川越の街を歩く(5)
旧町名が南町は、城下町の中心として高札が立てられた場所である『札の辻』の南側に当たるので、この名がついたそうだ。現在の町名は幸町。その幸町一番街周辺は、江戸時代から明治・大正時代にかけて川越の中心街だった。
明治26年(1893)、川越始まって以来の大火により川越の街は壊滅的な被害を受けた。この幸町一帯も殆ど焼失したが、大沢家住宅をはじめ数軒の蔵造りの家は焼け残った。焼け野原の中に歴然とその姿をとどめる蔵造り。この大火によって蔵造りの耐火性がはっきりと示されされ、復興にあたり町の商人たちはこぞって蔵造りを建て始めた。
明治35年(1902)には70軒ほどありましたが戦後は次々と建てかえられ、現在は30余軒を残すだけとなっています。
公式的にはこの程度の紹介だが、駅前の商業の中心が移り、その影響を受けた一番街が衰退し、蔵造りも次々壊されていく状況が顕著になってきた。そのことに危機感を覚えた市民たちが立ち上がって、保存運動を展開したようだ。それが功を奏して、今の町並みが残り、観光地としても繁栄している。
蔵造り資料館
派手さには欠けるきらいがないでもないが、重厚な感じが残っていると思う。明治の川越大火後、いち早く蔵造りを取り入れた建物のようだ。現在は蔵造り資料館となっている。今回は休館日でパスしたが、なかなか見ごたえがある資料館だと思う。
一番街に黒漆喰仕上げの重厚な外観を見せ、のれんを張り出している蔵造りの建物があります。昭和52年(1977)10月にオープンした川越市蔵造り資料館(旧小山家住宅、屋号「万文(まんぶん)」)です。
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服部民俗資料館
ここも入ったことがない。どんどん入って確認しなくちゃいけないが、あいにくこの日はこちらも休館日だった。大沢家住宅、蔵造り資料館、それにここと、川越の資料館は月曜日が休みなのかなあ。せめて休みは、月曜日か水曜日かに統一してほしいものだ。春に特別公開される雛人形を見に行かせてもらうのも、名案かもしれない。
埼玉県川越市の幸町にある服部民俗資料館は、もとは照降商(てりふりしょう、傘や下駄を扱う靴屋)と薬種商(やくしゅしょう、薬を調合・販売する薬屋)を営んでいた商家・服部家住宅でした。
建物は江戸時代後期の商家の面影を残す切妻造り平入り。川越大火の直後、明治26年(1893)に上棟式を行なったと伝えられています。
昭和59年(1984)に服部民俗資料館を開館し、代々同家に伝わる商家の民具を中心に一般公開(無料)しました。館内には下駄や雪駄、薬の広告看板などが陳列され、座敷には帳場が置かれています。これらの民具は集めたものではなく、服部家で実際に使用されていたものです。春になると、江戸時代の人形師・仲秀英(なかしゅうえい)の手になる名品、嘉永5年(1852年)の銘を持つひな人形が特別公開されます。
深善(ふかぜん)
凄く目立つ。土蔵造りの他の建物が観音開きの窓にしているのに対し、こちらは、見ての通りの開放的な窓になっている。その分、他で防火対策を厳重に行ったようだ。創業は、元文3年(1738年)だそうだ。何と278年前だ。
刃物商まちかん
『陶舗やまわ』と『深善』とに挟まれ、否が応でも目立つ。また、カメラを向ければ、必ず入ってくるだろう。なかなか味のある建物だ。大店に挟まれているので、少し屋根を高くしたようだ。また、観音扉のジャバラ部分の意匠が素晴らしい。
こちらも、天保13年(1842年)から続く老舗。174年経つんだ。『刀剪鋪 十一代・町屋勘右衛門』というのが、正式な店名なのかな。大変な専門店のようだ。観光客目当ての店ではないようだ。
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太陽堂書店と理容店『銀巴里』
土蔵造り風の町家のようだが、なかなかの貫禄がある。『深善』の右隣。理容店を利用すれば、昔の話を聞くことができるかもしれない。