったのでしょう。
凄い気合の入ったお祭りでした。小田原と八王子からも甲冑に身を固めた武者が応援に駆けつけたりして、本当に興奮させられました。
興味がありましたら、ぜひ見に行ってみて下さい。
Re: タイトルなし 
> こんばんは。

tgryuさん、こんばんは。

> 北条氏政時代の小田原城は江戸時代の城とはかなり違うそうですね。
> 江戸時代のお城は石垣も櫓もその大きさや高さを鑑みても
> 防御目的というより太平の世の統治の象徴といった造りですね。
>
> ryu

そうかもしれませんね。ずーっと忘れていましたが、『寄居北條まつり』を見たり、三島市にある『山中城跡』などを見に行ったことがあるのを思い出しました。後北条の戦の世界が垣間見えるところでした。
それからすれば、大久保彦佐の兄さんの城下町は、徳川の太平の世の城下になっていった感じですね。
Re: タイトルなし 
> AzTakさん、こんばんは!

みすてぃむーんさん、こんばんは。

> 伊豆の旅は宴会旅行だったのですか。

はい、飲む方は活躍できませんでしたが、食べる方で張り切りすぎ、お腹が苦しくて、最後はおとなしくしていました。(^_^;)

> 小田原城へは以前に行きましたが気持ちの良いところですよね。
> でも写真を撮っていないときだったので、ぼんやり見ていました。
> 地図をみると結構広いですね。

広く見えるという感じでしょうか。それ程広くはない感じに思いました。

> 二の丸とお濠と赤い橋も銅門の白壁も屋根も綺麗で、段差は敵方が
> つまずくことを期待して、攻め込まれないように戦いを考慮して
> いるのですかー!

一応は、そういう備えはしていますが、戦国時代だったら、まだまだ甘い備えだったかもしれません。

> 銅も立派で素敵なデザインの門です(^^)v

そちらはそう思います。きれいすぎるお城です。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> そうか、北条は滅びても城跡は残って、徳川時代には大久保氏が治めたのか。
> ここでも強者共の夢の跡か。

そうなんですね。埼玉県の寄居町に行くと『寄居北條まつり』を今でもやっていると思います。戦争ごっこをお祭りでやるのですが、ものすごく迫力がありました。小田原や八王子からも援軍が駆け付けたりして、迫真のシーンに見とれたことがあります。
火縄銃をバンバン撃つんですから。見に行く価値大いにアリですよ。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 小田原城に行かれたんですね^^
> 僕達は以前、近くまでは行ったのですが
> 大雨に降られてたどり着けませんでした(^^;
> 見せて頂き、嬉しいです^^

そうでしたか。惜しかったですね。

ピンポイントですが、後北条の方ですが、『寄居北條まつり』というのが埼玉県の寄居町であります。戦国時代絵巻という感じのお祭りでした。毎年5月に行われるようです。半年後ですかね。一見の価値アリだと思います。

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