散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

北鎌倉の寺院を見て歩く(12)

東慶寺(1)
縁切り寺としてあまりにも有名な寺院。その方に興味のある方は、いくらでも解説されているであろうから、そレラの資料を参照されたい。こちらは、散歩の傍ら、ちょっと気になった点を調べる程度に留める。

山門とその近辺
江戸時代には鎌倉街道に面して大門があった。現在の山門は中門で男子禁制の結界だったそうだ。
現在の山門
こちらは浄智寺と違って、関東大震災後の修復に鎌倉石を使用しなかったようだ。百年弱ではこの程度なのが普通なのだろう。
山門とその近辺_1
山門とその近辺_2
山門とその近辺_3
山門とその近辺_4
昔はここに大門があったようだ
山門とその近辺_5
山門近くの花
一重と八重の秋明菊。八重の秋明菊は見たことがなかったが、一重に負けず劣らず美しいものだった。
山門近くの花_1
山門近くの花_2
山門近くの花_3
山門近くの花_4

石碑も幾つか
田村俊子文学碑
他人には絶対に書くことが出来ない内容だ。自分でも、…。さすが激しく己の道を歩んだ女流作家の碑だけあると思った。
田村俊子文学碑
この女作者はいつも おしろひをつけてゐる
この女の書くものは 大がひおしろひの中から うまれてくるのである

四賀光子歌碑
四賀光子歌碑
東慶寺開山覚山尼讃歌
流らふる大悲の海によばふこゑ時をへだててなほたしかなり


鐘楼
関東大震災の際でも寺内で唯一倒壊を免れているのは事実だが、大震災は建築直後のことだ。それだったら持ち堪えたのは当然かもしれない。
鐘楼
茅葺のこの鐘楼は大正5(1916)年に建てられたもので、関東大震災の際でも寺内で唯一倒壊を免れています。
梵鐘は南北朝時代の1350年の鋳造で神奈川県の重要文化財に指定されています。鐘には「就相陽城之海浜有富多楽之寺院」、「観応元年」と刻印されており、材木座の補陀落寺(ふだらくじ)のものであったことがうかがえます。
なお鎌倉時代に鋳造された梵鐘は伊豆韮山の本立寺に置かれています。


本堂
本堂の中門をくぐったと認識したのだが、書院の中門をくぐって正面にあるのが、この本堂だそうだ。旧仏殿は三渓園に移築されたものか。明治40(1907)年に移築というから、経済的に困窮し、原三渓氏に買ってもらうしか無かったのかと思う。
本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4
本堂_5
東慶寺の仏殿は、「泰平殿」と呼ばれ、本尊は釈迦如来坐像(南北朝時代)。本尊の左には二十世天秀尼像、右には開山覚山尼像と五世用堂尼像が安置されている。
もともとは、鎌倉尼五山第一位で廃寺となった太平寺の木造聖観音立像(土紋装飾が施された仏像)を安置するために建立されたのだという(現在、木造聖観音立像は松ヶ岡宝蔵に安置)。
現在の仏殿は1935年(昭和10年)に建立されたもので、旧本堂(仏殿)は横浜市の三溪園に移築されている。本堂横の水月堂には、木造水月観音半跏像が安置されている。


水月堂
水月観音菩薩半跏像の特別拝観には事前予約が必要だ。元は加賀前田家の持仏堂だったが、昭和34(1959)年に移築し、水月観音菩薩半跏像を安置するようになった。 水月堂という呼び名は、水月観音菩薩像を安置することからそのように呼ばれるようになった。
水月堂
岩にもたれてくつろいだ姿勢をとる観音像。同様の姿は水墨画に多く、水月観音、楊柳(ようりゅう)観音、白衣(びゃくえ)観音などの名前がある。この像は水面に映った月を見る姿と言われる。こうしたくつろいだ姿の観音像は、中国の宋から元時代に大流行した。観音は補陀洛山(ふだらくせん)というところに住むと言われるが、中国では山と言えば仙人のいる場所である。観音と仙人が重ね合わされた結果、仙人特有のポーズを観音がとることになったと考えられる。 中国で大流行したのに、日本では鎌倉周辺にしか見られない。おそらく保守的な京都では菩薩にふさわしくないとして受け容れられなかったのだろう。これに対して、鎌倉は中国風をより積極的に受容したことがわかる。 かつては室町時代あるいは南北朝時代の作とされていたが、頭髪や衣の写実的な表現がみごとで、鎌倉時代も13世紀の作と見られる。東慶寺開山、北条時宗夫人の覚山尼にかかわる遺品である可能性もある。銅製の冠、胸飾などは後世補われたもの。

木造聖観音立像を解説した頁へjump
水月観音菩薩半跏像を解説した頁へjump

書院
東慶寺の書院は、大正期の建立。
それ以前の書院は、1634年(寛永11年)、徳川忠長屋敷から移築されたものだったが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊。現在の建物は、その当時の間取りで再建されたもの。

徳川忠長(駿河大納言)は、徳川三代将軍家光の弟。竹千代(家光)擁立派と国千代擁立派による次期将軍の座を巡る争いがあったが、忠長はその当事者、国千代だ。真実のほどは知らないが、寛永10(1633)年、不行跡を理由に甲府蟄居・高崎幽閉の後、28才で自刃した。その翌年に、解体された屋敷が東慶寺に移築されている。精神をやんだのかもしれないが、悲劇の人だったようだ。
それが関東大震災で倒壊するまでの書院だったのか。

後日、扇ヶ谷の薬王寺を訪ねたときに、夫人(織田信長の孫)が建てたとされる徳川忠長供養塔をみた。
普段は書院への立ち入りできないようだが、地元のイベント開催などの折に協力しているようだ。

書院
書院_1
書院_2
中門
中門_1
中門_2

東慶寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。現在は円覚寺末の男僧の寺であるが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。また江戸時代には群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた。

Comments

おはようございます! 
AzTakさん、おはようございます!
親父が2日間食事を食べたくないと言っていたので
今日の朝にでも病院へと思っていましたが
食べてくれてほっとしました。
どうやら原因はデーサービスの買い物ツアーで
買ってきたお菓子を食べているらしいので、
とうとう怒ってしまいました!
やっぱり、子供に戻るのでしょうか?
blogのコメでなくて申し訳ありません 汗)
 
以前僕も撮影で行ってきました。
僕の場合はお寺は被写体として見ているのでなかなか細かいところは
全てスルーしてしまい忙しく周っています。
改めてじっくり見させていただき感謝です。
もう一回行ってみますね。。。
こんにちは、 
趣のある良いお寺ですね、鎌倉は奥が深いです、私なんかは観光でいいとこばかりを見るだけで、こんな歴史のあるご本尊をじっくりと巡る旅がしてみたいです、いつもながらAzTakさんの詳しい説明が余計にいつてみたいと、
本当にありがとうございます。
 
こんにちは。
東慶寺は知名度による人気先行型のお寺さんって感じがしますね。
やはり縁切り寺という特異な経緯がそうさせているのでしょうか。

ryu
 
今日は。
東慶寺は駆け込み寺として有名ですね。
身分制度や男尊女卑が厳しかった時代の女性を救える唯一のお寺
だったようですね。
今は女性が強くなって、こんなお寺のお世話にならなくてよくなりましたが、歴史の移り変わりは面白いですね。
こんにちは 
ここの山門、良いですね~~
茅葺屋根ですか^^
歴史を感じます。
世界遺産 
鎌倉は、世界遺産を目指している。でも、何かが足らない。私は、何も言わない。
AzTakさん 
こんばんは
東慶寺、徳川幕府も粋な計らいをしたもんですね。
現在もお願いしたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
Re: おはようございます! 
> AzTakさん、おはようございます!

makiraさん、こんばんは。

> 親父が2日間食事を食べたくないと言っていたので
> 今日の朝にでも病院へと思っていましたが
> 食べてくれてほっとしました。
> どうやら原因はデーサービスの買い物ツアーで
> 買ってきたお菓子を食べているらしいので、
> とうとう怒ってしまいました!
> やっぱり、子供に戻るのでしょうか?
> blogのコメでなくて申し訳ありません 汗)

他人様のことは冷静に考えられても、なかなか自分に関わることは冷静にはいかないものですね。
あまり腹を立てずに仲良くしてやってくださいね。…まるで、自分に言い聞かせている感じです。(^_^;)
Re: タイトルなし 
ララさん、こんばんは。

> 以前僕も撮影で行ってきました。
> 僕の場合はお寺は被写体として見ているのでなかなか細かいところは
> 全てスルーしてしまい忙しく周っています。
> 改めてじっくり見させていただき感謝です。
> もう一回行ってみますね。。。

私も同じように被写体とは見ています。ですが、すぐに、このお寺さんはどうしてこんな今があるのか、そんなことが気になってしまいます。なので、気がついてみると芸術的な写真は1枚もない感じです。
どうにもへそ曲がりの散歩爺さんです。
Re: こんにちは、 
こんばんは。

> 趣のある良いお寺ですね、鎌倉は奥が深いです、私なんかは観光でいいとこばかりを見るだけで、こんな歴史のあるご本尊をじっくりと巡る旅がしてみたいです、いつもながらAzTakさんの詳しい説明が余計にいつてみたいと、
> 本当にありがとうございます。

どうも自分勝手な見て廻り方で恐縮です。うまく、見て回っていらっしゃる方も少なくないのですが、相当に足繁く通われているかたかもしれません。私は、何処に行っても万年初心者です。
古くは水戸光圀も『新編鎌倉志』を書き表しましたが、今のブログの先駆けかもしれませんね。多分、光圀は英勝寺に行くようになり、そのことから、鎌倉を歩くようになったと思っています。と書いて、wikipediaを確認したら、そのような趣旨のことが書いてありました。
Re: タイトルなし 
> こんにちは。

tgryuさん、こんばんは。

> 東慶寺は知名度による人気先行型のお寺さんって感じがしますね。
> やはり縁切り寺という特異な経緯がそうさせているのでしょうか。
>
> ryu

私の年代だと、さだまさしが作詞作曲した『縁切り寺』という名曲があり、東慶寺に足を運んだ方が少なくないのではと思います。その年代の人達が第二の人生を過ごしている頃なんですね。
歴史の跡を辿られる方もいらっしゃるでしょうし、文学がお好きでこの寺の眠る文人の墓を尋ねる方もいらっしゃる。

言われてみれば人気先行なのでしょうかね。

別の日に歩いたときに、薬王寺で徳川忠長の供養塔を見ました。彼の屋敷から移築されたものがこちらの書院です。あの屋敷の主が、何故、こんな粗末な供養塔だけで済ませられ徳川家から抹殺されてしまったのか。色々考えさせられました。
Re: タイトルなし 
> 今日は。

お千さん、こんばんは。

> 東慶寺は駆け込み寺として有名ですね。
> 身分制度や男尊女卑が厳しかった時代の女性を救える唯一のお寺
> だったようですね。
> 今は女性が強くなって、こんなお寺のお世話にならなくてよくなりましたが、歴史の移り変わりは面白いですね。

DVなどというのは現在の概念でしょうが、実は昔から存在していたのでしょう。また、他の事情があったのかもしれません。二年我慢すれば、亭主とは縁が切れ、再び大手を振って娑婆に出たようです。ですが、貧乏人には絶対にできないこと。何とかお金を工面したとしても、再び寺の外に出た後のことを考えれば、金持ちの娘でないとどうしようもなかったのかもしれません。
一般の女性は、簡単には救われなかったのかも。う~~ん。
Re: こんにちは 
土佐けんさん、こんばんは。

> ここの山門、良いですね~~
> 茅葺屋根ですか^^
> 歴史を感じます。

良く見えますよねえ。ですが、百年経過したかどうかくらいです。
関東大震災が大正末頃に茅ヶ崎沖で発生して、鎌倉の寺社は地理的にすぐ近くですから、皆やられてしまいました。ということで、ほとんどすべてが建て直しの憂き目に。皆、無印の文化財からのやり直しです。
首都圏の文化財は、関東大震災とか、空襲とかで徹底的にやられています。倒れたくらいならば、もう一度、組み立て直せばいいのですが、殆ど全焼のものも、再び重要文化財指定を受けたりして、…。どこがどうとはいいませんが。無印の文化財のほうが由緒正しかったりするのかもしれません。
Re: 世界遺産 
senri32さん、こんばんは。

> 鎌倉は、世界遺産を目指している。でも、何かが足らない。私は、何も言わない。

昔のものがあまり残っていないということで、世界遺産の間尺には合わないのでしょう。ですが、世界遺産もかなり大盤振る舞いしてきた感じがあります。あんなものの指定を受けなくても十分なのでは。国立西洋美術館の指定のときにそう思いました。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 東慶寺、徳川幕府も粋な計らいをしたもんですね。
> 現在もお願いしたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?

お金さえあればの話です。熊さんならいざしらず、私のところの資力では、縁切り寺におすがりするだけの金子を用意できなかったと思います。年期が明けて出てきてからの生活だって、貧乏人ではどうしようもなかったと思います。

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