散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

またも出かけた日本民家園(5)

(6)佐々木家住宅《信越の村》
縁側の軒の部分だけ石置き板葺きになっている。ずっと見てきたが、茅葺きの家屋にはその構造の特性からは樋が存在しない。ところが石置き板葺きの屋根の場合、前々回見た旧三澤家と同様に、現代のものからすれば不完全ではあるが、樋が存在する。端っこから落とす形式だとしても、中央部の軒下がびしょびしょになりにくいメリットがあったように思う。
八千穂村は間違いなく寒冷地の村だっただろうが、それでも豪雪の村ではなかったと思われる。この縁側の軒の部分だけ石置き板葺きにしても、差し支えなかったのかなあ、などと考えながら見ていた。

外観
これほど長大で軒が高い建物は、当時の近隣では殆ど例がなかっただろうと思われる。また、当時に建物にしては、珍しく、普請帳や記録によって家の歴史がわかる稀有の民家でもあった。国指定の重要文化財。
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
かぶと造の屋根
明かり取りになっていて、中二階で寺子屋なみの勉学ができるようになっていたとか。地元の名士らしきことをしてくれていたようだ。
外観_5
縁側の幅
普通の建物だと、手前側の幅程度だと思う。異様に幅広くした理由は何だろうか。
外観_6
外観_7
外観_8
屋内
佐々木家の間取り
佐々木家の間取り
随分大八車があったようだ。規模の大きな農家だったとわかるというものだ。
屋内_1
焙炉(ホイロ)
製茶用の乾燥炉。もとは木の枠に厚手の和紙を張ったもので、蒸した茶の葉を炭火で乾燥させながら揉むのに使用した。
どこかで聞いた言葉だと思った。よく考えてみれば、製パン工程で生地を発酵させるときに用いる保温装置もホイロというんだった。すぐ忘れてしまうところが悲しい。

屋内_2
大きく立派な室内だ
屋内_3
屋内_4
屋内_5
屋内_6
客用の湯あみ施設
屋内_7
庭では小学生の社会科の授業がなされていた
庭では小学生の社会科の授業が

川崎市教育委員会説明内容から
佐々木家住宅の旧所在地である八ヶ岳の東、千曲川の流れに沿った長野県南佐久郡八千穂村は山あいの高冷地で、決して豊かな土地柄ではなかった。佐々木家は旧上畑村の名主を交替で勤める有力農家であった。当家には普請に関する古文書が多数伝えられ、それによって現主屋の新築に至る経緯から、その後の移築、そして増築の過程がかなり克明にわかる、きわめて珍しい例である。
享保16年(1731)、当家より代官所宛に、家屋が破損したので古材を用い、また不足の分は自山の唐松を伐り出して新築したい旨を記した「普請願書」が提出された。この願い出は許可され、早速普請に取りかかったものと思われるが、現主屋を見る限り、主要部材に古材は用いられていないから、決して贅沢な家屋でないことを強調するためにこうした表現が使われたのであろう。ところが新築10年後の寛保2年(1742)、千曲川の大氾濫によって上畑村は大きな被害を受け、その結果村をあげて山寄りの高台に移転することになった。佐々木家は幸い流出を免れたが、翌年他の村民とともに新しい土地へと移転した。この時、主屋は解体して移築したようである。そして延享4年(1747)に座敷の妻側に2室続きの客座敷を増築した。民家園への移築にあたってはこの延享4年の状態に復原されている。
さて、創建当初の規模は現状からザシキ及びオクザシキを取り除いたものと考えればよい。つまり床上4室からなる整形4間取(田の字型平面)を基本としていた。オカッテも現在のように広くはなく、おそらく囲炉裏を中心とした後半部だけが土間に張り出していたものと想像される。したがって今のナカノマが当初の客座敷で、その妻側には床の間が設けられていた。そして延享4年の増築工事によって接客空間が格段に充実する。つまり増築されたオクザシキには床の間のほかに違棚が設けられ、そしてナカノマからザシキ、オクザシキとL字型に配置された3室からなる接客の場が形成された。こうした形式は鍵座敷と呼ばれ、江戸時代後期の東日本の上層農家で多くみられる形式であるが、当家は南佐久地方における鍵座敷成立の時期を明らかにするものとして貴重である。なお、客座敷に付属する形で上便所や風呂場が設けられたのは、当家が名主という立場上、代官所の役人などを接客する機会が多かったことを示すのだろう。
増築の結果、桁行は14間という長大なものになった。屋根は茅葺の寄棟造だが、土間の妻側は兜造にしている。兜造は群馬県や埼玉県西部など、養蚕の盛んな地方に多くみられるが、佐久地方の兜は厩の上部を下男部屋などに用いるために中2階を設け、そこに光を採り入れるための工夫であったから、これらとは少々系統を異にしている。また、床上部の前面及び背面には石置き板葺屋根の庇を設けている。
当家の構造上の特徴は、差物を多用して柱の省略がかなり進んでいることである。特にオカッテとチャノマ・コザシキの境には長さ4間という長大な差物を用いており、これは他の八千穂民家にも見られない特色である。
以上のように、佐々木家住宅は創建から移築・増築までの過程が詳細に判明する数少ない民家であり、また当初の南佐久地方の最も進んだ間取り及び構造技法を有する、たいへん貴重な民家である。

Comments

 
おはようございます。
佐々木家はかなりの豪農だったのでしょうね。
かぶと造の屋根の農家は当地でも見られましたが
養蚕兼用農家が多かったと思います。
福島県では下郷町の大内宿が有名ですが
南会津町(旧・舘岩村)には前沢集落という茅葺屋根集落があり
あまり観光地化されておらず(集落の見学は可能)現在も住民が普通に暮らしていますよ。
AzTakさん 
小学生がお座りして大人しく聞いているようですね。
縁側は、後から付け足して、石置き板葺きの屋根を付けたのかなあ。
創建当時は、縁側が有る農家などはほとんど無かったでしょうね。
 
AzTakさま こんにちは

佐々氏家住宅は、豊かではない土地柄にしては立派な建物ですね。
当地方で、当家が如何に有力な農家であったかということが解ります。
佐々木家住宅には、普請当時の貴重な故文書が多数残されているようですが、当時の建築物の構造など知るうえで貴重な資料ですね。
こうした資料はなかなか残されていないものですが。
桁行が14間という長大なもののようですが、当時の建築技術は素晴らしいものだと思います。
こんにちは。 
大きな屋敷ですね。
外人さんも観光で訪れているようですが、昔の旧家には驚いているのでしょうね。
子供も、俵や荷車などは初めて見るのでしょうね。
どんな思いで見ているか聞いてみたいですね。
こんばんは 
小学校の課外授業があったんですね^^
こう言う歴史のある建物を子供の頃にしっかり学ぶって
良いことですね~~
ずっと残したい文化ですからね^^
Re: タイトルなし 
> おはようございます。

tgryuさん、こんばんは。

> 佐々木家はかなりの豪農だったのでしょうね。
> かぶと造の屋根の農家は当地でも見られましたが
> 養蚕兼用農家が多かったと思います。

まあ、昔は養蚕がお米と並んでお金になるものだったことでしょうから、暮らしぶりに良いところは、養蚕を手掛けていたというのは例外のない事実だったのでしょうね。

> 福島県では下郷町の大内宿が有名ですが
> 南会津町(旧・舘岩村)には前沢集落という茅葺屋根集落があり
> あまり観光地化されておらず(集落の見学は可能)現在も住民が普通に暮らしていますよ。

南会津町ですか。う~~ん、車がないと厳しいところなんですね。会津若松市まで公共交通機関利用で行き、そこからレンタカーで回る手はありますよね。大丈夫かな。
前沢地区は曲屋になっているんですね。神奈川在住のある方のブログで見せてもらったような気がしますが、記憶がいまひとつです。



Re: AzTakさん 
のんびり熊さん、こんばんは。

> 小学生がお座りして大人しく聞いているようですね。

かなり行儀が良かったですね。驚くほどでした。

> 縁側は、後から付け足して、石置き板葺きの屋根を付けたのかなあ。
> 創建当時は、縁側が有る農家などはほとんど無かったでしょうね。

日本民家園の中の建物ではほかにも縁側がしつらえてある家屋はいくつかありました。ですが、こんなに幅広くはありませんでした。南向きの縁側なので、収穫した大豆、小豆を保存用に乾燥させたり、塩漬けにする白菜を短時間天日干しにしたり、…。そんなことに使用していたのかなあと思いました。
不意の降雨や猿などの被害をある程度、防ぐことができるかもしれませんよね。
そういう意味合いがないとこの幅広さは説明がつかないような気がしました。何といっても、庇をつけなくてはいけないくらいですから。
Re: タイトルなし 
> AzTakさま こんにちは

花さか爺サン様、こんばんは。

> 佐々氏家住宅は、豊かではない土地柄にしては立派な建物ですね。

八千穂村は当時はどうだったのでしょうね。信州の山間で川が流れていますから、耕地などはそう広くは確保できなかったかもしれませんが、極端に貧しい村ではなかったかもしれません。

> 当地方で、当家が如何に有力な農家であったかということが解ります。
> 佐々木家住宅には、普請当時の貴重な故文書が多数残されているようですが、当時の建築物の構造など知るうえで貴重な資料ですね。
> こうした資料はなかなか残されていないものですが。

物持ちの良い家というか、しっかり管理する家風だったのかもしれませんね。
後世の人には、y当時のことをうかがい知る貴重な資料となることなのでしょうね。

> 桁行が14間という長大なもののようですが、当時の建築技術は素晴らしいものだと思います。

14間などというと、およそ1.8mの14倍ですか。短水路のプール一つ分ありますね。う~~ん、でかい。
きちんと立ててあるので、いまにも壊れそうなボロ家というような印象は全くありませんでした。
Re: こんにちは。 
S-masaさん、こんばんは。

> 大きな屋敷ですね。
> 外人さんも観光で訪れているようですが、昔の旧家には驚いているのでしょうね。

外国に人は、日本の家屋は木と紙とでできていると聞かされていたことでしょうが、本当にそういう家を見せられて、大いに驚いたことでしょうね。

> 子供も、俵や荷車などは初めて見るのでしょうね。
> どんな思いで見ているか聞いてみたいですね。

はじめてだったかもしれませんね。
大八車じゃありませんが、カトリック教会のイベント準備や後片付け用にリヤカーを買って、重宝したことを思い出しました。
のぼり坂は相当につらかったかもしれませんが。
子供たちの印象は、『………』という感じだったかもしれませんね。あまりに日常生活とかけ離れていて、ぴんと来なかったかもしれません。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 小学校の課外授業があったんですね^^
> こう言う歴史のある建物を子供の頃にしっかり学ぶって
> 良いことですね~~
> ずっと残したい文化ですからね^^

私は田舎に住んでいましたから、こういう授業はありませんでした。
古い家屋などはそこかしこにありましたし、『農休み』なんてこともありましたから。
ちなみに目の前が海で、すぐ後ろが田畑や山だったりすると、臨海学校も林間学校もないんですよ。

しかし、ぼんくらだった私めは細かいことをあまり覚えていませんねえ。(^^);


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